見出し画像

自己物語探究の旅(6)

 公立中学校の教員になって23回目の春を迎えました。3・11直後に書いた以前の連載(「音楽・平和・学び合い」4)を、私は次の様に書き始めていました。
(以下引用) http://archive.mag2.com/0000027395/20110427021141000.html 
 新年度を迎え、新たな出会いの中で慌ただしく過ごした4月も最終週となりました。「春」だけに気持ちも「張る」季節ですが、頑張りすぎて張り詰めすぎずに、ただし胸はしっかりと張って、目の前の子ども達と共にありたいと願う今日この頃です。
(引用以上)

 このマニフェストから早7年が過ぎ、
その後私は転勤を3回経験しています。(本連載2参照のことhttp://archives.mag2.com/0000027395/20171225225020000.html)
4年ぶりに転勤のない4月を穏やかに過ごし、ここ数年いかに張り詰めた日常を送ってきたのかと、改めて振り返っています。自身が壇上にいない離任式/着任式を、体育館のフロアでゆっくりと味わうことのありがたさ。1年前には離任式を退場したその足で、娘の発達相談のため保健センターへ急いだのでした。

 4年前は2005年に開校した札幌市で一番新しい中学校の研修部長として開校10周年授業公開を取りまとめ、記念式典で自作のファンファーレを指揮したのを最後に、吹奏楽指導の指揮棒を擱きました。3年前は教員20年目の節目で、部活をしない条件で転勤した先の研究係として「授業のユニバーサルデザイン(授業UD)」に取り組み、開校30周年記念誌に研究のまとめを書きました。2年前にはその隣の学校で拠点校指導教員としての仕事を始め、担当した初任の音楽科の先生と共に開校40周年を支え、昨年度は訪問校の50周年に合わせて、校外のホールを借りた合唱コンクールや記念式典にも参画することができました。2年続けて配置されることとなった現任校は3年前に開校40周年を終えていますので、今年は転勤がないだけでなく、周年行事にも関わらない久々の年度となります。

 「3年は続ける」と決意して始めた初任者指導の仕事ですが、配置校では昨年と同じ校務(情報管理係:機器管理、玄関TVモニター担当、HP更新、学校便り作成・配布…)とティームティーチング(昨年度の数学に加え英語も)をこなしながら、英語科の初任者と理科の2年目教員の指導を担当します。訪問校は一昨年度の配置校でもあり、そこで国語・数学・美術の3人を担当します。3年で保健体育科と家庭科以外は全て担当することとなり、自ずと新教育課程の柱の一つである「カリキュラム・マネジメント」を意識する毎日です。昨年度は配置校で特別支援学級の副担任も務めましたし、訪問校でも特別支援学級担任を担当しましたので、教科や領域を横断した指導には慣れてきたものの、悲しいかな自身の専門である音楽科の学習に関わることは、ほとんど無くなりそうです。

 考えてみれば生徒は日々9教科に加え、特別活動・総合・道徳も学んでいるわけで、その慌ただしさは我々教師以上のものかもしれません。そんな中、上掲の旧稿(「音楽・平和・学び合い」4)で紹介した福島県の「とんたんさん」こと坂内智之先生(郡山市立小学校教諭)は、若い仲間お二人と共に「みゆき会」を名乗り、『学びのカリキュラム・マネジメント』(学事出版 2016)を提唱しています。私は著者の一人である古田直之先生(札幌市立開成小学校教諭)が札幌に移られたタイミングで懇意となり、古田先生を「こどもの姿を語る会」にお誘いして、2013年からは事務局にも入って頂きました。当時私が所属していた「教育人間塾」(村山紀昭氏主宰:元北海道教育大学学長)にも一緒に参加するようになり、縁がつながって坂内先生を招いた学習会を2014年の1月に札幌で行うことが出来ました。以下は古田先生がご自身のブログに書かれた報告です。

