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自己物語探究の旅(8) 

 過日の大阪北部地震に際して、亡くなった尊い命に哀悼の意を捧げると共に、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。教育に携わる者の一人として、学校の外壁が若き命を奪ったことを真摯に受け止めたいと思います。遠く札幌でも地震翌日には教育委員会による外壁状況調査が行われました。札幌の地下にも断層があり、直下型地震と無縁ではありません。
https://www.city.sapporo.jp/kikikanri/aramasi/documents/kigyo_bosai_chapter1.pdf
 
 私が震災支援活動につながるきっかけとなったのが、2010年1月に起きた、ハイチ大地震でした。その時に縁をいただいた神戸の「被災地NGO恊同センター」「CODE海外災害援助市民センター」代表・村井雅清さんは、「大阪北部地震ニュースブログ」で次の様に発信しておられます。

(以下引用)http://ngo-kyodo.org/osaka-jishin/
大阪北部地震に関するニュース 第6報 
2018年6月23日
(前略)私たちは、阪神・淡路大震災後、次のような小学校6年生が書いた「詩」に感動し、反省もさせられたのを思い出す。
「きっと神様の罰があたったんや」
「もう、モノはいらん。ぜいたくはいらん」
「水も、電気も、何もかも、ムダに使うとった」
「消防も、警察もこえへん(来ない)。
 いざというときは、やっぱり、ご近所さんや」
「これからは、自然をいじめんの、やめとこ」
という詩だ。
今回の地震を気に、
もう一度この小学校6年生のメッセージを受けとめたい。
(引用以上)

 
 私はこの詩を、東日本大震災が起きた次の年に村井さんから直接送って頂いた著作(『阪神大震災 市民がつくる復興計画-私たちにできること』神戸新聞総合出版センター1998)で知りました。第三章「こころの豊かさを求めて」にはこの詩が冒頭で引用され、続けて次のような意義深い指摘がなされています。
(以下引用)
 寒い中、校庭や空き地でたき火に手をかざし、無事を喜び合い、生きているだけで幸せだとうなずき合った。階層社会が消え、つかの間のコミューンが出現した、家は雨風を防ぎ、衣服は体を保護する装置であることを知った。モノは、そのブランドの名前ではなく、本来の機能によって大切に扱われた。人はだれも優しくなり、助け合い、肩書ではなく出せる力で役割を担い合った。学者はこれを「震災ユートピア」という。ユートピアは長続きしないというが、そこで見たことの記憶はまだ消えていない。
(後略:引用以上)

 
 この記述は阪神大震災から3年余りを経て書かれています。今からちょうど20年前の著作ですが、東日本大震災、熊本地震、そして今回の大阪北部地震と度重なる震災を経てもなお、「震災ユートピア」とは程遠い悲しい現実がこの国を覆っているよう感じます。朝日新聞は大阪北部地震の翌日、次のような記事を報じていました。

(以下引用)
地震後に差別的ツイート相次ぐ 法務省が注意喚起の投稿 
2018年6月19日
 近畿地方を18日に襲った大阪北部地震後に、ツイッター上で外国人に対する差別的な投稿が相次いでいる。「地震に乗じてヘイトをあおっている」などと批判も出ており、法務省も「真偽をよく確かめて」と注意を呼びかけている。
 「地震が起きると外国人が悪事を働く可能性が高い」「重要文化財が壊れている。地震のせい!? 外国人の可能性も!?」――。地震後、ツイッターにはこうした投稿が相次いだ。これに対し、ネット上では「震災をダシに差別をあおるな」などと批判が殺到。法務省人権擁護局もツイッターで「災害発生時には、インターネット上に、差別や偏見をあおる意図で虚偽の情報が投稿されている可能性もあり得ます」などと冷静に行動するよう呼びかけた。
 同省によると、災害時にこうした投稿をするのは初めて。「災害時はデマがありうるため、いち早く注意喚起した」という。ツイッター日本法人によると、人種差別的な投稿などがあった場合は投稿者に削除を求め、応じなければアカウントを永久に凍結するなどの措置をとっているという。
 過去には、2016年の熊本地震の際に「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」といったデマがネット上で出回った。95年前の関東大震災でも、同様のデマにより朝鮮人らが殺害される事件が起きたとされる。
(引用以上)

