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「音楽・平和・学び合い」(21) 

◆【実践研究論文】  
 【不登校をめぐる教師としての「自己物語」の変容】(2)
  ~中学三年男子生徒の事例を通した「ナラティブ的探究」の試み~

2.ナラティブの概念整理と分析の方向性
-実践記録に「ナラティブ的探究」の方法論を応用すること

 私はこれまで、臨床教育学が共有する重要な関心事としての「ナラティブnarrative:語り/物語」に注目しながら、研究的実践を進めてきた。それは「弱者/マイノリティー」の当事者性を基盤としつつ、その声に耳を傾け、紡ぐことでエンパワーメントを可能とするアプローチであると考えてきたからだ。
 ブルーナーは、「我々が世界の中で自己自身についての見方を構成するのは、自分自身のナラティブを通してである」とし、人は生活・人生(life)を物語ることを通して自己(self)を形作るのだという事実に注目している。5)野口裕二はこのことを、「自己とはセルフ・ナラティブ(自己物語)である」と端的に言い直し6)、高垣忠一郎は自己肯定感の育みに重ねて「人は自分の物語を創りながら生きる」と書く。7)庄井良信もエンゲストロームの活動理論やユネスコの学習権宣言「自分自身の歴史を創造する主体」を引きつつ、「学び」を「社会参加による自己物語の構築」として捉え直している。8)「ナラティブ」の概念については、論者によって定義が様々であるが、本論文では、やまだようこがブルーナーを引きつつ提示している次の定義を採用したい。

 ナラティブとは、広義のことばによって語る行為と語られたものである。つまり、広義のことばによって経験を組織化する行為であり、出来事を有機的にむすびつける編集作業、意味づける行為のことである。9)

 庄井は別の論文で、ナラティブに注目する教育学の動向として、「語ること/物語ることを深く哲学する教育人間学、ナラティヴな探究(narrative inquiry)を機軸とする教育学、ナラティヴな学び(narrative learning)を構想する教育学」を例示し、自らの研究対象であるフィンランドの「ナラティヴ・ラーニング」について詳述している。10)この論文において庄井は、現在の日本で展開されている学力向上運動のあり方に触れつつ、次のような重要な指摘をしている。

(前略)一回性の人生を(しばしば困難を抱えながら)懸命に生きている子どもに固有な学習動機や意欲の特質や、その子どもが、あるコミュニティにおいて、自分という人生の物語(自己物語)を語り合いながら、どのような自己(self)やアイデンティティ(identity)を構築しているのか、という本質的な問題が、看過されてしまっているのである。(後略)11)

 上記の指摘は、本論文の主題である「不登校」の問題を探究するにあたって、重要な導きの糸となるだろう。学校というコミュニティから逸脱せざるを得ない「学校に来ない(来られない)こどもたち」は、必然的に自己物語を語り合う機会を奪われ、アイデンティティ構築の不安に苛まれている。教師という「発達援助専門職」として、困難を抱えながら懸命に生きる不登校のこどもたちとどのように向き合うのか(向き合ってきたか、向き合うべきか)との問いを前にして私自身ができることは、彼らのナラティブに耳を傾け、それを紡ぎ、彼らが自らの「経験を組織化する」のを支えることであろう。そしてその実践を通して生まれた語りを「有機的に編集し、意味づける」ことで、新たなナラティブを創出し、教師としての「自己物語」を絶えず語り直していくことが求められているのではないか。

 以下、本論文では庄井が言及している「ナラティヴな探究を機軸とする教育学」に注目したい。これはカナダのクランディニンらの研究で、「ナラティブ的探究」(narrative inquiry/以下NIと略)として広く知られているものだ。日本への紹介者である田中昌弥は、クランディニンらの著作の翻訳12) に際して、そのあとがきで次のように述べている。

(前略)子どもたちは、皆、ストーリーを生きている。(中略)そして、子どもたちへの愛情と、学校という制度のはざ間にいる自分たちを見つめ直しながら、時にしたたかに、時に我を忘れて子どもたち支えようとするジャネットら教師たちも、それぞれが挫折体験も含む人生のストーリーを生きている。(中略)「問題行動」と見えるものの背後にも、じっくりとした成長の基盤にも、その子のかけがえのない人生のストーリーがある。(後略)13)

 クランディニンは、日本臨床教育学会第2回大会に招かれ「ナラティブ的探究の可能性-動きの中で一人ひとりの生をとらえる」と題した記念講演を行っている。その内容を伝える講演概要14)には、「NIの要点」が7つ挙げられ、その4番目として「ストーリーを生き、語り、語り直し、生き直す」というプロセスが示されている。以下に引用する。

(前略)参加者たちがストーリーを生き、語ったフィールドテキストが第一段階であり、それを語り直す第二段階では、生き語られたストーリーの探究をまとめたリサーチテキストを書きます。そして、中間リサーチテキストを参加者と対話しながら作り、さらにそれを参加者に戻し、話し合いを重ね、共にテキストを調整していきます。15)

