つまらないセックスが、私を救うことだってある。
死にたい。
そんなことを思ったのは人生で初めてだった。死にたいなんて思う初体験、正直なところ私の人生に必要ない。むしろ、いらない。熨斗つけてお返ししますね、神様。
そんな冗談が言えてしまうから、たぶん私は恵まれている人生を歩んできたんだと思ってる。
きっと、死にたいって思う人は、この世の中に星の数ほどいるんだろう。だけど、星の数ほどいそうな中で、私はその星の群衆の中にはいなかった。今までの人生で私が死にたいなんて思ったことは、ただの一度だってなかったから。
眠って朝起きれば、大抵のことはそれなりに忘れてる。お酒を飲んで愚痴をこぼせば、まあまあスッキリしてる。嫌なことがあったと言ってみたところで、私の嫌なことなんて所詮その程度のものだ。死にたくなるくらいに辛いことを経験したことなんてなかった人生だった。恵まれてるよね。ありがとうね、神様。
だから、私は逆にずっと不安だった。
だって人生って、山あり谷ありなんでしょ?それがほんとなら私の人生には谷がなさすぎだ。だから、これからの人生、谷ばっかりだったらどうしようって本気で考えた時もあった。大した山もなかった気がするけど。
でも私にはクセ強な夫にかわいい息子たちがいる。幸せはちゃんと私の中にある。それってささやかでも山があったってことだよね。もしかすると谷だってあったかもしれないって思いたかったけど、周りはみんな私より大変そうに見えるし、私には谷なんてなかったんだろうなって、そんな気がした。
それに私はちっちゃい幸せを見つけるのが得意だから、大した山も谷もないフラットな道だって、幸せに生きていけるんじゃないかって根拠のない自信もあった。だからこのまま、平坦な道でも、ささやかな幸せを見つけながら、死ぬまで死にたいなんて思わない人生を生きるんだと信じてた。
でも、突如やってきたんだ。死にたい、が。
その時の私は息がうまくできなくなってた。息の仕方がよくわからなくって、喉がずっと詰まっているような感覚。吸っても吐いても、喉が狭くて十分な空気が入ってこないような感覚だった。苦しくて死にたかった。死んだら楽になれるような気がしてた。
実は死にたいって思った少し前から、息苦しいような兆候はあった。その頃の上司と合わなかった。とにかく、なんか合わない。そういうことって仕事をしてれば、生きてれば、どうしたってある。私はずっと、右半身が強張ってるなって気づいた。
そんな中、世の中は未知のウイルスに怯え出した。みんながマスクをつけるようになって、自粛生活を始めた。自由に動くこともできなくて、風邪でもひこうもんなら、そこに死があるような気がした。今思えば神経質だなって思うけど、当時はそんな人、多かったんじゃないかな?
当たり前にマスクをつけなきゃいけないけど、マスクをつけたら、私はもっと息苦しくなった。ただでさえ苦しいのにさ。呼吸をする時、肩が大きく動くのがわかった。私はいつも緊張してたんだと思う。
その頃はワクチンなんてものもまだなくて、人が死んでいくニュースばかりが目についた。ワクチンができたって、ワクチンの危険性に怯えてた。その上、仕事もうまくいかなかった。感染症対策の方法を考えないといけない仕事をしてたから、初めてのことばっかりになった。今までのやり方は何一つ通用しなくて、一旦全部組み直さないといけなかった。毎年やってた事業も今までどおりはできない。でも、コロナだからその事業は今年はやめますってことも許されなくて、よくわからないまま、仕事をこなす日々が続いてた。
感染者の波がやってくると、感染症対策が甘いとお叱りの電話ばかりが鳴り続けた。感染者の波が引くと、感染症対策が厳しすぎるとお叱りの電話の嵐だった。毎日クレームの電話やメールばかりで辟易するけど、電話を勝手に切ることは許されなかった。新型コロナウイルスの対策に正解なんてものはまだなくて、誰もが不安の中で生活をしていて、私はその不安をぶつけられる役割だった。私は壁になるしかなかった。私だってわかんないよ何にも、なんてことを言ったところで、それが仕事だろと言われるのは明白だった。
今までだって仕事柄、クレームの嵐ってなかったわけじゃないんだよね。でも、今回はダメだったんだよね。色々タイミングが悪かったのかな。あ、私ってこんなに弱かったんだって思った。私はもっと強いと思ってたし、周りにも強いと思われていることはわかってたから、弱い振る舞いがうまくできなかった。辛いって言うのも難しくって、大変だよって言った後に冗談で誤魔化すくらいの愚痴しかこぼせなかった。
別に死ぬほど大変な思いをしてるわけじゃないのに、色んなことが積み重なって苦しくなっていった。寝てる間にしんしんと雪がつもってくみたいに、気づかないうちに体の中によくわからないものが積み重なっていく。気づけばそれは私の体の中をいっぱいにしていった。たぶん喉のあたりまで、埋まってたんじゃないかな。真綿で首を絞められてるみたいに、柔らかい雪で溺れるみたいに、息ができなくて苦しい。
でも完全に首を絞められたわけじゃないから、隙間から酸素は入ってきたし、二酸化炭素は吐けてた。特に生活できないってこともなくて、ほんとはちゃんと息はできてるんだろうなってことは、私にも薄々わかってたけど、でも、苦しかった。
