水上凌駕のほぼ落書き帳

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水上凌駕のほぼ落書き帳

主に連作短編/日暮宏太シリーズやエッセイを投稿してます 他にもインスタで音楽、YouTubeで生活を配信中です

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最近の記事

私が思う調和は"みんな仲良し"ではない

多様性という言葉が使われて久しい昨今ですが、僕は絶妙に都合のいい解釈で使用してる方も多くいるように感じます。 居場所や心の拠り所というのは誰もが求めてるものであると同時にそれを手にしてる実感が非常に得ずらいものです。 その反面、喪失感や疎外感というのは敏感に気付いてしまう人が多いため、多様性や調和という言葉を使って自分を肯定しない存在や社会へ半ば攻撃的な自己防衛として使われているような気がします。 それを私は寂しく思います。 一般的な多様性や協調性はみんな仲良しという

    • 他人は鏡だと言うけれど

      昨日仕事へ向かう途中、街中で核兵器禁止の署名活動と遭遇しました。 見た感じ戦争を体験したであろう世代の方々を中心に目視で20人くらい。四方に散らばり1人1人声をかける方。横断幕を持った人達。その横で1人拡声器で呼び掛けてる方。 スピーチは流暢ではなかったものの、辿々しさが逆に用意した言葉だけではない印象を受けました。 私は仕事に遅れそうだったので、「急いでるのですいません」と署名を断りその一団を通り過ぎた後、少し先の信号待ちで背後から聞こえてくる声にソワソワしていました

      • 日常を特別に捉えすぎていた

        散歩は脳が活性化するから良いとよく耳にしますが、確かに私は歩いてるときに考え事をすることが多いです。 出勤や買い物の道中、腕を組んだり顎に手を当てながらブツブツ呟いて歩いてる様は、はたから見ればさぞ怪しいことでしょう。 しかし私自身は思考を深め整理するいい時間になっています。 今日もお買い物帰りにふと、最近の自身の心境の変化について新しく気付いたことがありました。 端的に言うと、愛は崇高なものじゃない。セックスは特別なことじゃない。信じる信じないは難しい話じゃない。と

        • 母親について思うこと

          無沙汰してますと言うより、初めてましての方が多いかもしれませんね。いずれにせよぼちぼち投稿してくので読んでもらえたら嬉しいです。 半年ぶりなので手始めに今思ってることをつらつら書いてみますが、世間ではもうすぐ母の日なるイベントが催されるらしいですね。 私は今年で28になりますが、今まで自主的に母の日に参加したことがありません。もちろん父の日だろうが敬老の日だろうが等しくです。 スーパーに行って関連商品が大々的に陳列されてる様を見て初めて、「そんなイベントもあったか〜、、

        私が思う調和は"みんな仲良し"ではない

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        • ほぼ落書き帳[2024.05〜]
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          群青

          青を濃く染めるのが人生だ ずっとそう思っていたよ 無邪気と言えば聞こえがいい あの幼さに触れるまでは 白から黒のグラデーション 淡い時間はあっという間 君を思い出すたび胸が痛む それでも今日は続くから... 少年に戻れなくても 少女ではいられなくても 僕らが今、 煌めくことを諦めるのは違うだろ 未来が決まってても 過去が変えられなくても 自分自身の心が揺らぐ方へ 固い意志などはいらない 強い想いがなくても構わない ただ後悔だけしないように生きなさい 否、僕らはずっと必死

          私のこと好きでしょ?

          僕は子供の頃から脳内でごっこ遊びをするクセがあります。好きな人や仲良くなりたい人との関係を妄想しながら、一人二役で掛け合いをするシンプルな遊びです。 大半が好きな人とイチャイチャするような内容なんですけど、ここで言う好きな人は架空の人物であることが多いので、いわゆる妄想とは少し違うと認識しています。 そんな中で最近気づいたんですが、どうやら僕は、「私のこと好き?」的な言葉にドキドキする癖があるようなんです。 もちろん皆さんがこの言葉から、"鬱陶しい"や"重い女"という印

          私のこと好きでしょ?

          ヴィランの行方

          『僕のヒーローアカデミア』39巻が発売されました。 僕は毎回単行本が初見なんですけど、今回は過去イチ泣いたかもしれないと思っています。 荼毘とトガヒミコという2人のヴィランとの戦いに、恐らく蹴りが着いたのではないかと思うんですが、それぞれの心をしっかり救うカタチになってよかったなと素直に思いました。 特に僕がヒロアカを読み始めたきっかけとなった、轟焦凍と麗日お茶子のそれぞれのヒーロー像がカタチになったエピソードでもあってすごくよかっです。 また、荼毘の方は轟家の全員が

          EP1.来訪者①

          静まり返った暗闇に、赤いランプが回っていた。警官のようないでたちの男達が、ひとつの廃屋を見つめている。 下位層から近づく足音に怯えながら、俺は廃屋の非常階段をなぜか必死に駆け上がっていた。状況は掴めないが、禍々しさと緊張感で呼吸が浅くなっていることだけはわかった。 階段を登りきり、目の前の扉を開けると、大きな音と共に強い光が差し込んで視界を染めた。 数秒後、萎んだ目を開くと、上空にばかデカい音をさせながら留まっているヘリコプターと、倉庫が立ち並ぶ港の一角を、無数のパトカ

