我が子を通して、自分の幼少期と向き合う
先日、こんな記事を書いた。
4月の入学以降、長男の対応に手を焼いているという話だ。よくある話かもしれない。
やんちゃで元気な長男。危ないことや人に迷惑かけることは当然叱るけど、なるべくは親として見守るようにしている。
同時に「この長男ってすごいよなぁ……」とも思っている自分がいる。
叱られるのに、また懲りずにやる。
次の瞬間にはケロッとして、また調子に乗っている。
親に対しても、強い言葉でどんどん言い返す。
私の子ども時代を振り返ると、考えられない行動だ。でも、同時に自分にはできないことだから「すごいよなぁ……」と、もう1人の自分が毎回ツッコんでいる。理由や話をよく聞くと、彼なりに思いやロジックがあるのだと知る。
と同時に、少し羨ましくもあるのだなと気づいた。
「あぁ、この子はちゃんと親の私にわがままとか言えているのだなぁ」って。
怒ったり、大泣きしたり、悲しんだり、笑ったりとストレートに感情表現ができている。
これって、別の視点から見てみると「親を信頼しているからこその行動」だとも冷静に感じるからだ。
だから、少し安心する部分もある。
子どもの頃の私はどうだったっけ?とふり返ると、そうではなかった気もする。
いい子、おとなしい、真面目、しっかり者の姉……そんな感じ。それは私の個性でもあるが、そうせざるを得なかった部分もある。それが、良くも悪くも今の自分に影響しているとも自覚している。
親も、その時子どもだった自分も悪くないし、責めているわけではない。自分が親になったからこそ、あの頃の両親の愛情に気づける。
でもそんな「子ども時代のわたし」は、未来の我が子である長男を少しだけ羨ましく思うらしい。
うん、そうかそうか。そうだよなぁ……。
幼き頃の自分よ。
息を吐いて、胸に湧いてきたものをただ、受け止める。
今は親である私は、長男にイライラすることも正直あるし、「私、親としてダメなのでは」とか、未熟だなぁとか思うこともある。でも、浮かんだそれらをサッとその思考を手放す、を毎回意識している。自分を責めてばかりいるだけでは、自分にも他者にもマイナスだと何度も感じているからだ。
外出すると、そんな長男や私に温かい視線ばかり向ける人ばかりではないことも何度も感じている。何も知らぬ、その場を無邪気に楽しむ長男を目の前に、複雑な気持ちになることも。世の中には、さまざまな人がいるし、そうした人の気持ちもなんとなく分かる。
だからこそ、私はまた、それを察知するたびに人知れずに感情が揺れるし、悲しみや怒り、苦しさなどがぐるぐると渦巻くが、その都度「手放す」を淡々とくり返す。
なるべく、なるべく長男が健やかに過ごせますようにと願いながら、今日も我が子たちと向き合う。そして、この激動の時代を力強く生きる力を身につけてほしいなとも。
でも、もう少しだけ、ママの話も聞いてほしいなぁとも思う日もあるけどね。
*
こうして最近の出来事を言語化すると、また自分を客観的に見つめられる。
ゴールデンウィークの今は、子どもとしっかり向き合う時間が多い。お出かけもする。
「楽しみだなぁ」と無邪気な笑顔をこちらに向ける。今日も楽しく過ごせますように。「そうだねー」と、私は笑顔を向ける。
最後までお読みいただき嬉しいです♪ありがとうございます!これからも心を込めて執筆していきます。