(以下引用)
 
http://manabitudukeru.seesaa.net/article/425915282.html

 村山紀昭さんの主宰する「教育人間塾」に私の大切な友人の坂内智之さんがきて話をしてくださいました。発表内容は「放射線教育の実際と課題」「これからの授業とは~方法と人を超えて」の二本立てです。坂内さんとは郡山の赤木小学校時代の同僚。毎日たくさん話をして、教育に対する大切な核となる部分を私に気づかせてくれた人です。今回の話も坂内さんらしい、教育の本質に迫るものでした。
 「なにをやってもうまくいく教師」がいる一方「なにをやってもうまくいかない教師」がいる。結局「方法」や「技」で子どもたちが動くわけではない。結局、最後に残るものは「教師の姿(在り方)」でしかない。と坂内さんは述べます。これは私も常日頃から考えていることです。うなずきながら聞きました。
 私が一番心に突き刺さった言葉は「教師ははじめから教師なのではない、子どもたちと対峙していくことで教師になる」という言葉です。はじめからベストな答えなどない。必ずうまくいく、などというものものない。迷いながら、悩みながらも、目の前の子どもたちをしっかり看て、自分ができることを積み重ねていく。そんな日々が、教師を教師にしていくのでしょう。そんなことを感じました。
 坂内さんが新しい授業の可能性として話をしていた「アダプティブ戦略」。これは最適な方法などはない、それをしっかり理解したうえで「構え」をなくし、子どもの状態に合わせていく、というやり方です。子どもたちの様子・状態を素早く見極めて、効力があったら投資する。効力がなければ軌道修正・もしくは取り止めをしていく。このような戦略です。
 これは、「見る」ではなく「看る」ことができる。すなわち「目」だけではなく、「耳」「手」「感覚」すべてをつかって子どもたちの状態を看取ることができる教師にしかできないやり方です。私にはまだ簡単に「できる」とはいえません。だからこそ追い求めていく必要がありますね。
 「方法」や「人」を超えた先にあるもの。それを見極められる人へとじっくりと成長をしていきたい。そんなことを強く考えさせられる時間でした。素敵な機会をくださった村山さんに深く感謝いたします。
(後略:引用以上)

 古田先生が強調する「子どもたちと対峙していくことで教師になる」というあり方は、私が教師教育に関わるようになって改めて痛感していることです。冒頭で引用した「目の前の子ども達と共にありたい」との願いとも重なります。配置校で所属している2学年の学年開き集会(4/10)に、私は訪問校勤務のため参加できませんでしたが、次のようなメッセージを代読してもらったのでした。
(以下引用:前略)
 縁あって、新川中での2年目を迎えることができました。若い先生を支える仕事を選んで3年目です。先生の仕事は「生徒を育てる」ことですが、実は「生徒に育てられて、先生になる」のだと思います。皆さんが育つ姿を見守りながら、皆さんと共に成長していく若い先生方を、精一杯支えたいと思います。
 でも週に2日は、他の学校にいるので、直接皆さんのそばにいることはできません。そんな時こそ、みみをすまして、みえない想いをつなぐ役割を果たしたいと思います。今年一年、よろしくお願いします。
(引用以上)

 教師23年目の春、ようやく力を抜いて、ありのままに教師である自分を受け入れて仕事に向かおうという気力が湧いてきました。今回も最後に旧稿を紹介して記事を終えます。約1年前、初任者指導1年目の終わりに地元の民間教育研究団体の依頼で書いた文章です。今年こそ、ここに書いた願いを心に留めつつ、誠実な仕事をしたいと気持ちを新たにしています。読者の皆様におかれましては、どうぞ連休で英気を養い、それぞれの人生を豊かにお過ごし下さるよう願っています。

(以下引用)
2017年 北海道民間教育研究団体連絡協議会(道民教)『研究の基調』より「教師は今」
・教師の現状と課題
 2016年度から「初任段階における研修」(以前の初任者研修が2年間で実施されるようになった2年目)に係わる仕事(拠点校指導教員)をするようになりました。自分自身が教師20年目にして職場で様々な困難を経験し、適応障害を疑われるまでに追い込まれた結果、多くの関係者のまなざしに支えられて選んだ新たなライフステージです。自身は授業がほとんど無く、担任・部活・校務文章といった責任ある仕事からも解放されましたが、だからこそ見える様々な課題があります。
 何と言っても一番に挙げるべきは、先生方があまりに多忙であるということでしょう。私が担当しているある初任の先生は、臨採1年の経験でいきなり2学年の担任、授業は多い時で週22時間、部員50人を越える部活も一人で指導し、校務では全校生徒を動かす行事を任されています。少しでも支えたいと見守っていますが、「これくらいは一人でこなさねばならない」という(間違った)責任感から、必要な手助けを求められず、差し伸べられた支援も拒んでしまうという悪循環に陥っています。
 国が言う「チーム学校」のかけ声もむなしく、「教師が子供と向き合う時間の確保」という本来の趣旨とは裏腹に上意下達のマネジメント体制はますます強まり、書類作りや関係者との打ち合わせといった本務外の仕事も増える一方です。札幌では2017年度からの政令市委譲が迫り、年度の途中にもかかわらず次年度を見越した書類提出が求められました。「学校職員人事評価制度」についても自己目標シートの様式が改訂され、これまで以上の管理強化が進められています。相次ぐ不祥事(現職教頭の飲酒運転、若手教師のわいせつ…)に対しても、本来あるべき背景の読み開きと環境改善はなされずに、相変わらずの指導の徹底が言われるだけで、現場の萎縮は留まるところを知りません。「特別の教科 道徳」の全面実施も近づき(小学校では次年度が移行最終年度)、中学校でもまずは形からと、年間35時間の確保が叫ばれています。そんな中、精神疾患による休職者が全国で五千人超という状況は十年来変わらず、「新人教員10年で少なくとも20人が自殺」といった報道もなされる程に、教師を巡る労働環境は劣化の一途にあると言わざるを得ません。

