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描写②審美の限界と超越

1.
 青天の霹靂、というより密度の高い雲の間を縫う、一本の光の筋のような女性だった。

2.
 俺は羊男。何の変哲もない会社で何の変哲もない仕事をしている何の変哲もないサラリーマンだ。今日は華の金曜日。本当だったら、高島屋でケーキを買って恋人の待つ家に帰って週末の計画を立てたいところだ。だが生憎恋人はいないし、わざわざ会社の後に飲みに行くような友達もいない。“アットホームな職場“が売りのコンサル会社だが、そんなのは建前だった。或いは俺がいけないのかもしれない。だが、大学まではそれなりに友達に囲まれて過ごしてきたし、昨年末に恋人と別れるまでは恋人が絶えることはなかった。これらの実績を踏まえるのなら、会社に問題があるといっても罰は当たらないはずだ。
 駅の出口が2桁はある、俗にいう繁華街の居酒屋に一人で入ったのはいいものの、周りの喧騒に充てられ、ろくに酔うこともできなかった。金と時間だけはしっかりと失い、なんのリフレッシュもできないという、典型的な、辞書に載るお手本のような徒労のうちに会計を済ませ外に出た。繁華街の空気はやっぱりまずい。加湿器に雑巾で絞った水を入れたほうがまだ幾分かマシな空気が出るのではないだろうか。

3.
 世界は実にバランスよくできていると思う。その一方で、その限界についても疑わざるを得ない。

4.
 失意のうちに店に背を向けてから数分とたたないうちに彼女は表れた。彼女の容貌に目を奪われずにはいられなかった。正確には限定的な意味での容貌だ。
 プロポーション自体は及第点には達しているが、目を奪われるというほどのものではない。服装も年齢相応に垢抜けてはいたが、それもあくまで相対的な評価に過ぎなかった。特筆すべきはその顔にあった。
 アンナカレーニナの原則を援用するのなら、美しい顔の女性は皆共通の特徴を持っているはずである。統率の取れた顔の筋肉、それに応えるように配置された調和されたパーツ、特に線対称の一対の目。
 これらは全て、究極の美を構成する必要条件であり、高級イタリアンにおける味・見た目・食材の質、のように何一つとして欠くことは許されない。
 しかし、当の彼女はこの絶対の真理を超えた美しさを有していた。全体的に形の好い、統率の取れたパーツを持っているが、目のバランスだけは例外だった。瞳の大きさから二重の幅に至るまで、そこには大きな隔絶があった。この不調和から美に対する昇華は丁度、短調と長調が混在する曲が、名曲の域に達する現象に似ている。
 時として不調和は、普遍を超えた美をそこに見出すのである。
 


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