見出し画像

景色と僕と、大きな街

東京を歩く。街ゆく人、人、人。自分が誰だか分からなくなるような、台風の中にいるような、街がそこにないような、自分がまるで存在しないような、そんな感覚に苛まれる。東京という名前の感情がありそうな。ないのは知っているけど、あったて違和感がないほど、東京の地を踏んだ時の孤独感が苦しかった。何回来たってこの街は寂しい。大きくて寂しい。人が沢山いて酸素が薄い。街が光ってる。目は曇ってる。

イヤホンをして歩く人々、スマホを見ながら歩く人々。手を繋いで寄り添い歩く人々。改札の前であたふたするサラリーマン、それに苛立つ若者。それらを見る僕は、今誰にどう見られているのだろう。僕が見てるような景色に過ぎないのだろうか。僕はこんなにも思い詰めて生きているのに、僕は景色としか認識されないのか。遠くから見れば僕は景色なんだ。こんなに精一杯苦しんでいても景色なんだ。この街を彩る素材なんだ。この街を寂しくする要因の一つなんだ。

晴れた空。雲を突き抜けてしまいそうなほどの勢いで佇まうビル。空を滑空する飛行機。子供は指を指す。「僕はパイロットになる!」その子の夢も滑空していた。その夢は次第に、人混みにもみ消された。夢を口にしたその声も、もみ消されていた。「好きだよ」、「今日は渋谷で飲もう!」、「お母さん今日は何食べるの?」、「明日も出勤だ」、この街はあまりにも、葛藤や幸せが入り乱れすぎている。ビルの上、風を浴びる少女は何を考えているのだろう。死ぬ事?風を浴びていただけ?街並みを楽しんでいただけ?僕には分からない。明日この街からいなくなる僕には分からない。

誰かを抱きしめるより、好きな物を食べるより、あの日を思い出すより、夢を持つより、死ぬことを考えるよりも、朝が来ること、夜が終わること、太陽は眩しい事、月が優しいこと。当たり前の事を考える余裕が欲しい。抱擁や愛、欲を解消するよりも、日々の葛藤を抱きしめていたい。僕は、その葛藤や日々の幸せが人混みにかき消されてしまうこの街が悲しくて苦しいって思った。だから僕はこの街は大きくて寂しくて、何も分からなくて、だからまた足を運ぶんだろうなって思う。幸せは当たり前にしないし、だから僕はね、今日も夜に考えてみる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?