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夢を持てと煩い大人達

いつの間に僕らは夢を持たなくなったね。「お花屋さん」「ケーキ屋さん」「サッカー選手」「野球選手」「警察官」「消防士」僕らは今何になりたい?君の持っている夢って○○学部だからとかそういう理由で掲げてない?それって夢って言える?惰性で追いかけているだけなんじゃないか?僕はそう思うよ。君のやりたい事、大してないんじゃないの?社会で確立した立場を確保するための惰性の夢なんじゃないの?僕ら小さい頃から夢を持てなんて大人に言われたよね。夢を叶えられなかった大人が口を揃えて言うんだ。先生もお母さんもお父さんも。不気味だよね。

普通の専業主婦のお母さんは「夢を決めないとね。勉強をしなさい」お父さんも「勉強をしなさい。偉い子だからね。」先生は「皆さんの夢を決めましょう」勝手に進行される授業。小学生ながら嫌気がさした。皆は夢がある。お花屋さん、ケーキ屋さん、警察官、スポーツ選手。僕はとりあえず惰性で野球選手と書く。大人になったら夢を持てるだろうって思ってたから。

大人になった今でも僕は夢を持てないでいる。小学生の頃書いた惰性の夢が今では恋しい。今の夢も惰性だけど、あの時はまだ希望があった。「大人になれば夢もたるだろう」という一縷の光。大人になった今、光はもう渦の中。大人が言う「夢を持ちなさい」は、腐った大人からの腐らない為の忠告だったのかもしれないね。

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