 
 何とコメントしたら良いのか…。「こころの豊かさ」とは対極にあるような切ない内容ですが、これも「ヘイトスピーチ」が日常になったこの国の一つの風景であることを認めざるを得ません。庄井良信氏は、こういった状況を「白い闇」と呼び、にもかかわらず希望を紡ぐ可能性を、次の様に書いています。
(以下引用:前略)
 いま、混迷を深める社会状況のもとで、〈白い闇〉のなかにほんのりと浮かび上がる灯火(ともしび)を捜し求めて、自らの生き方を問い、歩み続けている人々がいます。そのまなざしは、ときに研ぎ澄まされ、ときに曇らされることもあります。自分のまなざしは、信頼できる他者のまなざしと響き合って一つの景色を創ります。私たちが創り合うべき未来の景色を、〈いのち〉のケアと育みという思想を共有しながら、ともに描き合いたいと思います。
(後略:引用以上)

 
 「まなざしの響き合い」とも呼べるエピソードとして、村井さんとの出会いについて書いた旧稿を紹介し、今回の原稿を終えます。4月の記事で触れた「カリキュラムマネジメント」にもつながる仕事の記録で、今から8年前、東日本大震災の前年に二校目(札幌市立陵北中学校)で生徒会部の代表として取り組んだ実践です。相変わらず引用だらけの駄文にて恐縮ですが、もうしばらくお付き合いください。
 
(以下引用)
札幌市教職員組合平和教育実践講座レポート
「領域横断的な平和教育を求めて
 ~教科・道徳・総合・特活(生徒会)をつなげる平和教育の実践」より 
                              (2010) 
5.生徒会活動を通した平和活動の実践
(前略)今年1月にハイチを襲った大地震。チャイルド・ファンドの活動を継続していた生徒会事務局であったが、この未曾有の大惨事に対して何かできないかと、新たに生徒会長となった2年生の生徒が相談にやってきた。ちょうどそのタイミングで前述の「非戦音楽人会議」に次のような投稿があった。
 
2010 1/25(月) 00:31
神戸にあるラジオ関西の西口です。
ラジオ関西では、ハイチ大地震の被災者に、日本・神戸から支援メッセージを送ろうというキャンペーンをスタートさせました。これは、CODE海外災害援助市民センターの協力のもと行うもので、15年前を経験した神戸、もしくはこの間の様々な災害と向き合ってきた日本に住む私達からハイチの人々に140文字のメッセージを送ろうというものです。きっかけは、CODE事務局の村井雅清さんからの「物資だけではない支援として、神戸発のメッセージを届けないか?」という電話でした。現在、CODEのスタッフがハイチを目指しており、ハイチに入り次第、ラジオ局や地元紙に随時メッセージを届ける予定となっています。(中略)ぜひ、みなさんもお寄せください。メール、ツイッターで受付中です。
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「神戸からハイチへ 応援メッセージを送ろうキャンペーン」
 1月12日に発生したハイチ大地震。その壊滅的な被害は、連日私達日本に住む私たちの元へ届けられています。国際社会は、ハイチの被災者支援に向けて動いています。日本からも様々な支援物資、義捐金が送られ始めました。そんな中、ラジオ関西では、神戸からハイチの被災者を励ますメッセージを送ることを呼びかけます。
 15年前、阪神淡路大震災。ラジオ関西は震災直後から放送を続けました。被災者からは2万件の安否情報が寄せられ、「ラジオから届く情報に、メッセージに励まされた。物資と同じくらいありがたかった」という声を多くいただきました。大地震のショックに打ちひしがれる中で、何よりも心強いのは"つながり"。「あなたたちを見守っているよ」「応援しているよ」というメッセージもまた、ハイチの被災者への「支援」になるはずです。集まったメッセージは、現地の言葉に翻訳し、新聞に掲載するなどして伝えます。ぜひお寄せください。
 
