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君も僕も誰なんだろうね。

「自分は自分だよ!」健気に君は言う。僕は誰なんだ、自分って一体なんの為に産まれたんだ…。「なんの為に生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのは嫌だ」突如アンパンマンのオープニングが頭をよぎる。僕はきっと答えられない。親のエゴで産まれた性欲の副産物の僕は、「何をして生きるのか」なんて問われても何にも分からないのです。「なんの為に生まれたか」については、親が生物である以上、生殖本能に従ったまでだろう。生殖することに幸せを感じるのは当たり前のことだろう。それを気味が悪いと感じる僕が生物の欠陥品だ。僕は増殖する為に生まれた。その過程で夢や目標を持てたなら、なんの為に生まれて、何をして生きるのかが分かるはずだ。僕にはずっと無い。夢も目標もずっと無い。時間だけを平らげて、欲だけを貪って、生きている意味なんてひとつも無いんだ。

君が言った「自分は自分」って言葉。何処か引っかかるんだ。僕らって最初から自我がある訳ではないだろう?親や友達、先輩や先生。映画や本。色々な人や作品に触れて僕らは形成されていく。そこには自分というオリジナルはひとつも無い。結局僕らは誰かの考えの集合体で、「自分」なんて最初から存在していないのだ。僕はそう仮定している。仮定というかきっとそうだ。自我なんてどこにも無い。自分は自分?そんな愚かな事が吐いて出るその脳みそが羨ましい。きっと幸せなのだろう。人間らしいなぁ。きっと学問ってこんな傲慢を嫌がってできたに違いない。学問は人間が人間でなくなろうとする努力であるなんて、太宰治も言ってたっけな。僕もそう思う。僕は人間を辞めたい、その一心で本を読んで勉強をする。虚栄の塊。自分を探している時点で、自分が存在しない証明になっているのにね。僕は結局人間で愚かだからこんなことしてるんだ。自分を認めたくないんだ。

君ってそういえば誰なんだ?僕は僕を認めれないけど。「君は誰?」僕は聞いた。「私はね、私なんだ。かわりはいないのよ」僕はね、君が羨ましい。僕はね、僕の代わりなんて沢山いると思っちゃうんだ。僕の考えは誰かの考え。君の考えも誰かの考え。僕らってさ、誰なんだい?考えれば考えるほど意味が無い。僕ら結局、動物みたいに欲だけ平らげて、それを「幸せ」と呼んで、汚く醜く生きていくんだろうな。自分が何者かなんて考えずに。「なんの為に生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのは嫌だ」なんの為に生まれて?知らない。何をして生きるのか?欲だけ平らげます。生きるのはもう嫌です。自分って誰ですか。君は誰ですか。教えてください。誰かも知らない貴方へ。

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