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『料理雑記 その16:遥か遠き憧れのバルへ捧ぐ』

 仕事を終えての帰宅途中、いつものバルへと足が向く。若造の自分よりも年期の入った扉の磨りガラス越しに聞こえてくる酔客たちの喧騒に、疲れた心がわずかな陽気さを取り戻した。

「Hola!(こんにちは!)」
 扉を開けて声をかける。喧騒は止まず、見渡す店内の其処彼処から笑い声が上がっている。誰もがこの店の酒と料理と友人たちとの会話を楽しんでいるのが、熱気となり、肌で感じられた。

 酔っぱらいのお喋りに相槌を打っていた若いカマレロ(店員)のカルロスが笑顔をこちらに向ける。お好きなところにどうぞ、と目で語られた。 

 立ち飲み客でいっぱいのカウンターに出来た隙間を見逃さず、肩から身体を滑りこませる。どうやら今夜の呑み場所は確保できたようだ。

 チャコリ(微発泡性白ワイン)を注文した。頭よりも高く掲げられたボトルから勢いよくグラスに注がれる一杯の酒が、乾いた喉と気持ちを潤してくれる。
 さて、次はこの空っ腹を満たしたい。チャコリのお代わりとトルティージャを注文する。

「お前さん、またチャコリとトルティージャか。たまには他のもんを頼まないのか?」
 隣にいたパブロの爺さんが上機嫌で声をかけてくる。私が産まれる前からこの店でヘレス(シェリー酒)とヒルダ(アンチョビ、オリーブ、酢漬けの青唐辛子のピンチョス)しか頼まないアンタに言われたくはない。
 お互いさまじゃないかよ爺さん、と曖昧な笑顔で返事をしておいた。

 杯を重ね、酔いがまわる。自分はこの店のトルティージャと添い遂げる覚悟があるのだと熱弁を振るっていると、不意にテーブル席の方が一層騒がしくなる。赤らんだ顔のレオナルドが席を立ち、カスタネットを手にフラメンコを踊り出した。
 いつものアレだ、待ってましたと歓声があがる。囃し立てるような手拍子と口笛、上着を脱ぎ捨てたレオナルド、呆れ顔のカマレロ、どこからかギターを持ち出した店主… どうやら今夜も大騒ぎになりそうだ。
 こうしてバルの夜はふけてゆく。愉快な友人達との時間を、今日もまた一つ積み重ねて。

 はいそんな妄想小噺は置いておいて。今回もスペイン話である。

 ちなみに私は一度もスペインを訪れたことがないので、紹介する内容については他者からの伝聞やネットなどで調べたものになる。
 可能な限り正確な情報を記したいとは思うが、間違いや勘違いがあればご容赦願いたい。

 さて、スペインの方々の生活に深く関わる飲食店と言えば、前述の小噺の舞台にもなったバルである。
 バスク地方の美食の街として名高いサン・セバスティアン旧市街地に連なるバルの名店達は特に有名だが、スペインのどこの街でも人が集まるところにバルは軒を連ね、多くの人で賑わいをみせている。

 イタリアのバルはコーヒーやジェラートの提供が主となる軽食喫茶としての面が大きいが、スペインのバルではそこに更に食堂、居酒屋、コンビニといった面が加わる。

 例として、出勤前の朝食(デサジューノ)にはクロワッサンやチュロス、コーヒーや果実のジュースを。
 11時頃からランチ前の食事(メリエンダ・メディア・マニァーナ)ではサンドイッチなどを。
 14時からのメインの食事(コミーダ)には定食をはじめビールやワインを。
 18時頃から夕食前の食事(メリエンダ)にはビールやタパス(小皿料理)、デザートを。
 21時過ぎの夕食(セナ)ではスープやサラダ、チョリソやチーズなどの軽めの食事メニューの提供を、といった具合だ。

 まずスペインでは1日の食事の回数が5回、という時点で驚きポイントではあるのだが、その全てをカバーできるバルの懐の広さにも驚きだ。もっとも、全てのバルが1日を通して営業しているワケではないようだが。

 そんなスペイン人の憩いの場であるバルだが、多くの店で特に力を入れるのが酒類と、そのつまみとなる料理の提供だ。そしてバルで提供される料理の代表が、タパスとピンチョスなのである。

 タパス(小皿料理)についての詳しい説明は次回にする予定なので、今回はピンチョスを紹介したい。

 ピンチョスと言えば、日本でもパーティー料理として定番だろう。様々な食材を串に刺して食べやすく提供するものと考えてもらえば、だいたいピンチョスで間違いない。

 名称としての由来はピンチョ(串)であり、先述したサン・セバスティアンにある『ベルガラ』というバルで瓶詰めのオリーブと青唐辛子とアンチョビを串に刺して提供したのが近代ピンチョスの始まりとされている。
 料理の定義としては「複数の食材が組み合わされている」「ナイフやフォークを使わずに一口で食べられる」「作ったらすぐに食べる」ものであり、必ずしも串に刺されている必要はなく、バゲットに食材を乗せて提供される場合も多い。

 料理名というよりは、もはや料理の一形態を指す名称という感じであり、使われる食材に定番はあっても、決まりはない。「ピンチョス」で画像検索した日にはその華やかな盛付けの数々に圧倒されること請け合いである。
 今回は自分の料理スキルとセンスの限界をひしひしと感じながらも、スペインっぽい組み合わせのピンチョスを4種ほど用意してみた。作るのも食べるのもお手軽なおつまみとして今後も重宝しそうだ。



~生ハムとキウイとチーズのピンチョス~
①皮を剥いたキウイを適当な大きさ(8等分)に切る。生ハムをお好きな形に巻いたりして形を整える。お好みのチーズも好みの大きさに切っておく。
② ①を順に串に刺し、オリーブオイル少量を垂らして出来上がり。



~ジャガイモとレモンのピンチョス~
※クラシル様のレシピより、一部改変
①ジャガイモの皮を剥き芽をとり、好みの幅に切って10分ほど茹でる。串がスッと刺さる程度まで。
②薄くスライスしたレモンにハチミツをかけて5分ほどおいておく
③刻んだアンチョビ、マヨネーズ、おろしニンニク少量、牛乳少量を混ぜてソースを作る。
④ レモンとジャガイモを串に刺し、③のソースをかけて出来上がり



~エビとウズラ卵のピンチョス~
※クックパッド様のレシピより
①玉ねぎ、ニンジン、ピーマンをみじん切りにする
② ①にオリーブオイル大さじ2、酢大さじ1を加えて混ぜ合わせ、ハチミツ少量と塩少量、一味唐辛子少量で味を整えたらラビゴットソースの完成
③ボイルエビとウズラ卵の水煮を串に刺して②のソースをかけたら完成



~タコとキュウリとオリーブのピンチョス~
①ゆでダコをぶつ切りにして、オリーブオイル大さじ1、レモン汁大さじ1、塩少量、コショウ少量、バジル少量で軽くマリネにする
②キュウリを適当な厚さに切り、種抜きのオリーブも半分に切る
③オリーブ、タコ、キュウリを串に刺して完成

ビールを片手に目移りしながら串を取る。
一串が眼を楽しませ、また一串に舌が喜ぶ。
ビール次はカヴァにしようか、それともシェリーでも開けようか。
酒が次の一串を呼び、一串にまた杯を重ねる。

気付けば酩酊、夢心地。
遥か遠き理想のバルへの想いの燻りを残し。
請い願う、気兼ねなく旅を楽しめる世の再来を


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