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この場所にだけ存在する掟

 朝5時を回る頃、私は家を出た。夏の朝は早い。あっという間に明けてゆく。昨夜遅くぱらついた雨の亡骸が、まだ街のここそこに残っている中を歩いてゆく。目的地はもう決まっている。夜では、今の私には決して行くことのできない場所。そこへ行くために私は下り電車に乗った。
 S町駅を降りてN小路を通り抜けさらに奥へ。一杯飲み屋、定食屋、ラン・パブ、瓦礫のような住家…それらがいっしょくたに存在する場所へと、私は向かう。
 H町駅を横目に過ぎ、わざと表通りを外れて裏へ裏へと足を進ませる。表通りでは、これから始まる一日のために、店開けの準備に忙しい人たちの姿があった。が、一歩ずつ裏へ入っていくほどに、その様相は変化してゆく。
 朝であっても季節は夏。蒸し暑さが肌にぴったりくっついて離れない。でもその気持ち悪さだけじゃない、何か違うもっと違う気配が、私の背中をだんだん覆ってゆくような感じを覚えた。来ちゃいけない場所に来たんじゃないか…?
 頭の上の方をK線鉄道が赤い車体を見せながら走っている。同じH町であっても、表と裏,駅前商店街とその裏側とでは全く違う顔を見せる町。
 まるでほったて長屋だ。高架下にびっしり…続いてゆく、まっすぐに続いている。隣りとの境などまるで定かでない、開けっぱなしにされた玄関口をふと覗けば、夜の商売の後片付けをまだ済ませていないままの散らかったカウンターで、釣り下げられたテレビをぼんやり眺める中年もとうに過ぎた女の背中。その1mも離れていないところにまた次の玄関口、酔いつぶれた客がそのまま寝込んじまったんだろうか、「ほら、もういい加減おきなよ、しょうがないねぇ、まったく。これ一杯おごるからそれ飲んだらもう家に帰るんだよ、ほら!」と、奥を眼で計ってみても2畳半あるかどうかのスペースしかないカウンターに伸びた客を揺り起こすママらしき女の姿。その反対側に、これも同じように2畳、3畳あるかどうか知れないスペースの小屋が数え切れないほどに続いている。
 このどれもに、女が一人ずつ、ぽつねんと佇んでいた。みな、朝の僅かな風を吸い込もうとしているのだろうか、ただ、朝の空気によりかかっているだけなのだろうか、とって付けたような扉を開け放ち、思い思いの格好でぼんやりしている。女達の顔には、まだ昨晩中飾っていたのだろう化粧の名残りが残っていた。特にその眼の周り…ファンデーションはすっかり崩れ落ちても、アイシャドーと口紅は、脂ぎった色合いでもってそれでも残っている。その小屋のすぐ隣りには、もう40年、50年来この土地に住み続けている人たちの朝食の支度の音が。使い古した盥に水を汲んでは玄関口に撒く姿も。…
 私は、だんだん言い知れぬ気持ちに覆われていった。何をと言われても困る。ただ、見てはならないものを私は見ているような気がして…。だから、すれ違う人、目が合っても合わずともすれ違う人にはみんな、「おはようございます」と大きな声で声を掛けながら歩き続けた。けれど、それに応えてくれる人は少ない。目礼だけでも返してくれるならまだしも、私の肩に掛けられたカメラを見つけた途端に扉をバシャンと閉める人のどれほど多いことか…。

早朝のH町でたばこを吸っていたおじさん

 そんななか、何匹もの半野良猫に会った。彼らは知っているのだ。この場所がどういう場所なのか、私などよりもずっとずっと知っているのだ。それを直感した。なぜなら、声を掛けながらそろりそろり近づいてゆく私に、おまえは余所者だろ、という敵愾心を露にした視線を返してくるからだ、しかも一様に。
 途方に暮れた。私はここに来てはいけなかったのか…でも私は今、今この場所を撮りたい、撮らなければならない、なぜだろう、そんな思いがまるで強迫観念のように徐々に私の中で膨らんできた。
 もう、開き直ろう。開き直ってしまえ。向き合ったまま視線を逸らそうともせず余所者は帰れ、という猫の眼から私は離れ、もう一度歩き出した。「おはようございます」「おはようございます」返事なんてどうでもいい、私が彼女らに声を掛けたいから掛けるんだ、返事なんかどうだっていい。私は歩きながら、見かける女達女達みなに声を掛けてまわった。そして気づいた。彼女たちは全員日本人ではないことを。そして気づいたら私は、ふと眼が合った女の幾人かに、声を掛けていた。「おはようございます。あの…私、この街のこと写真に撮りたいんです。撮らせていただけますか?」。無駄だと分かっていた。所詮無駄だと。でも聞かずにはいられなかった。何かしら話し掛けずにはいられなかった。こたえはもちろん想像の通りだ。「ゴメンナサイ、ダメナノ」「ゴメンネ、ダメ」「ダメヨ、ダメヨ、ワタシ、コワイ目、合ウヨ」…。たどたどしい日本語で彼女たちはそれぞれに応えてくれた。私はその度、「ありがとうございました」と深く頭を下げた。頭を上げると必ず目が合う、彼女たちの弱い空ろな微笑は、まるで仮面を剥がされた道化師のようで、私の心を苦しくさせた。だから、めいいっぱい明るい笑顔を返して、私はさっさとその場を立ち去る、それしか私にはもうできることがなかった。

