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思い出のストリップ劇場5 「渋谷OS劇場」

 東京渋谷。この地で有名なストリップ劇場は「道頓堀劇場」だが、渋谷にはもう一軒劇場があった。それが「渋谷OS劇場」。
 住所は渋谷区道玄坂1−14−4 フジビル2階。
渋谷駅西口東急プラザ側の道、通り一つ過ぎた横道を上がって行くと、そのビルがある。

 ここは本番小屋であった。初めて乗った1993年。まだ本番をしていた。東京でまだやれるなんてビックリした。しかもここは大都会。しかし周辺は一杯飲み屋の赤ちょうちんが多く、ここだけ切り取れば「渋谷」とは見えない。「ホンバン」は夜のみ。つまり、3回目、4回目のステージのみだ。夜は警察の活動時間外なので(当時は)、この時間帯に稼ごうということであったのだろう。
 しかしホンバンから早く脱却しなければ、当然挙がってしまう。少しずつ路線変更をしだすのだが、はじめに取り入れたのが「SM大会」であった。

「大宮ショーアップ劇場」の項で書いたが、SM大会が開催されたのは1990年。ここで大当たりし、関東周辺へこの「大会」が広がっていった。

 この劇場はビルの2階だが、本舞台はそこそこの広さがあり、タッパも2,5メートル程はあったであろう。花道とボン。ボンは四角い張り出しで回転ではなかった。私の吊り点は天井から出ていたパイプにつけたのかな。細かいことは思い出せない。
 ここのステージはとてもやりやすかった。お客様もおとなしい方が多く、静かに見守ってくれていた。だからここは大好きな劇場の一つであった。その一つの理由に、やはり都心。休憩時間に東急プラザの和紙屋や食器屋をのぞく。渋谷古書センターをのぞく。ウィンドーショッピングで気分転換ができた。

 さらにここはアットホームであった。社長と社長夫人。夫人はベテラン踊り子さんだが、まだ現役で踊っていた。支配人と夫人。夫人は若き踊り子で、まだまだ現役。この四つ巴だからこそ、雰囲気がほんわかしていた。そして従業員にもこのアットホームな雰囲気が伝わり、真摯な気分になっていたと思う。というのも、他の劇場を辞め、ここに入った従業員を数名見たからだ。皆、照明に工夫を凝らしてくれていた。
(男性従業員は個性的な人が多く、気分が上がるといい仕事するが、のらないとフイと出ていってしまうタイプが多かった)

 楽屋。2つに別れていた(と思う)。小さい方と大部屋。私は常に大部屋だった。SM大会となると、仲間が集まった感じで、とにかく盛り上がる。個性はもちろんあるが、思考回路が近い。夕方になると少しずつ飲み会が始まったり、会話に花が咲く。劇場のこと。お客様のこと。アートな話題。これからのこと。渋谷なので、泊まりは少なかったが、楽屋飲み会の後は、新宿へ出て飲み直したりした。

 私はこの劇場に乗るのがたのしみになった。回数は少なかったものの、印象深い劇場なのだ。そしてここで告白しよう。
 私はある従業員と仲良くなった。彼は真摯にステージのことを考えて、照明をしてくれた。私はお礼のつもりで飲みに誘った。それが何回か続き、彼の休みな時には一緒に遊びにでかけたりもした。しかしそれが社長の耳に入ったのだ。私は社長に呼び出された。
「どういうつもりかな。付き合うのか。結婚するのか」
 社長のいい人なのは良くわかっているが、いきなりこの話。ここの従業員構成を考えればなるほど、とわかるが、申し訳ない。そして彼にも済まない、と思ったが、
「私は結婚する意思はないです。遊びではないですが、彼に楽しんでもらいたいと思っただけです」
 そう言ったのだ。社長は「そう」と言っただけ、私は部屋から出た。

 1996年を最後に私は乗らなくなった。
この交際問題がきっかけではないと思うが(そう思いたい)、
SM大会もブームが過ぎ、劇場低迷期に入っていった。

 渋谷OS劇場は2003年7月4日をもって閉館した。
昭和な劇場がまたひとつなくなってしまった。

http://ag-factory.sakura.ne.jp/


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