・学校づくりへの展望
 2016年度の「研究基調」において、太田一徹先生は「子どもに目を向け、子どもから出発する」「子どもを真ん中に据えた教育(実践)を徹底して行うこと」を提起しておられます。筆者もまた「こどもの側に立つ=こどもの発達に寄り添う/こどもを主役とする」ことを信念として、様々な実践に取り組んできました。しかし、この私の「支えとするストーリー」(カナダの教育学者クランディニンの用語)は、管理と秩序維持を旨とする中学校の生徒指導文化(ドミナント・ストーリー)との間で強い葛藤をもたらし、教師としての自己肯定感や効力感・有用感が失われたと思わされることもしばしばです。
 福井雅英先生から「話しかけようとすると、パソコンを立ち上げてコミュニケーションを拒否する若手教師」のエピソードをお聴きしたことがあります。残念ながら、この風景はもはや他人事ではありません。福井先生は『子ども理解のカンファレンス』(かもがわ出版 2009)において、「困難を抱えた同僚の声を深く聞き取り、一人で矢面に立たされるという孤立感をもつことのないように」と指摘しつつ、「共同で子ども理解を深める工夫」こそ学校づくりのポイントであるとしています(p.196)。庄井良信先生は同様のことを「職員室にも、地域にも、自分のつらさ、弱さ、せつなさを、安心して語り合える場をつくること。ひとりの援助者として素直に感じている世界を安心して語り合い、聴き取り合う場をつくること」と表現しています(『いのちのケアと育み 臨床教育学のまなざし』かもがわ出版 2014 p.51)。互いの弱さや生きづらさを、それ故に支え合う(ピア・サポート)契機とできるような人間的感性の恢復が、学校現場に求められています。それを実現する同僚性の構築を可能とするためには、ゆとりある労働環境を教師に保障する施策こそ最優先されるべきでしょう。まずは自分の現場で、こどもや保護者、同僚らと共に何ができるかを考え、語り合い励まし合いながら、互いのまなざしを重ね合っていきたいと思います。

参考資料:笹木陽一「音楽・平和・学び合い(4)」(2011)http://archive.mag2.com/0000027395/20110427021141000.html

      〃  「自己物語探究の旅(2)」(2017)http://archives.mag2.com/0000027395/20171225225020000.html

   〃  「教師は今」北海道民間教育研究団体連絡協議会(道民教)編   
                  『2017年研究の基調』所収(2017)道民教HP http://douminkyou.okoshi-yasu.com/

坂内智之・柚木ミサト・木村真三
     「放射線になんか負けないぞ!」太郎次郎社エディタス(2012)坂内智之・高橋尚幸・古田直之
「子どもの書く力が飛躍的に伸びる! 学びのカリキュラム・マネジメント」 
                          学事出版(2016)坂内智之氏ブログ「もっと!とんたんの学び合い帳」 
                     http://d.hatena.ne.jp/tontan2/古田直之氏ブログ「furu-t 学び続ける日々」 
                   http://manabitudukeru.seesaa.net/D.ジーン・クランディニン他(田中昌弥訳
  「子どもと教師が紡ぐ多様なアイデンティティ
   -カナダの小学生が語るナラティブの世界」明石書店(2006/2011)太田一徹「子どもをうけとめ、子どもに学び、子どもと共に」
      日本作文の会編『作文と教育』連載 本の泉社(2010-2011)福井雅英「子ども理解のカンファレンス 育ちを支える現場の臨床教育学」
                        かもがわ出版(2009)庄井良信「いのちのケアと育み 臨床教育学のまなざし」
                        かもがわ出版(2014)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?