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切腹布教活動4 真剣「早乙女モデル・雪」

 私が刀自体に興味を持ったのは、切腹プレイを勉強してからだ。愛好者の方に模造刀を見せて頂き手に取ると、模造刀でも刃先の鋭さ、波紋の美しさ、ジュラルミンの重さに魅せられた。そんな模造刀を何本か手にしていたら、やはり真剣が見たくなる。そこで美術館などに通い出した。
 しかし正直な感想、キュレーターなどの威圧感、「小娘ごときにこれがわかるの?」と言った目つき(もちろん妄想ですが)。威圧感を背中に感じながら展示を見る。刀、刃の美しさはもちろん感じるが、ガラスケースの中、正直期待していた感動はなかった。私は時代背景や刀匠の謂れもあまり興味がない。もっと間近で刀を感じたい。そういう想いが強くなった。刀は国宝、高価な美術品である、ということは重々承知で間近で見るなんてことは許されないだろうが、何か満足感が得られず、寂しい想いがしたものだ。「真剣なんて、間近で一生見られないんだろうな」

そんな中、突然の話が湧いた。「切腹之書」を編集してくれていた目玉堂氏がママとなっている「カフェ百日紅」での話。店内で「切腹之書」を見ていた刀匠水木景風(のち良光)氏が「切腹刀なんてあったらどうでしょうね」と切り出してくれた。2011年夏のことだ。その話を私はもちろん「それはありがたい。話を進めてください」と答えた。願ってもないことだ。

しかし私は、本当にそんな刀ができるか疑心暗鬼だった。聞けば水木氏は当時20代後半。熱い想いは伝わるが、どこまで完成度が上がるか、ちょと上から目線で見ていた。数回の話し合いの後、デザインイメージを持ち寄ろうという話になった。私は絵が描けないので言葉のイメージを考えていた。

打ち合わせの日。彼はすぐさまデザイン画を提示した。そのリアリティな画は見事で、現実に刀があるようであった。そのプレゼンも全て納得できた。私は恐れ入った。彼に全てを任せよう。デザインも気に入った。全面的に信頼し、任せたのであった。ここからは、水木氏のインタビューを引用してみる。

水木「切腹に対して、文化とか様式とか漠然としかわからなかったんですけど、自分は居合をやってましたから、何となく肌で感じ取っていました。居合は人を介錯する方ですから。刀という物は、正しい使われ方をするのが一番だと思うのです。美術刀のようにただ飾っておく、というのではなくて。どう使ってくれるのか、という状況が確定されると、焦点を絞ってテーマが見えてくる。こういうのを作ってみようかと」

「刀は子供の頃から好きでした。刀の詳しいことなんか知りませんでしたけど、鉄を刀のように研いで、焼き入れもどきをして、実験的に作って遊んでいました」

「今回の刀デザインについては、2011年春。早乙女さんのショーを初めて見て、衣装が白かったこともあるかも知れませんが、<白>というイメージが浮かんだんです。そこから膨らませて<純潔><強さ><散っていく>と。そして最終的に<雪>にたどり着きました。雪といえば、そこにずっとあるものではなく、あったものが無になる幽玄性を表していると思えるので、早乙女さんのショーに感じたものと似ていると思ったのです。『わすれ雪』という季節の言葉もあり、イメージが広がりました。視覚的要素は、女性持ちということで朱鞘とも思ったのですが、せっかく創作するなら今までにないものを、と思い銀造りの拵えと思い立ちました」

「刃の鋭さをどうするか。切腹で刺す、ということで考えると剣(つるぎ)ですから、両刃にしました。短刀、懐剣での両刃はないですからね。刃紋は白く、ふんわり、さらっと粒子のような形を出したいと苦労しました。<匂口(においくち)>という部分。温度の変化でできるのですが、ふわっと広がるのが難しいです。雪の真っ白な銀世界のイメージ、刃は鋭利だけど刃紋はふわっと。この焼き入れ方法は、自分の師匠(吉原義人氏)の流派とは違うので、苦労した点です」

「完成までは約半年です。刃、刃紋はどう上がっているか、出来上がってみるまではわからない。焼き入れして、研いで、刃紋を見るときは楽しみでもあり、恐ろしくもあり……。なので全く同じ刃紋は出来ないのです。だからこそ、その違いが面白いのですけども……」

そんなわけで、私は自分専用の真剣を持った。刃紋の美しさはやはり見とれてしまう。刃の鋭さに思わず手が出てしまい、触ってみる。重さは、これは模造刀の方が重かった。フォルムの美しさ。これは新しく、神秘的である。真剣を初めて手に取り、私は緊張と快楽を味わった。

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(展示撮影のため私が写り込んでいます。悪しからず)

この真剣で写真を撮りに出かけたのですが、この話はまた後で。





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