 私は本学会第3回大会(2013.7.14)において、本論文と同じタイトルでの自由研究発表(実践事例研究)を行っている。資料を配付せず、思いのままにストーリーを語るスタイルでの発表であった。参加した同僚(養護教諭・教職大学院修了生)は「テキストとしては読ませてもらって、時折カンファレンスもしてきたが、このように改めて語り直したものを聴くと、また違った印象がある」とし、「同じ職場にいながらも、生徒や先生のストーリーを十分に共有できてはいなかった」との感想を述べていた。庄井氏もコメンテーターとしての立場から「葛藤を含めたナラティブを語り合う応答的な関係を通して、こどもの現実に伴走しながら、語られなかったライフヒストリーを編み直し、紡ぎ合うことが期待される」との趣旨の発言で、今後の研究的実践の方向性を指し示して下さった。

 加えて自ら事務局を務める「こどもの姿を語る会・北海道」の夏の学習会(2013.8.25)においても、上記研究発表を踏まえて作成されたリサーチテキスト(発表用資料)を検討して頂く機会をもった。本学会の会員も2人参加して下さり、札幌市が進める「相談支援パートナー」(不登校生徒支援事業)も務めるフリーススクールスタッフの方は、「大事なことは、こどもとの会話の中で構成されるものなので、語ってはいけない」との意義深い指摘をして下さった。本学会の事務局を務める大学講師の方も、教師アイデンティティは対象のあり様によって揺らぐものであり、「こどもの姿を語る=こどもの内面を推察し、想像し、寄り添うこと」も、ともすると教師目線となってしまい、矛盾を解決した「つもり」になってしまうのでは、との趣旨で感想を述べて下さった。

 これらの機会は、クランディニンの言う「中間リサーチテキストを参加者と対話しながら作る」段階に対応していたように感じる。しかし、「話し合いを重ね、共にテキストを調整する」ことには至らず、要点の5番目として示された「最終リサーチテキストへの移行」における「探究者と参加者のやりとり」を継続することは叶わなかった。その点で本研究は真性の「ナラティブ的探究」であるとは言い難い。さらに、本研究は不登校の当事者である生徒のストーリーよりも、発達援助の当事者である私自身のストーリーの変容がその対象となっており、通常の「ナラティブ的探究」以上に、教師としての「自己の振り返り self reflection」に重きが置かれている。その様な不十分さを自覚しつつも、「ナラティブ的探究」の方法論を参考にしながら「教師としての自己物語の変容」に迫ろうとする中で、「NIの要点」の7番目にある「動きの中での人生を理解する」ことが可能となったようにも思われる。

 以下、次節では田中氏によるNIの紹介16)を参照しつつ、自らの援助実践記録を「フィールドテキスト」として扱い、それをNIの観点を援用しつつ分析・再叙述することに取り組んでみたい。

【注】
5)J.ブルーナー(岡本夏木他訳)『教育という文化』岩波書店(2004)
6)野口裕二『物語としてのケア ナラティヴ・アプローチの世界へ』
                      医学書院(2002)pp.37-40
7)高垣忠一郎『生きることと自己肯定感』新日本出版社(2004)
                             pp.117-135
8)庄井良信「学びの共同性と生活指導」折出健二編『生活指導』 
                       学文社(2008)pp.60-73
9)やまだようこ編『多文化横断ナラティブ-臨床支援と対話教育』
                    編集工房レイヴン(2013)p.17
10)庄井良信「ナラティヴ・ラーニングの概念と研究デザイン
       -生成的実験法の臨床的拡張を求めて」             
 日本臨床教育学会編『臨床教育学研究 第0巻』群青社(2011)pp.58-69
11)前掲書p.64
12)D.ジーン・クランディニン他(田中昌弥訳)
     『子どもと教師が紡ぐ多様なアイデンティティ
      -カナダの小学生が語るナラティブの世界』明石書店(2011)
13)前掲書p.308
14)D.ジーン・クランディニン「ナラティブ的探究の可能性
              -動きの中で一人ひとりの生をとらえる-」
               日本臨床教育学会第2回大会記念講演概要 
日本臨床教育学会編『臨床教育学研究 第1巻』群青社(2013)pp.197-199
15)前掲書p.198
16)田中昌弥「カナダにおける教師のアイデンティティ形成と
       日本の教師像のこれから」田中孝彦・森博俊・庄井良信編『創造現場の臨床教育学-教師像の問い直しと教師教育の改革のために』
                     明石書店(2008)pp.345-370
同「臨床教育学の課題とナラティブ的探究
    -教師の専門性と子どもの世界を読み開く」日本臨床教育学会編   
          『臨床教育学研究 第0巻』群青社(2011)pp.44-57

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