 このことを生徒会長に伝えたところ、ぜひ取り組んでみたいとのこととなり、会長は次のような提案文をすぐに作成してきた。
 
❤ ハイチ地震の被災者にメッセージを・・・
 皆さんは、ラジオ関西で行っている活動で、ハイチ地震の被害者に「神戸から応援メッセージを送ろうキャンペーン」という活動があることを知っていますか?この活動を主催しているのはラジオ関西という関西のラジオ局です。ラジオ関西では15年前の阪神淡路大震災の被害を伝える中で、何よりも心強いのは一人一人の“つながり”と感じ、その経験をもとにこの活動を始めたそうです。ハイチ地震では、多くの方が命を落とし、家族を失いました。そんな人々に、何かできることはないのだろうか?何らかの方法でつながりを持つことはできないだろうか?と私たち生徒会本部は考えていました。そんな時にこの活動を知り、生徒会本部は、このラジオ関西の「神戸からハイチへ 応援メッセージを送ろうキャンペーン」に参加することにしました。
 この活動はハイチ地震の被災者を励ますメッセージを送るという活動で、募金よりも簡単に取り組める活動です。みなさんの暖かいメッセージもまた、ハイチ地震の被災者へ「支援」になるはずです。集まったメッセージはラジオ関西に送り、CODE海外災害援助市民センター協力のもと、現地の言葉に翻訳し、新聞に掲載するなどして伝える予定です。詳細や、メッセージ用紙などは、また後日生徒会便りを発行しお知らせします。皆さんのご協力よろしくお願いします。
 
 この提案は生徒会の事務局会で賛同を得て、チャイルドファンドと平行して、募金とメッセージの募集を行うこととなった。子ども達からはたくさんのメッセージと募金が寄せられ、すぐにラジオ関西とCODE海外災害援助市民センターを通して届けていただいた。その後ラジオ関西からの紹介で、CODE事務局の村井雅清さんとつながり、CODEのメーリングリストにも参加させていただくようになった。以下はそこに配信されたハイチ支援のレポートの一部である。
 
ハイチ地震レポートNo.32 2010 2/18(木) 13:53
 2月12日のメールでお伝えした通り、地震から1ヶ月の追悼記念日を迎えました。政府は金曜、土曜、日曜と3日間を国家的な追悼の日としました。従って午前中、私は「Petit Riviere」と呼ばれるコミュニティにモバイルクリニックを設置しに行きました。数メートル離れた場所で治療が行われている間、地域の人達は地元の教会(教会の残骸というべきか)に集まり、祈ったり賛美歌を歌ったりしていました。どこに行っても皆同じようにしている様はとても感動的でした。早朝6時に、隣の養護施設の修道女が歌い始めました。近隣のキャンプでも歌が始まりました。どこも感動的な雰囲気で、人々は祈り、愛する人を偲んで泣き、歌い、互いに支え合っていました。何か信じられないような気持ちになり、たいへん興奮しました。
 午後にはコロンビア赤十字にいる私の友人が訪ねてきて、子ども達に物資を届けてくれました。そこで私は彼らを町にある3つの孤児院に案内しました。最初の孤児院では、子ども達は笑顔で迎えてくれました。次の孤児院に行くと、子ども達は中庭に集まっており、自分たちの体験を語り合ったり、歌ったり遊んだりするセッションを行っていました。車椅子に乗った6歳の女の子が前に出てくると、皆素晴らしい歌を歌い始めました。その女の子が生き続けるのを励ます歌なのです。なんて感動的なのでしょう!
 最後に3つめの孤児院に行きました。ここは女の子の孤児院です。私たちが積み荷を下ろしていると、突然、女の子達が全員、フランス語で美しい歌を歌い始めました。歌はこんな意味のようです。「ありがとう、ありがとう、私たちを支援してくれてありがとう。太陽の光で私たちを照らしてくれてありがとう。生きる希望を取り戻させてくれてありがとう。暮らしに喜びをもたらしてくれてありがとう……」言い表せないほど心を揺さぶる光景で、コロンビア赤十字の友達も、私も涙が止まりませんでした。
 胸がいっぱいになったまま、私はキャンプに戻りました。本当に特別な日でした。言葉でこの感情を全て表すことは難しいですが、挑戦しています。
 
