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私はあまり悩むことがない。と書きながら、長い間、悩んでいたことを思い出した。44年生きた人生で1番悩んだことは、会社を辞めるかどうかだった。なぜ3年も悩んだのかを考えてみた。

悩む暇がなかったのだ。
毎日大量に生まれてくる仕事。家事育児。
やがて、何に悩んでいるのかもよくわからなくなった。
ただただ、このままでは、いけない。そう、思いながら、毎日変わらぬ時が流れていった。

「3年間も悩んだ」と書いたが、「3年間、悩みたくても悩めないまま過ごしてしまった」のが正しいかもしれない。ずっと、会社を辞めるかどうかを悩んでいると思い込んでいたが、私の悩みは、もっと深いところにあった。

それに気付いたのは、会社を辞めたあとだった。
会社を辞めても、いっこうにスッキリしない。会社を辞めて、ようやく自分が何に悩んでいるのかを考えることができるようになった。自分の悩みの本質は、会社を辞める辞めないでは、なかった。

忙しく働いていると、悩む暇もない。
立ち止まり、足を止めると、いろいろなことを考えるので、悩みの種も生まれやすいのかもしれない。

悩むことは悪くない。人は時々、悩みたい生き物なのではないか。
最近、そう思う。時間にも心にも余裕があって、平和に生きている。
そろそろ、何か悩んでみるか。という具合に。

「あまり悩まない」と、言い切れるときの私は、意思決定が早い。
決めなければならないことが次々と現れて、悩んでいる暇がない。

逆に時間に余裕があるとき、〆切がないとき、ひとつのことにじっくりと向き合うことができるとき。「ちょっと悩んでみようかな」との思いが生まれる。

そういう時は、とことん悩むのがいい。悩む自分を責めてはいけない。悩みたくて悩んでいるのだから。悩むことを、人にとやかく言われる筋合いはない。悩み相談をしたからって、アドバイスしてくれなくていい。悩んでいることを伝えておきたいだけだから。

とことん悩んで、悩んで、悩んでいると、スーッと悩みが溶けていく瞬間がやってくる。十分に悩み切ったときだ。
「あ。私、悩みたくて悩んでいたんだな。立ち止まっていたかったんだ」

悩んでいるときは、前に進まない。
進み続けることに疲れたら、「悩む」という手段を使って、人は休むのだと思う。悩むときは、疲れているときでもある。大仕事を終えたあと。体調不良や、睡眠不足が続くとき。判断力が鈍り、悩む。

悩める時間があって、悩んでいるということは、悩みたくて悩んでいるのだ。悩みたい理由があるので、その理由を自分に聞いてあげるといい。

がんばって、がんばって、がんばり続けてきて。
急いで次に進まなくてもいいじゃないって。ちょっと悩んでいきなよって。言われているのかもしれない。

悩んだっていいじゃない。
人生長いんだから。
ときどき、あーでもない、こーでもない、って悩ませてよ。
バッサバッサと決めていると、前に進む身体に、心が遅れだすときがある。

ちょっと心を待ってあげてよ。
最近の自分に言ってあげたい。





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