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『観光』とは『光を観にいく』。なら、その『光』とは?

※366日間チャレンジ、119日目。

これは、やまがた観光まちづくり塾にいた時に、とある方がおっしゃっていた、
『観光とは、『光を観に行く』こと』
というのを受けて、ではその『光』って何?というのを考えた話。

私は、その『光』というのは、人のことなのではないかな、と思った。

風光明媚なところに行って、ああ美しいな、だけでも、もちろん良いとは思う。
でも、そこに住んでいる人たち、働いている人たちが、どんな風だったかな、というのも、加味されているのではないかな、と思った。

たとえば、泊まった旅館やホテルの人たちが、すごく感じが良かった、あるいは悪かった、とか。

ご飯を食べに入ったレストランの人たちが、すごく感じが良かったとか、あるいは悪かったとか。

そういうのって、案外記憶に深く刻まれたりする。

特に、親切にされたり、逆に意地悪されたりすると、すごく覚えている。
すごく親切にされたありがたい記憶があると、そこにまた行きたい、その人に会いに行きたい、と思ったりするし、

逆にすごく嫌なことをされたりすると、もう二度と行くもんか、しかもそこのひどい人のことをお友達に言ったりSNSに書いたりしてお友達が嫌な気持ちをしないように注意喚起しよう、と思ったりする。

結局、なんでも、人なんだよなあ。

会社でも、国でも、自治体でも、結局は、そこにいる人が、その場所そのものなんだ。

だから、観光を盛り上げようという時に、立派な箱だけ作っても、その建物がさびれてくると、人の足が遠のいてしまうけれど、
そこにいる人たちが元気で、いろんなイベントをやって盛り上げようとしていたり、いつも変わらず明るく人を迎えていたりすると、いつまでも人がやってきてくれる。

なにより、
「ここの人たちは、人に来てもらいたいんだな」
と感じると、それに応えたいと思う。

来てほしい、という人がいるなら、行ってみようか、と思う。

これって、プロスポーツ選手なんかにも言えることなんだけど、やっぱり
「頑張りますので、応援してください!」
とか
「今シーズンも、温かい応援をよろしくお願いします!」
と素直に明るく口に出して頭を下げてお願いすることって、すごく大事だ。

なぜなら、そうされて初めて、
「そう?それなら、応援しちゃおうかな」
と思ったりするから。

逆に、そう言わない選手や、そういう謙虚な気持ちが全く伝わってこない傲慢な選手に対して、応援したいという気持ちが湧いてこない。
湧いてきた試しがない。

そこにいる人たちが、どういう気持ちでそこにいるのか?

ただ受け身で、全然やる気がないのか。
やらされている気持ちで、被害者みたいな気持ちでいるのか。
誰かが助けてくれるだろう、国や自治体がなんとかすべきだ、と他人事のような受け身の気持ちでいるのか。

それとも、積極的に、自分たちの力でなんとか盛り上げようとしているのか。
外の人に来てもらいたい、楽しんでもらいたい、という気持ちがあるのかどうか。

そういうのって、訪れる人たちに伝わるし、結局はそういう気持ちが、その場所を明るくする。

そこにいる人たちの気持ちが、その場所を、その土地を、輝かせる。

そういう気持ちを観に行くのが、『観光』なのかな、と思う。

トップ画像は、そういう、
『来てくれた人たちを精一杯おもてなししたい』
『訪れた人たちに喜んでもらいたい』
という心の表現のお手本のような、皇居東御苑のお庭。
本当に、そういう真心が、あそこのお庭に行くと、いつも伝わってきてじーんとする。
「訪れた人たちに、この木を見てもらって、喜んでもらいたい」と思って上皇様がこの木を植えた、なんてのを見ると、愛されてるなー、嬉しいなー、って思う。

そういうことなんだと思う。

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