そんな時、私の耳に入ってきたのは同じ年の女優さんの訃報だった。自殺。
人の死っていうのは、無関係な人間の死であっても、それを自覚した途端、急にそばに寄ってくる気がした。死神ってヤツがいるなら、誰も気づかないうちに気がついたら背後にたってるようなヤツなんだろう。コロナ禍はいつも背中に死神がくっついていたような気がする。ごめん、どっかいっといてよ、死神様。
もしかしたら明日死ぬかもしれない、そんな風に考えながら生きていくのは初めてだった。戦時中はそうだったのかななんてことを想うと、胸が苦しくなった。当時の若くて元気なばあちゃんのことを考えると切なくなった。死について考える時、私が死んだら残された夫や子どもはどうなるんだろうと不安になった。私は知らないうちに死神と手を繋いでしまっていた。
生きていくって、少しずつ死んでいくことなのにね。普段生命力に満ち溢れてる時は、自分のそばに死があるなんて、微塵にも思わない。だけど、死はいつもそばにある。そんなことを自覚させられた気がした。そんな中、同じ歳の方の自殺という一報は、息苦しいと思いながら日々を過ごしていた私に、そういう選択肢もあるのか、と思わせた。
死んじゃえば、苦しいの、終わるのかなって。それ、羨ましいなって。今ならそんなこと思わないけどさ、そう思っちゃったんだよね。
その日の晩も息苦しかった。うまく息ができなくて、私はもう寝てしまうことにした。起きてると苦しいのに、どういうわけか寝てると苦しくない。寝てるときは無意識だからちゃんと息ができるんだってこと、私は知ってた。仕事中も、仕事に集中してる時は苦しくなくて、ふと力を抜いたら苦しくなる。
呼吸って意識してするもんじゃないんだね。意識すると息をするのが難しいってこと、初めて知った。あれ?右足出すんだったっけ?って壇上で右手と右足が同時に出ちゃうような感覚。苦しいとさ、呼吸を意識しちゃうから、余計に息ができないんだろうなって思った。冷静でいたいけど、それが存外に難しい。息をするって生きる基本なのに、そんなこともうまくできないなんて、生きてる意味なくね?って自分を責めたりしちゃうよね。バカだよね。責めないで優しくしてやりゃいいのにさ。
だから私は、生きてるの辛いからもう死にたいなんて、珍しく刹那的なことを考えながら、夕飯もそこそこに一人でベッドに入った。夫も息子たちも心配してくれてたのは知ってたけど、から元気を家の中で振る舞えるほど私は平気じゃなくて、その時はほんとにどうしようもなかった。とにかく目を瞑って眠ってしまいたかった。
そんなことを考えてベッドで横になってたら、夫がベッドに潜り込んできた。
唇を重ねて、服の中に手をいれて、胸を弄んで、セックスしようだって。
バカなのかな?って思った。私、苦しいって言ってるのにさ。何考えてんの?って。
「今、無理」
そう言うよね。当たり前に。だって苦しいんだもん。息もできないのに、なんでセックスなんてしないといけないのよって。アホらしい。お前の性欲満たすために私がいるわけじゃないんだけど。むしろ気を遣えよ、頑張ってる嫁によ、って思ったことは覚えてる。
でも、夫はお構いなし。苦しんでる嫁にセックスを迫る夫ってよくないよって思うけど、こういう時、普段は言わないような甘いセリフがスラスラ出てくるのってなんでなの?ズルいよね。ほんとに、もう。
私は色々考えるのめんどくさいし、ほだされちゃったのか、まあいっかって思った。そしてそのまま彼に体を委ねた。おかしなもんで、そんなに苦しいと思ってたのに不思議と体は反応した。愛なのかな。性欲なのかな。よくわかんないけど。それで私たちは普通にいつも通りのセックスをした。別に私の気分は盛り上がらなかったから、いつもよりつまらないセックスだったけど、さっきまで死にたいなんて思ってたんだから、そんなの当然だよね。急に盛り上がったらそれもおかしな話だよねって思う。
でも、そんなつまんないセックスが終わった瞬間、私は久しぶりにちゃんと息ができてることに気づいた。ほんのちょっと前まで死にたいなんて思ってたのに、生殖活動をしたら生きようって思ってた。アラフォーだし、赤ちゃんができても育てる気力も体力もないから避妊はしてるし、厳密に言うと生殖活動じゃないけど。
なんか笑えた。
夫は出すもん出したら、私の体を心配する言葉を投げかけて、キスをして、そして、そそくさと寝室を出て行った。そりゃそうだ。息子たちにヤッてたことを勘ぐられるわけにはいかない。大体、多感な時期の子どもたちが起きてるときに迫ってくんなよって思うけど、彼なりに私を励まそうとした愛情表現だったのかな。全くそんなそぶりはなかったけどさ。
私はよくわかんないけどアホらしいっていうか、面白いっていうか、ほんとによくわかんない気分になってベットから起きた。なんだかお腹が空いてて、ビールが飲みたい気分だった。リビングに行って、素知らぬ顔をして、残した夕飯を食べながらビールを飲んだ。
ビールはいつも通りに美味しかった。
おしまい
このnoteを公開後の後日談。
エゴとどう向き合うかについて、書いています。
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