山崎君との思い出

子どもの頃、私の住んでいた家は急な上り坂の突き当たりにあって、地形の傾斜自体はまだまだ続くため家の背後は半ば崖になっており、その崖の上には森があった。森の中には遊歩道があって、それに沿って鬱蒼とした木々の間を十五分ほど歩くとわりかし開けた野原に出ることができ、野の中央には小川が流れていた。小学二年生の時、二クラス五十人ほどの小規模の学年だったのになぜか高学年になる頃にはすっかり関係が疎遠になってしまった山崎君という子に誘われて、二人でザリガニ釣りをしたことを朧気ながら覚えている。私はザリガニ釣りに関して全くの無知で、道具の手配は全て山崎君に任せていたのだが、山崎君は竿にする割り箸とタコ糸、それと餌にする裂きイカを持ってきたのはいいものの、ザリガニを収容するためのバケツや水槽の類は全く持ってきていなかった。私は少し訝しんだが、この前読んだ本に出てきたキャッチ・アンド・リリースとかいうのがモットーなのだろうと考え、それを追究することはしなかった。野原に到着した私と山崎君は小川に近付き水面を見渡したが、一見したところザリガニはいなさそうだった。しかしザリガニの習性からして水草や岩陰に潜んでいることも十分に考えられ、それから三十分ほど流れに手を突っ込んで水草を掻き分けたり岩をひっくり返したりといった荒々しい行為を続けたが、一向にザリガニは見つからなかった。私と山崎君の間に微妙な空気が流れだした。手持ち無沙汰になった私は野原と森の境目辺りで湿地のようになっている地帯に移動し、沼の中に大量のオタマジャクシが泳いでいるのを発見した。季節は初夏だった。私はすぐに山崎君を呼んで二人でしばらくその黒々とした群れをしげしげと眺めていたのだが、そのうちにふとオタマジャクシに触れてみたいと思った。そこで沼の水を手で掬ったところ、首尾よく二、三匹のオタマジャクシを手中に収める事ができた。それらは激しくくねるため掌がくすぐったくて、指でつつくとなめこのような感触がした。その刹那である。私は突如として残酷な衝動に襲われ、オタマジャクシを載せた掌をゆっくりと閉じていった。拳の隙間から黒く濁ったピューレ状の物質が滴り、足元の地面に落ちていった。その様子を見るや否や私は我に返り心臓が凍り付くような感覚を覚えた。確かに危害を加える意図はあったが、ちょっと弱らせてやろうという程度のもので、オタマジャクシがこれほど脆弱な生き物だとは想定していなかったのだ。私は怯えながら隣に立つ山崎君を見たが、彼の視線は未だに沼の水面に注がれており、今しがた私が隣でしたことについて気付いていないようだった。それを受けて私は一息つき、文字通り汚れた手を沼の中に差し入れてじゃぶじゃぶと洗った。山崎君は何してるんだ、汚いぞと言ったが普段から学校での私の奇行を見慣れているせいかそれ以上何も言ってこなかった。それから私と山崎君は森をぶらぶらと散策し、日が傾きだした頃に解散した。私と山崎君はそれ以降も何回か二人で遊びに行き結構楽しくやっていたので、この一件が私と山崎君の関係を疎遠にした直接の原因であることはない。山崎君が四年生から野球のクラブチームに入ったことが出来事として大きいだろう。しかし、それでも暇があれば積極的に話すなどして関係を続けなかったのは、やはりあの時オタマジャクシを握り潰す様子を見られていたのではないかという負い目が枷としてあったのだと思う。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?