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ヨガのダメな練習とは

ポーズが取れなくてイライラしたり、”完璧”なポーズをとっている人を見て劣等感を感じたり、思うように体が動かなくなったことで練習が嫌になってしまう方はいらっしゃいませんか?

私の練習はダメな練習?

先日生徒さんから、「私のBad Practice(ダメな練習)を受け入れてくれてありがとう」という話を受けたことがありました。
「なかなか昔のように体も動かないし、他の人たちのように美しくて完璧なポーズも取れないから所々モディファイ(アレンジ)した形だし、きっと周りはアシュタンガヨガなんてやめて、もっと”簡単な”ヨガをやりなよと思ってると思うの。でもどうしてもアシュタンガが好きで。ジャッジせず寄り添ってくれて、私のBad practiceを受け入れてくれてありがとう」という内容でした。

ダメな練習だなんでとんでもないこと。私は練習に向き合い続けるその彼女のあり方を、ずっと誇りに思っていました。なので、彼女が抱えていた、練習に対する負い目のようなものにもったいなさを感じたのです。

ヨガの練習はいい・悪いの評価概念を超えるもの

アシュタンガヨガであれば、順序通り、呼吸と一緒にポーズをとっていきます。ただ体や心の状態によっては、決まっているポーズも教科書通りに取れないことだってあります。

伝統を軽視したり、怠け心でできることもやらないケースはまた別問題です。伝統に対して十分な敬意と理解を示した上でという前提ですが、その時の本人の状態に合わせた形で練習をし続けることは、”ダメな練習”なのでしょうか?

見た人に”すごい!”と思ってもらえるポーズを取れないことはダメな練習なのでしょうか?
私はNOだと考えています。

ヨガは種類によってメソッドも違いますが、マインドフルに今ここにあり続け、観察し続けていくこの取り組み(練習)は、GOODやBADのような評価の概念を超えているものなのだと捉えています。

自分の練習に尊敬と労わりと楽しむ気持ちを!

”不恰好”な練習は、いわゆる”インスタ映え”みたいなものは狙えないのかもしれません。
でもWhy do you practice Yoga?
なぜヨガを練習するのでしょうか?
思うようなポーズをとれないという理由で、練習をやめてしまうことが一番避けたいことだと私は考えています。

どうか自分の練習をジャッジせず、今の体、今の呼吸に最大限の尊敬と労わりの気持ちを持って、楽しく練習してください。
生きている限り、いろんなことがありますね。年齢やライフイベントによって、体も心も練習に取れる時間も変わってきます。
自分のその時の状態そのもの、その日の呼吸、その日の体を尊重することは、自分の魂や生き方を尊重する姿勢につながっていくと思っています。

練習は自分から自分へのギフト

もし自分の練習をジャッジしてしまって苦しんでいる方がいたら、ポーズ以前に、自分がマットの上に立って、自分の体と心の健康のために時間を作っていること自体をどうか誇りに思ってください。
グズグズで格好がつかない日でも、自分のためにShow-upすること(練習の場に身を置くこと)が、どれだけの労力や努力や勇気が要ることか、私も練習を重ねてきているので分かります。
練習時間を、”欠けている”とか、”できない”とか、ないものを追い求める時間に使うのではなく、練習の時間そのもの、そしてその時間を取ろうとしたアクションそのものが、どんなに尊く、豊かな自分から自分へのギフトなのかを、今一度思い直してみましょう。

みなさんは、ヨガの練習をどう捉えていますか?
せっかくなら、苦しむための練習ではなく、より気持ちよく生きるための練習を実践していきたいですね。

今日も心躍る素敵な1日を!

*最後に補足ですが、アシュタンガヨガの練習内容のモディフィケーションについては、怪我や病気などの疾患をお持ちの場合は、ドクターや専門家のアドバイスの元、十分に鍛錬と経験を積んでいる、そして日々の練習を共にしている信頼できる先生に相談されることをお勧めします。自分自身でアレンジを加えることは逆に危険な場合もあります。


Saori Instagram Link : https://www.instagram.com/saorilemyuimoue/


※こちらの記事はVeda Tokyoを通して2024/1/7に配信されたエッセイ(タイトル: Free Breathing with Sound vol.8  ヨガのダメな練習とは?)です。

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