 途中、もうここに先代から住み着いているというおばあちゃんに声を掛けられた。私がちょうど、野良猫にシャッターを切った直後だった。私がシャッターを切り「ありがとね、にゃんこ」と声を掛けてその場を去ろうとすると、「あんた猫がよっぽど好きなんだねぇ」とおばあちゃんが笑った。そして、私は、思い切って尋ねた。
 ここは、撮ってはいけない場所なんでしょうか、私、この場所が好きで、どうしても撮りたくてそう思って来たんだが、と。
 答えは明快だった。笑いながらすぱっと。「そりゃね、ここは明日も知れない生活とセックスと酒と女、これで成り立っている場所だからね。ここにはこの場所の掟ってもんがあんだよ、昔っからね。それを守らせるために四六時中見回っているごろつきが、ほら、あそこにも、あっちにもいるだろ?」。
 そうだった。私が途中何度も気づいた視線たちは、この場所の掟を守り続けるための主たちのものだったのだ。
 うなだれかけた私に、おばあちゃんは続けてこう言った。「でもね、ここに住んでる人たちはね、懐が広いんだよ。これっくらいどうってことないさ。あんたが撮りたいと思ったら頑張るんだよ。みんな根はいい奴ばっかなんだ、これだけは言えるよ」。
 そう言っておばあちゃんは大きな声でまた笑い、私の背中をそっと押してくれた。
 再び道を引き返す。もう、さっきまで開いていた小屋の扉のほとんどは締められていた。所々開け放したままの小屋の中に居る女たちに「おはようございます」と私はさっきよりずっと大きな声で声を掛けて歩いた。返事を返してもらったのは2,3度だけ。目礼のみ。そして、中には細目に開けた扉の隙間から私の姿を見つけ、私がその扉を通り過ぎるとすぐに駆け出してゆき、この場所にだけ存在する掟を守る主たちに駆け寄り耳打ちする女も数人いた。その男達が幾人かで私の様子をかわるがわる見張っているのも、なんだかもうどうでもよくなった。わざと前から歩いて来て私のカメラを睨んだ男に「おはようございます」と言ったら、さっさと帰れというサインなのだろうか、片手を、邪魔なものを払うようなしぐさをしてそのまま通り過ぎていった。
 本当は、猫や長屋のように連なるさまざまな生活の渦巻く外側だけを撮りたかったんじゃなかった。この町で私が見るその姿を真っ向から撮りたかった。そのためにやってきたはずだった。でもこれ以上,執拗にレンズを向けるのは…。それでいいんだろうか。…入り込んではいけない場所があるということを、私に改めて教えてくれた。人の心にこれ以上踏み込んではいけないという一線があるように。
 だんだんとその場所から離れてゆく、私の中で、いろんな思いが浮かんでは消え、消えてはまた浮かんだ。
 あの女達はどこから来、いつまであそこにいるのだろう。多分、次々に顔は変わってゆくのだろう。用なしになればどこへ放り出されるか知れたものじゃない。それでも、彼女たちが夜に咲かせる華に、この街はこの通りは、きっと彩られ、支えられているのかもしれない。
 ほったて小屋のような、もう半ば雨樋も腐った木造小屋に住み続ける住民たちと共に、あてがわれた数畳の小屋に佇む女たち。住民達が住み続けるうちに幾つの女の顔がここで入れ替わり立ち代わり現れては消え、消えてはまた現れるのだろう。でも、女の顔は次々に入れ替わっても、女が夜咲かせる華は咲き続けなければならない。明日もしれない生活とセックスと女と酒…そのどれもが隣り合わせ、背中合わせに混在することで、この街は息づいている…。

 私は、いつのまにかN小路のあたりまで歩いて戻って来ていた。ふと右の方を見やった。O川はとうとうと流れている。その向こう側はF町。これも同じ外国人女たちが夜の華をきらびやかに咲かせる場所だ。けれど。
 何という違いなんだろう。川を挟んでこちらとむこう、向こう側でも夜の華が咲き乱れている。けれど、その華たちは、労働を終えたら、たとえせせこましい部屋であっても帰って眠る部屋を持っている。けれどこちら側は…。
 金を稼ぐために確かにそのために日本にやってきたのかもしれない。が、ひとつの川を挟んでむこうとこちら、何という違い。外国人女性によって成り立っている「性域」でありながら、その待遇の違い。この大きすぎる違いは一体何なんだ。
 私には分からない。分かろうとしても到底分かり得ないのだ…。
 こうして通りを、道を、恐々でもそれでも歩きまわり、いざとなったら警察署なり何なりへと飛び込めば、多少痛い目にあったってどうにかなるような私と、同じ「性域」の向こう側では労働を終えれば帰る場所を持ち、通りも歩いて帰る女たちと、こちら側では、二、三畳あるかないかの小屋から、労働が終わった朝でも、通りにその半身さえも出すことのかなわない彼女らと、…この何という大きな隔たり!!
 もう一度私は川向こうを仰ぎ見、そして振り返った。今、私の目の前に居並ぶ長屋のような小屋の連なり。この場所にだけ存在する掟。そして、通りに陽光を浴びに出ようとさえしない女たちの自由を知らない、羽を持っていても飛び方を知らない鳥のように、あの場所に居る女達の眼差し。忘れないだろう。きっと。
 私が再びこの場所を訪れる時、一体何人の同じ女の顔に出会うことができるのだろう。恐らく、ほとんどが入れ替わっているのだ、そうやって、何人もの女の汗とむせ返るような溜め息の匂いと諦めたとは違う、もっと根っこの方にある「知らない」ということが生み出すこの膿のような淀んだ何かは、私の中から決して消えない。
 また来よう。いや、来る。その時まで、ここが存在していますように。
 「じゃ、また来ます。今日はありがとうございました」。
 私は、深く、深く深く、このH町の一角に頭を下げ、帰途についた。

 平成12年(2000年)3月,この場所は,高架老朽のために取り壊されることが決まっている。

川に不法投棄されて何年も経つ舟の姿


1997/11記





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