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掃除のチカラを思いしった出来事。

修行僧の一日は大半が掃除です。私はこの掃除というのが子供の頃から大嫌いで、なんとか手を抜けないものか、いつも早く終わらないかと思ってました。やらされてる感が半端なかったのです。嫌だ嫌だと思ってやってましたから当然おもしろくなく、楽しんで掃除するなんて嘘だと信じてました。

草むしり一つとっても冬は日向(ひなた)回り、夏は陰回りといってなるべく楽をしながら広い境内を毎日せっせとやらされるわけです。ぐるっと回ってくるとまた新しい草が生えています。草が少なくなってくる頃には今度は落ち葉を集める作務が待っています。キリないじゃん、と。

ある日いつも通り参道を掃除していたときです。門前のおばあさんが話しかけてきました。私が合掌しながら挨拶すると、おばあさんは「お坊さんが来てくれてから寺が見違えるようにきれいになった」と何度も頭を下げてくださったのです。おどろきと同時に恥ずかしさでいっぱいになりました。

それというのも、実は、寺に入ったときは胡散臭そうな目で監視されているような感じの悪い婆さんだなと私は思っていたからです。そのおばあさんが満面の笑みで話しかけてくれた最初でした。人は変わるもんだと思いながら、こちらが変わらされた瞬間でした。気持ちエエじゃん、と。

掃除にはチカラがあります。パワーという力ではなく、いわばエネルギーというか底力といったそんな感じの「チカラ」ですね。うまくいえませんが、日々の積み重ねでしょうか。嫌々でもいいんですよ、きっと。結果は必ずついてきます。継続は力なり?そうした観念ではなしに「実」かと。

閑話休題。参禅は坐禅なり。「ともにすわる」を合言葉に参禅の会は着実に歩み続けています。つぎに参禅堂の平面図(間取り)を掲げておきます。資金の都合でとても小さな規模ですが、最大収容人数は6名です。日本一小さな参禅堂。掃除が楽です。楽しみです。ワクワクらくらくです。

「日本一小さな参禅堂」の平面図

掃除のチカラ

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