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自縛ショーの踊り子たち2

 1990年代初め。自縛の踊り子達は、まだまだ肩身の狭い思いをしていた。通常香盤の中に組み込まれ、先輩踊り子達(通常演目の)に気を遣いながらのステージ。
「ステージ、滑るんだけど!ちゃんと掃除してるの?!蝋燭が落ちてるんだよね!」
「もう、客が暗くて嫌!何なの!」
こんな苦情を従業員に大声で話している声がよく聞こえる。
正直、蝋燭のかけらは、簡単に掃除できず、照明の熱で溶けた物や、細かいかけらはステージや、出入り口付近にこびりついてしまう。そしてSMのお客様は拍手もせず、熱い眼差しをステージに送り続けている。
 こちらとしては、演目の一つなのだから悪いことをしているわけではないのだが、自分自身がいけないことのように感じ、心が萎縮する。なので、これまでは、劇場側としても敬遠がちな演目であった(掃除が面倒、他踊り子の苦情多発で)。

 これが一変したのは1992年のショーアップ大宮での「SM大会」から(詳しくは「思い出のストリップ劇場 ショーアップ大宮編」を)。踊り子5名、すべて自縛。この大会でステージデビューした自縛踊り子もいる。関係者の反対を押し切って興行した大宮の社長は鼻高々だ。この興行の大成功を見て、他の劇場も「SM大会」を真似た(SMといっても実質<自縛>だが)。
 そこで自縛の踊り子が足りなくなり、他の演目だった踊り子が自縛に切り替えたりして一気に増えていった。チェンジ組は「ユメカ」「愛川由美」「川原ちあき」など。デビュー組「美麗」「一条愛」「小夜子」「椎名紗希」「滝龍子」「緒方美樹」など。AV界から「水沢亜美」「伊藤舞」など。(全員にインタビューしていないので、曖昧な踊り子もいる。悪しからず)
 こうなると、ひとくくりに「自縛」といっても個性勝負になる。自縛といった特殊演目を選ぶ踊り子は、もともとステージ演出が好きな人が多い。なので自分なりに勉強して、自分の個性に合ったステージを作っていた。(もちろん中には無理やりやらされた踊り子もいるが)。

 高校生の頃からM気があったという小夜子嬢。
「ステージで自縛と言われても、どうやって表現すればいいかわからなかったので、ずいぶん悩みました。そして自分的にはどうしたいのか、と思い<羞恥心>というテーマを考えたのです。普通の女の子の部屋の中、独りSMオナニーしている、みたいな」
「でも劇場って約束事があって、劇場向きに作るとワンパターンになっちゃうんですよ。本当に私が好きなこと、やりたいことは劇場向きじゃないし、やっぱり趣味と実益を一緒にしちゃいけなかったんですね」
(インタビュー1996年頃)
 小夜子嬢のステージは何か哀愁が漂っていた。蝋燭の火でストッキングを破り、身体中蝋涙を垂らす。そして張り型を使ってのオナシーン。ブルーの照明がよく似合っていた。

小夜子嬢

 緒方美樹嬢は自縛ステージで始めたものの、いつの間にか女王様のステージになっていた。

緒方美樹嬢楽屋にて(後ろ小夜子嬢)


 AVの伊藤舞嬢はダンスが得意だったので、激しく踊ってからの自縛。洗濯バサミや痛い系の小道具を使い、果敢に挑戦していった。そして乳首がちぎれそうになったり、ダンスのせいで靭帯を切ったりと、現実的にも体を痛めつけていた。
(小夜子嬢も伊藤舞嬢もいまだ現役)

