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毒にも薬にもなる毎日|カフェイン中毒者の手記

ほぼ毎朝コーヒーを飲んでいますが、時々コーヒーを飲まない一日を過ごすことがあり、そういう時は物足りなさを感じながらもカフェインを摂取していないことから、まったりとした気持ちで過ごすことができたりします。

少し辞めてみることで自分がいかにカフェインに依存して毎朝を過ごしていたのかを実感することとなりました。要するにカフェイン中毒なわけです。

カフェインには神経系を刺激する作用があり、身体内でエネルギーの調節や睡眠の調節に関与している神経伝達物質であるアデノシン受容体に結合します。

この結合により、アデノシンの結合が阻害され、神経活動が活発化します。その結果、眠気を感じにくくし、注意力や覚醒度を高める効果が得られます。

カフェインの作用メカニズムは、神経系に影響を与えるという点では、他の毒性物質とも類似しています。つまり、程度の差はあれどコーヒーを毎朝飲む人は年中毒性のある飲み物を摂取していることとなります。

過去に毒キノコを食べてしまった経験を書いたことがありますが、毒性により体調不良にはなったものの、その味は今まで経験したことがないくらいに美味しかったという不思議な経験をしました。

酒もたばこも人々を中毒にさせる作用をもっており、古来からそれらを商品として昇華しながら、あらゆる場面で楽しまれてきました。

健康被害や社会的問題が頻発してしまうと増税対象になったり規制が強まったりしますが、それは時代によって変わっているようで、現代においてコーヒーの風当たりは悪くないように見えます。

人間は基本的に毒性のあるものに魅力を見出す傾向があるのかもしれません。酒やたばこはその最たるものですが、激辛料理が大好きな人は積極的に刺激物であるカプサイシンを摂取していますし、筋トレやマラソンなどを過剰に行いエクストリームスポーツに精を出す人もいます。

これらは、本人自身も毒性とも言える苦痛を自らに与えていることを自覚しながら、その一方で快楽も感じているため、一見矛盾したように見える習慣にのめり込んでいっているのだと思います。

なぜそうだとわかっていながら、こうまでして毒性や刺激を求め続けているのでしょうか。人間とは甚だ不思議な生き物であり、自分も含めて理解するのが難しい行動ばかりしています。

しかし、こういった毒性や刺激が存在しない世界を想像してみると、何だかあまり面白い世の中のようには思えず、世界には毒も刺激も必要だからこそ、人々はこういった矛盾をはらんだ行動をしている可能性も見えてきます。

休むことなく活動し続ける起業家のような人もいなくなり、酒もたばこもコーヒーも必要とされずリラックスできる娯楽がなくなり、そんなのっぺりとした平和な世界にでもなるのでしょうか。

もし、そうだとすれば、人生は毒性や刺激があってこそ素晴らしいのかもしれません。毒を含んだ複雑な状況でいるからこそ、美しい人生を生きていけるものなのでしょうか。

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