 この文章は生徒にも紹介し、改めてメッセージの募集を行った。この一連の取り組みは村井さんの紹介で新聞社の知るところとなり、電話取材を経て日本経済新聞で記事となり、広く紹介されることとなった。以下は日経の記事より抜粋。
 
日本経済新聞 2/27夕刊
ハイチに届け、阪神の激励──NPOメッセージ募集、ラジオで放送
 大地震の被災者を元気づけようと、神戸市の特定非営利活動法人(NPO法人)が集めたメッセージが現地のラジオ局で流れている。「みなさんの苦しみ、悲しみに心が痛む」「生きる希望を捨てずに」。阪神大震災を経験した市民らから約80件が寄せられ、約400万円の募金も集まった。犠牲者が30万人に達する恐れもあり、関係者は「真心を込めた支援に努めたい」と話す。「世界中の人々がハイチの苦しみ、悲しみを理解しています。パニックにならず、祈りましょう。水や食糧を分け合い、命をつなぎましょう」
ハイチの首都ポルトープランスのラジオ局で1月末、激励の手紙が読み上げられた。メッセージを寄せたのはハイチ出身で大阪府富田林市に住む会社員、ピエールマリ・ディオジェンさん(24)だ。ディオジェンさんも姉(32)と弟(10)を亡くした。…
 地震直後に募金を始めた札幌市立陵北中学校(同市西区)では「ほかにも何かできないか」と話し合い、同センターの活動を知った笹木陽一教諭(39)の呼びかけで生徒らがメッセージを投稿。生徒らは「生きる希望を捨てないで」「現地には行けない代わりにみんなで募金しました」などと書き込んだ。笹木教諭は「復興の道のりは険しいと思うが、これからもハイチの人々に少しでも役に立つような活動を続けたい」と話している。
 
 ハイチ支援の取り組みは私の転勤があった為、3月までの短期で終了したが、会長のつぶやきから新聞でも紹介されるような大きな取り組みへとつながった。子どもたちには、こういった取り組みを通して「世界は変えられる」との実感を少しでも持ってもらいたいと願っている。それが生徒会のあり方を自治的なものに変え、「学校民主主義」の実現に近づくきっかけになったのであれば、担当者として望外の喜びである。
(引用以上)

 
参考資料:札幌市作成パンフレット「企業防災のすすめ」(2012)
https://www.city.sapporo.jp/kikikanri/aramasi/documents/kigyo_bosai_all.pdf
被災地NGO恊同センターHP http://ngo-kyodo.org/
大阪北部地震ニュースブログhttp://ngo-kyodo.org/osaka-jishin/
CODE海外災害援助市民センターHP http://www.code-jp.org/
村井雅清「災害ボランティアの心構え」ソフトバンク新書(2011)
市民とNGOの防災国際フォーラム実行委員会編
      「阪神大震災 市民がつくる復興計画-私たちにできること」
                  神戸新聞総合出版センター(1998)
庄井良信「いのちのケアと育み 臨床教育学のまなざし」
                        かもがわ出版(2014)
笹木陽一「領域横断的な平和教育を求めて
    ~教科・道徳・総合・特活(生徒会)をつなげる平和教育の実践」
          札幌市教職員組合平和教育実践講座レポート(2010)
チャイルド・ファンド・ジャパンHP https://www.childfund.or.jp/
非戦音楽人会議HP http://ilovepeace.com/
同フェイスブック https://www.facebook.com/hisenongaku/

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