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切腹布教活動7 「切腹DVD2」

濡木痴夢男率いる「緊縛美研究会」(制作不二企画)で本格的に切腹ビデオを撮り出す1990年。1作め「緊縛・女腹切り」。私が切腹演技にのめり込んでいるから、ということで決断されたようであったが、実の本質は違うところにあったかもしれない。濡木氏は子供の頃に切腹に惹かれていたことが、のちの氏の随筆で明らかになった。

1940年(昭和15年)、濡木氏は10歳であった。少年雑誌から切り取った大好きな絵。その中に剣道の稽古着の前をくつろげ、逆手に握った短刀を、お腹に突き立てようとしている少年剣士の絵があった。この絵に甘美な快感を感じていた。その上ラジオドラマで聞いた少年武士と母親のセリフが追い打ちをかけた、という。

母「この世と別れる前に、そなたの好物を用意したから、これを食べてから、お腹を召しなさい」

少年「母上、せっかくのおこころざしながら、それはご辞退いたします。ものを食したあとで切腹すると、むさいものが出ると申しますから」

このセリフに痺れ、想像し、興奮したという。妄想した少年は、一人原っぱでこのセリフを口にしながら棒キレをお腹に突き立てた。「いまお腹を切ると、むさいものが出ますから」

こんな少年時代があったとは、私は全く知らなかった(私は氏の前では緊張気味なので質問する余裕がなかった)。なので、濡木氏が切腹撮影に力を入れている、面白がっていることにちょっと疑問を感じていたのだ。

「緊縛・女腹切り」の後、私は「女学生 腹切り」「白装束 腹切り」へと続く。濡木氏は自ら大まかなストーリーを書き提示してくる。細かい所作は演技者に任せる。こんな流れが出来上がっていた。「女学生〜」では、切腹画に興味を持つ、という設定で、その切腹画集を氏がこしらえてきた。小道具の凝りようはさすがである。その力作の小道具をみるとこちらも力がみなぎってくるのだ。

白装束

実は詳細はあまり覚えていなく、作品も手元にないので、詳しく解説できないが、「女学生〜」は血糊をたっぷり使い、「白装束〜」から内臓ありの映像だったような気がする。当時、制作のメンバーと泊まりで撮影に行き、私と春原悠理氏1本ずつの切腹撮影をしていた。私は所作が好き、悠理氏は血が好き、ということで、同じ切腹でもタイプは違っていた。

「女学生・腹切り」早乙女

「女腹切り・散華」春原

「白装束・腹切り」早乙女

「女腹切り・聖餐」春原

「美女剣士・二人切腹」春原&早乙女

「乗馬服女腹切り・失楽園」望月麻子&春原

こんなふうに続いていった。

思い出深いのは「二人切腹」。神奈川県西湖へ2泊で行き、4本のビデオを撮った、その中の1つ。衣装もバッチリ揃え、男装の剣士。追ってに追い込められ、もう自害するしかない、というストーリー。全て野外での撮影。出来上がりは45分でも撮影には倍以上の時間がかかる。午後イチから始めた撮影も夕方近くになっていた。撮影は4月頭だったが、都心部とは温度差がかなりあり、血糊のついた肌は鳥肌が立っている。血糊がつき、震えだした手に同行のスタッフが紙袋を被せてくれるも、私は「これ、かん袋?!猫じゃないんだから」とキツイ冗談を言ってしまう。良かれと思ってくれたことを、ヒドイ言い方だったとのちに後悔した。

これは大まかなストーリー設定はあるものの、セリフや所作は自由だった。二人でやりながら間合いをみて動く。私と春原氏は姉妹という設定だった。扮装をして、傷メイクもすると、やはり感情がこもって来る。山道を懸命に進むというシーンで、思わずでた私のセリフ「おねぇちゃん」にカットがかかる。「それはダメだよ。せめて<お姉様>だろ」。そうであった。

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熱が入りすぎると何もかも忘れてしまう。悪い癖である。春原氏とは長年の友であるので、アイコンタクトで感情が伝わり、私はせつなく、いい切腹ができたと思っている。

制作不二企画の作品を経て、私は自分のやりたい切腹ビデオを制作するようになった。制作と言ったって大したもんじゃない。あくまでも愛好者向けのものなので、気ままに作っていた。販売は風俗資料館のみ。分譲写真のビデオ版のような気持ちで始めたことである。     続く

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