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先週末から4泊5日で宮古島、沖縄を旅していたら大切なご縁をいただいた方からメールが届いた。これまでのやり取りから感じたことを伝えてくれる内容が綴られていて、嬉しかった。

目標達成からの逆算ではなく、いまを大事に、楽しい方を選びとっていくことで、未だ見ぬ世界へ行けたらいいなと思ってフリーランスになった。いま、まさにその生き方をしているんだねって、ピッタリだねって、言ってもらえたことが嬉しかった。

同じ頃、いつも話をしているコミュニティのみんなが、「コンフォートゾーンを抜ける」ことについて話をしていた。会社で働いていた時の私は、業績や生産性において自分の限界値を越えることが、コンフォートゾーンを抜けることだと思っていた。当時は、それが楽しくもあった。

簡単に他の仕事や新しい仕事にチャレンジできる環境でもなかった。当時は、目標をいかにハイ達成するかのみ考えていたので、寄り道、回り道、脇道を逸れることなんて、考えすらしなかった。目標に向かって猪突猛進型は、ある意味ラクでよかった。あれこれ考えなくて良いからだ。ゴールを決めて体力の限り走ればいい。ゴールで倒れ込む分にはよかった。いろいろな制約を動かないことへの言い訳に利用していたようにも思う。

いまも猪突猛進してしまいがちだけど、目標がないから前みたいに体力の限り走り続けることはしない。どこに向かうのかわからずに、その都度自分の心に聞いている。だから、歩みもゆっくりだ。寄り道もする、回り道もする、脇道にも逸れるのもよしとしている。

最初はダッシュできないことがむずがゆく感じた。心も身体も猛ダッシュを欲していた。短期の目標があるということは、何度も仕事終わりにビールを飲んで仕事をした気になれるということだ。

いまはゴールがないから、終わりがない。終わりがないから、いつも寄り道の途中だ。どこに行くのか先が見えない、先がわからないからこそ、長く旅できるように体力を使い果たしてはいけない。前より体調に気を配るようになった。ゴールに早く着くことを意識しなくなったら、いま歩いている道自体を楽しめるようになってきた。

道の途中で出会った人から聞いた人に会いに行ってみる。面白いと聞いたところに行ってみる。旅の工程を決めていないからこそ、それができることが嬉しい。

26歳で世界一周の旅に出たときと同じ状況だ。
旅程を決めずに旅に出ると、行き当たりばったりの旅ができる。人に出会うほどに旅が変化していく。毎日がワクワクだった。

自分が知りうる範囲で目標を設定したところで、そもそもコンフォートゾーンを抜けることってできないのではないか。頭が考えることなんて知れている。心が動く方へと入っていくから、コンフォートゾーンを抜ける。旅中のコリスを見ていても感じた。知らない土地に来て、怖かったけど、ワクワクして実際に触れてみることで、未知が開拓されていった。

駅に着いては、どこへ向かうのかを考える。ワクワクする方へと向かう切符を買う。そこから毎回、新しい旅がはじまる。人に出会うこともまた、新しい旅のはじまりを予感させる。

旅の途中で届いたメールの最後には、1冊の本が記されていた。
「読んだらインスピレーションが湧くような気がします」

すぐにその本が読みたくなりKindleで購入して読んだ。いままさに旅をしている自分、人生を旅してきた自分、本のなかで旅をしている少年を重ね、夢中で読んだ。本からも、メールを送ってくださった方からも、大切な言葉と思いを受け取った。

「人生に起こるすべてが前兆なんだよ」

—『アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)』パウロ・コエーリョ, 山川 紘矢, 等著



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