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爆発前に抱きしめてください

アメリカ時間では中国の新年、大晦日です。
CCは料理を作り、REはケーキを作ります。
YHと座って食事を待っていて、私たちが実存主義の話をしていると、CCがソファーの後ろから、「魚は油で揚げるのか、蒸したものにするのか」とたずねてきました。
私とYHは笑いました。彼女はこう言いました:これが人生です!
そして今、リビングルームにいる五人のうち、四人が精神科の病者です。
私たちの話題の一つは:様々な薬の効果と、ここ数年の副作用、体化反応です。
Oh、Thats life!

さて、Yとの関係ですが、なぜ恋愛と仕事が対立するのか。
REはクリームをかき混ぜながら、「たとえば、YHは忙しそうだから、また勉強に戻ろうか、それともこのまま食事が始まるのを待っていようか迷っているこれはきっと沖突があります、それは恋愛と同じだと思います。みんなそうです、サンの問題ではありません」と言いました。

YHは昨日ニューヨークから帰ってきた彼女たちの友人で、昨夜は同じベッドで寝ました。
朝、目を覚まして話をしていると、彼女は元々イラストを専攻していたのですが、GAP YEARの時にたまたま量子物理学の本を見て興味を持ち、RISDの芸術学部からコロンビア大学の物理学科に移り、現在は友人と生物学のプロジェクトをしているとのこと。
多様性というものは、そうやって彼女の経歴を通して私の前に展開されてきたのです。

昨夜、ボストンから帰ってきて、Yともう一度電話をしました。
その時そばからREが、「二人は今はどういう関系なんですか」と聞いてきた。
Yに伝えますが、「あなたは今でも私の彼氏ですか?」
彼は少しためらってから「そうですね」と言いました。

甘い電話のはずなのに、なぜか今日の私には実感がわかないのです。
昨日の夜明けの電話でYは「僕はサンが私を愛しているとは思わないで、サンはただそばにいる人が必要です」と言いました。

今日は家に帰る前にRISDの博物館に寄ってロダンのお気に入りの彫刻をもう一度見に行きました。
出てきた時、空はもう暗くて、夜空のあの一番明るいシリウスを見ました。
去年の夏、午前三時か四時にYと鴨川のほとりに座って見たオリヲン座を思い出します。

「確かに私はいつも寂しさを感じています。誰かがそばにいてくれることを願っています。でもただ一人だけそばにいてくれることが必要なら、どうして私はあなたをつかまえて離さないのでしょう。どうしてあなたのことだけを思うと、私の心臓は鷲摑みになるのでしょう」

ウォールデンに行ってソローの言葉を思い出しました:
「人は誰もいない遠くにいてこそ、誠実に生きることができるのです。」

苦しむのは本当で、他の人を愛するのも本当です。いまのわたしは、いつまでもYと一緒にいたいと思っています。

YHは、彼女が過去に参加したことがあるコースで、その理論の一つは、「永遠の追求は苦痛の源であるため、仏教では無常と言われています。」

全ての粒子が無規則運動をしているようなものです。

この間の自省は:自分の感情が爆発する時、コントロールできないでいくつかの心にもない行働をして、自分を傷つけて、他人も傷つけます。
日記の中の、燃えやすくて爆発しやすい文字みたいなものです。

私はYに、「もし次に言い争ったら、爆発する前に抱きしめてください」と言いました。

覚えていようかどうだろうか。

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