AVの水沢亜美嬢は、
「私、AV事務所と劇場の事務所の2つが間に入っているから、ネットが高いんですよ(ネット=マージンを上乗せした総額のギャラ)。それなのに自縛なんてできない。だから浣腸をやれって言われて。でもどういうものを使ってどうすればいいのかもわからない。ただ、浣腸はグリセリンを使うと聞いて、原液をそのまま1リットル位入れていたんです。それで舞台でしょっちゅう倒れちゃって救急車で運ばれてました。(注釈/本来はお湯で薄めるもの)」
「それからこれではいけないと思い、フィストファックに変えたんですけど、お客様が無理やりげんこつを突っ込んできたりして、これまた倒れて救急車です。」
「でも見た目は浣腸の方が派手だから、どうせ救急車ならと、どっちもやることになって、、、。体がきついです、、、」
 これは私に話してくれた実際の出来事。こんな無茶苦茶な事務所もあったのだ。高いマージンが欲しいだけで、なんの予備知識がない人たちがSMをおもちゃにする。女を食い物にする。私は怒り浸透だった。
 幸いにも亜美嬢はいい彼を見つけて結婚し、引退できた。ホッと安堵した。

 一方、自らハードに追い込んでいくのは滝龍子嬢。ステージの概念を打ち破り、自分のやりたい事だけに突き進んでいき、制御不能になる。お客様を何人も上げてやられ放題だ。
「せっかくストリップ劇場でやるわけだから、普通のステージでできないことをやりたいと思ってね。<犯される>っていう感じが最高だと思ったの。3人位のお客様に触られまくる、みたいな」
一見、ただの淫乱か、と思うこと勿れ。実は彼女の舞台経験は恐ろしく歴史があり、日劇ミュージックホールのダンサーであった(別芸名で)。
「初めストリップに出る、と決めた時は、アソコを見せるのが嫌だったの。まだダンサーとしてのプライドがあったから。どう少しでも見えなくするか、、、。色々考えて、ロープで縛ったら見えにくい。ローソクをびっしり垂らしたら見えなくなる、なんてね」
 この意見はよくわかる。私の<切腹>演技も似たような思いで始めたから。しかし龍子嬢、ここから性の目覚めが起きた。
「そうやってやっているうちに、本当に気持ちよくなっちゃって。自分の中の知らない部分を自分で見つけた、という感じ。そしたら止まらなくなっちゃったのよ。私、綺麗事は嫌いなの。やるんだったらとことんやるタイプだから」

  龍子嬢のステージ時間はあらかじめ長めにとってある。自縛なのに35分とか40分とか。それでも終わらない。ステージで本気で「イキまくっている」から。お客様が「龍子、もっとイケ!」と掛け声。「あー、もっと、もっとやってー!」
 ステージが盛り上がっていても、劇場の終演時間があるため、逆算しながら従業員が「待った」をかける。従業員がステージに入り、引きずって楽屋へ戻すのだ。「まだー、、。まだもっとイキたいのにー、、」龍子嬢の悲願の声も聞くわけにはいかない。楽屋に戻った龍子嬢は時として、燃え続ける自分の体を慰め続ける。本当に自由奔放な人。

 延長した時間は他の踊り子に皺寄せがくる。ダンスカットだ。そんなことがあるので、彼女に対する評判は賛否両論。しかし憎めない人柄。エピソードは尽きないが、私が一番びっくりし尊敬したのは、コース続きで、自分の衣装やらが入った荷物が初日1回目に届かない。これは配送ミスではなく、多分送ったのが遅かったのだと思う。初日に大慌ての龍子嬢。曲がない。衣装がない。「誰か、なんか曲ない?」。たまたま私が好きな曲をカセットテープにとって持っていた。それを渡すと「あら、これいいわね。これ使う」と即採用。でも衣装は?「私、シート使うからブルーシートかぶって出るわ」踊り子一同「えっ!?」。そして10分後には出番。ブルーシートをどう使うのか見たかったので、私は覗き見した。エキゾチックな曲調だったが、シートを被って夜鷹みたいな雰囲気を出していた。うーむ。シートもこんな風に使えるのか。そしてこれもアリだな、私は発想の転換を思い知った。

フロアショー時代の宣材滝龍子(当時は別名)

 龍子嬢は自ら追い込んでいった。自分で放尿や浣腸を提案し、自分の「価値観」を高めていった。だが、心と体は正直だ。龍子嬢は明らかに追い詰められていった。天真爛漫さが崩壊し始めた。

 1995年。自縛黄金期時代は終わろうとしていた。
                         続く


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