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80'sハワイ オアフバーとグリーンフラッシュ

グリーンフラッシュとは、太陽が沈む直前に一瞬閃光のように緑色に光る事。ハワイでは見ると幸福になると言われていた。シェラトンワイキキには海に面したオアフバーというところがあり(何度か改装されて名前が変わり)そこに私はよく顔を出していつもシーバースリーガルの水割りを飲んでいたので、バーテン連中は私の事を「シェーバース」と呼び。

そこで、毎年冬の3か月間サンフランシスコから来てシェラトンに滞在するという老夫婦(お金持ちなんだろうなあ)と親しくなって、いつも同じテーブルに座っている彼らに呼ばれて一緒に呑んだがプライベートな話はあまりしなかったし、食事も一度夕食を共にしただけだった。一回でもよいから見たいねと言っていたグリーンフラッシュも結局見られずじまい。でも実際写真に撮った人もいたので、そんな瞬間もある。12月から2月彼らは居て帰って行った。「また会いたいね」普通のお別れ言葉でもちろんそれが最後。たまにご主人の体調が悪い時があったが、2人ともとても穏やかで優しい笑顔の人。25歳の私が「死ぬときはハワイで夕陽を見ながら逝きたいなあ」と言ったら笑っていたが、今のところ難しいようだ。

カラパナの話を以前の投稿でしたが、もう一組大事なバンドがいてCecilio & Kaponoです。「The Nightmusic」というアルバムが特に有名だけど、彼らもたまに生演奏を聴けた。ソロアルバムをリリースした片割れのHenry Kaponoは良かった。その彼のとても気持ちの良い曲Celebrate、人生の美しさに対する私の感謝の気持ち、当たり前と思っていること。太陽、月、地球、そして人々、生きる権利に気づき祝う詩。ハワイらしい。Henry Kaponoの演奏は今でもヒルトンハワイアンビレッジに行けば聴くことができるらしい。

オアフバーのバーテンで日系3世のBartというやつがいて、同じ歳だったことのあり、気が合ってよく遊んだというか誘ってくれて、バーベキューやゴルフを一緒に頻繁に楽しんだ。ワイキキにアラ・ワイ・ゴルフ・コースというパブリックゴルフ場がありハワイに住んでいる人は月に20ドルくらいでいくらでもプレーできたから、彼らも良くプレーしていてBartの従弟とお父さんと私の4人でプレーしようとしたら、一緒にお願いと2人加わって6人でプレー。彼らどんどん打つ。グリーン上に人がいても打つ。グリーンにいる人で見張りをしている奴がいて「来たぞー」というと上を見てよける。事故が無いのが不思議なくらいで1ラウンド2時間という速さ。そしてみんな上手くて80を切るし、私もつられて80位で回っていた。私はゴルフを始めて3年目だったがそのころが一番上手かった。もうやめましたが。あっ、グリーンにいるのに無謀だろうと思うでしょうが、実は彼らわざとグリーンを外して打つのであまり危なくないのです。

実は私グリーンフラッシュ見ました。老夫婦が本土に帰ってすぐだったか、一緒に見て喜びたかったです。幻だったのかもしれないし、思い込みだったのかも。実際見た見たと騒いでいる人は良くいましたから。

Bartに会いたいです。一度だけでも。ちょび髭はどうなったのだろう。思い出が多すぎてハワイには行きたくない。ハワイの話 その三

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