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こころの禅マスター。

瑩山紹瑾は、日本の鎌倉時代の曹洞宗の僧侶。瑩山派の派祖で、教団では第四祖とする。 一般には瑩山禅師と呼ばれ、教団内では日本曹洞宗開祖で祖の道元を高祖承陽大師、瑩山を太祖常済大師とする。 ウィキペディア

強調筆者

わたしの所属する曹洞宗では、永平寺と総持寺が両大本山でして、横浜市鶴見にある総持寺を開かれたのが瑩山紹瑾禅師であります。
わたしの法脈の中で最も曹洞宗を広められた禅師様であり、日本曹洞宗の禅マスターである道元禅師に次いで有名な禅師といえるでしょう。

今日は、その教えをわかりやすくお伝えしたいと存じます。
(極力、禅の専門用語を使わないようにして参ります)


曹洞宗の瑩山紹瑾けいざんじょうきん禅師(1268年ー1325年)は、日本の禅宗、曹洞宗の重要な禅師の一人です。彼の思想は、日本における禅の実践と理解を深めるのに大きな影響を与えました。

禅とは何か

瑩山禅師にとっての禅は、坐禅を通じて心を静め、自己の本性と向き合う修行です。彼は、禅の目的は悟りを開くことにあると説きます。

悟りとは、すべての人が持っている真実の自己を見つけ出し、無限の平和や喜びを感じる状態のことです。禅は心を無にすることではなく、心の動きをそのままに観察し、それを通して自己の真実を理解する方法です。

曹洞宗の特色

曹洞宗は、他の禅宗とは異なり、「打坐(たざ)」すなわち「ただ坐る」ことに重点を置いています。瑩山禅師は、坐禅は心を静めるための手段であると同時に、その実践自体が悟りの表現でもあると教えました。

彼の教えでは、日常生活の中での一挙手一投足も坐禅の延長として捉え、どんな状況でも心を動かされない「動中の静」という概念を重視します。

指導法

瑩山禅師は、厳格な修行を課すことで知られていますが、それには深い慈悲と教えを広めるための情熱がありました。彼は、単に坐禅を行うだけでなく、その中で何を感じ、何を学ぶかが重要だと強調しました。

また、禅の修行は個人の内面だけでなく、共同体生活においても同じく行われるべきであるとして、僧侶だけでなく一般の人々にもその智慧を分かち合うことを推奨しました。

禅の日常への応用

瑩山禅師は、禅の教えを日常生活に取り入れることの重要性を説きました。例えば、作業中に心が乱れた時には、その瞬間に気づき、心を落ち着かせることができれば、それは坐禅の修行と同じ効果があると述べています。

彼の教えでは、すべての行動—食事、歩行、話し方—においても心の在り方を整えることが求められます。

影響と遺産

瑩山禅師の教えは、後の多くの禅僧に影響を与え、曹洞宗の教えを固める基盤となりました。

彼の思想は、「ただ坐る」ことの深さを強調し、禅を形式ばった宗教行事から、日々の生活の中で実践する生きた教えへと変革しました。

その結果、禅はより身近なものとなり、多くの人々がその智慧を生活の中で実践できるようになりました。

坐禅の実践

瑩山禅師は、坐禅の実践を通して、心の乱れを見つめ、それに対処する技術を磨くことを強調しました。

坐禅は、ただ静かに坐るだけではなく、自分自身の内面に深く入り込み、そこで起こる心の動きを観察することで、自我という幻を手放し、真の自己に近づく手段です。

瑩山禅師は「常に大慈大悲だいずだいひに住して、坐禅無量の功徳を、一切の衆生に回向せよ」といわれています。

自分のためではなく、一切の生きとし生けるもののために坐禅・修行しなさいということです。

教えの普遍性

瑩山禅師の教えは、特定の宗教や文化に留まらず、普遍的な真理を追求するものとされています。

彼は、禅の智慧がどのような生活環境や状況においても適用可能であることを示し、それによって人々がより充実した生活を送る手助けをしました。

彼の指導の下で、多くの弟子たちが内面の平和を見出し、それを社会に広めることに貢献しました。

彼の遺した文化的遺産

瑩山禅師の思想は、彼の著作や教えが残された多数の文献によって今もなお多くの人々に読まれ続けています。

また、彼が創設に関わった寺院や、彼の指導を受けた禅僧によって建てられた道場なども、彼の教えを色濃く反映しており、曹洞宗の教義の核心として現代に伝えられています。

現代への影響

現代においても、瑩山禅師の教えは多くの禅実践者にとって重要な指針となっています。

彼の強調した「ただ坐る」ことの練習は、ストレスが多い現代社会において心の平穏を保つための有効な手段とされています。

また、彼の思想は心理学やセラピーの分野においても応用され、人々の精神的健康の向上に寄与しています。

瑩山禅師の教えは、単なる宗教的修行の枠を超え、日常生活の質を高め、個人の内面的な成長を促す普遍的な哲学として受け入れられています。

彼の思想が示す通り、真の平和は外部から得るのではなく、自身の内面から発見されるものであり、そのためには日々の意識的な実践が不可欠です。


いかがでしょうか?
道元禅師から受け継いだ教えを大きく広められた祖師として、私たち曹洞宗では太祖常済大師としてお釈迦様に向かって左側にお祀りしています。
「向かって右側には高祖承陽大師(道元禅師)をお祀りしています」
一仏両祖いちぶつりょうその由縁であります。

瑩山禅師の書かれた「坐禅用心記」に「念息ねんそく」という言葉が見られます。文字通り「息を念ずる」ことです。
わたしの生涯かけてのテーマであります。
今日はこの一言を贈りたく存じます。


念息

今日もご覧頂きありがとうございます。
念水庵 正道


禅マスターのイメージ

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