          自己紹介(2023.10版)

          この1週間は自分にとって、大きなターニングポイントとなる時間だったと思います。 今回は以前の記事で言っていた総括を主体として、そういえばnoteを始めて3ヶ月、まともに自己紹介をしたことがなかったという課題もまとめて解決していきます。 興味のある方は、以前の記事でこれまでの反省や根源的に求めてることなどをザックリ整理してますので、読んでもらえればこの記事に至るまでの流れがわかると思います。 基本情報 基本情報はこんな感じで、ざっくりと仕事も生活もたいして充実していない独

          海へ投げる

          目が覚めたら知らない景色 もしくは永遠に真っ暗なまま どちらにしてもいずれは 僕でいられなくなるんだな 明日が等しく来ないことを 頭の片隅に置きながら 心は安堵と落胆のため息 ひとつずつ吐いて動き出す 生きることは悲しいことだから あの日終わらせるつもりだったのに 留まらせたあなたのいない生活は 昨日に押し出されて続いてく 希望も絶望もないと知って 枠だけ残った世界に立った 報われるとか成し遂げる以外で 何に時間を使えばいいんだろう 今日進めたとこまでが 僕の人生にな

          箇条書きストーリー

          誕生編①職場で出会った父と母の間に産まれる ※共働きのため保育園に宿泊したりもしていた ②小学校入学前に両親が離婚し母親に引き取られる ※放課後は学童や母方の祖父母宅へ預けられていた ③一部の同級生から悪口や陰口を言われる始める ※先生からは評価されていたのでダメージは少ない ④母親に意見ややり方に疑問を持ち出す ※自分の言う通りにしておけばいいという主張 ⑤音楽LIVEを体験して歌手という仕事に憧れた ※1万人の笑顔を6人で作る魔法使いのようだった ⑥漫才の大会を

          つぶやき機能

          3ヶ月ほど毎日投稿してましたが、一昨日から2日間投稿しないということを試しました。 すると、毎日何かを投稿するという行為がないと、停滞感があることを再確認できたました。 なので使ったことのなかったつぶやき機能というもの試したのがこちらです。 つぶやき機能を使って自分のページを確認したところ、通常記事と同じ一覧に並ぶということが判明しました。 と言うことは、公開範囲や検索の仕方も同じ仕様だと推測されるので、僕的には使いようがないなと感じました。 単純に自分のページを見

          後倒し

          今日、amazarashiの新しいアルバムから一曲、先行配信がなされ、先程MVも公開されました。 『下を向いて歩こう』というタイトルなんだけど、冒頭から軽快な音に心が躍るような楽曲でした。 2015年にバイトの先輩から勧められて聴くようになったamazarashiは、今となっては故郷のような存在で、ほとんど帰ることはないし、たまに帰ったときも特別何かあるわけじゃない。 ただ、「あの頃しんどかったよなぁ」と、清々しい気持ちで懐かしめるのが、とても心地良い。 僕は家族や友

          私が今やるべきこと

          僕は文章を書くのは好きなんですけど、読むのは不得意なので、実はまともに本を読んだことがありません。 なので要約にはなってしまうんですが、『7つの習慣』『夜と霧』『ツァラトゥストラ』の3冊は感銘を受けた本だとはっきり言えます。 具体的に言うと、7つの習慣では終わり思い描くことや重要と緊急の違い、自叙伝的な反応やwin-winであることなど世界観の共鳴があり、夜と霧では愛することなど生の悦びについて、ツァラトゥストラでは精神の三段階の変化のような生の価値にまつわる話が、自分の

          馬鹿みたい

          馬鹿みたいな人間を馬鹿みたいと笑う 馬鹿みたいな人間を馬鹿みたいと笑う そんな世界でしょ?だってそうでしょ この声は誰にも届かない 望まれずしてた産まれた命も 誰かの役に立てるって思ってたかった だけど否定ばかりで 弾かれてばかりで ホント嫌になるな 生きる意味はないな 縋ったイヤフォンから聴こえてくるのは 自己表現と存在証明 皆んなが皆んな自分らしさを歌うなら 世界の中心も端っこも どれだけ入れ替わったっていつもここがそうなんだ 馬鹿みたいな人間を馬鹿みたいと笑う 馬

          自分のことしか見てこなかったよな

          昨日の夜執筆した内容が少しネガティブな方向にいってしまって、それに引っ張られたのかなかなか寝つけず夜更かしをしてしまいました。 そのお陰と言うと変ですけど、ちょっとした変化があったので、今日は前向きな反省回にしたいと思います。 まぁタイトルにあるように、自分のことしか見てこなかったというのが今回のテーマなんですけど、自分のスタンスとかスタイルを否定するつもりはなくて、単純にやり方の問題というか、もう少し視野を広げるべきなんじゃないかって思ったんです。 体感として、『自分

          自分のことしか見てこなかったよな