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ちっちゃいコトは気にするな

それワカチコワカチコ〜

って言いたくなった人は多分、いや間違いなく、すでに友達。チーム友達。
ワカチコ? 何それって思った人は正解。友達になりたい。
いや、如何にいわんや、言わんやろと思った人、最高です。ありがとうございます。お友達になっていただけますか?

ちっちゃいこと〜はでお馴染みといえばゆってぃだが、別にここでゆってぃの話をしたいわけではない。

そもそも、ワカチコって何?
ワカチコの意味を知っている人はこの世にどれだけ存在しているのだろうか、と言うどうでもいい疑問が突如私の頭に浮かんできた。ちなみに私はワカチコの意味を知らない。43年間生きてきて、それを考える機会も、考える必要もなかった。

noteと言うのは、素晴らしい機会を与えてくれる。
この度私はワカチコの意味を知ることとなった。

「若さ・力・根性」を意味する

Wikipedia 正直どうでもいい

そういえば、とある朝のことである。
私は次男が靴を履いてちゃんと家を出るかを確認すべく、彼の足元をみた。

私は彼を真っ当な人間に育てたいと思いながら子育てをしている。
テキトーな人間にならないようにと、宿題をちゃんとするように指示し、歯磨きをするように言い、ゲームを控えるように伝え、嘘をつかないよう注意し、とにかくちゃんとした大人になったらいいなぁって思ってる。そもそも、ちゃんとした大人ってなぁに?って思ってるけど。

まあ、そんなこんなで子育てをしているわけだが、どんなそんなな展開で、私はいちいち小学5年生の次男が朝、学校に行く際に靴を履いて家を出たかを確認しないといけなくなった。なぜって、彼は靴を履き忘れて家を出るという実績を残してしまったからだ。

私はその日の朝も次男の足元を一瞥した。彼はちゃんと靴を履いてはいたものの、よく見ると違和感しかない。

遅刻が危ぶまれる時間ではあったが、私は彼の足元を凝視した。
そう、じっと見つめたのだ。穴が開くぐらいにじっと。

違和感の正体。それは靴下にあった。
そう、悲しいかな彼は、左右全く色もデザインも異なる靴下を履いていたのだ。

「靴下、左右違うやん」
私が尋ねると、彼はふふっと笑った。

彼は知っていたのだ。靴下が左右違っていることを。
慌てて履いてしまい、気づかなかったのではない。靴下が左右揃っていることなど、彼にとっては瑣末なことなのだ。きっとどうでもいいのだろう。ワカチコワカチコである。「右足と左足に靴下を履いていればいい、柄も色も関係ないのさ」の境地に彼は達したのではないか、と私は感じた。

若さ、力、根性で朝のバタバタを乗り切ろうとしているのかもしれない。

私は子どもたちには心のおっきな人間になってほしいと願っている。靴下が左右違えども気にしない彼は、私が望んでいるとおり、ちっちゃなことは気にしないおっきな人間に育っているのだろうか。

私は誓う。
彼の靴下を全て、シンプルな黒い靴下にすることを。




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