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てんのじ村

難波利三さんの直木賞受賞作品である「てんのじ村」を読んだ。

西成区山王町はかつて「てんのじ村」とよばれ、戦前戦後には多いときに芸人が400人ほど住んでいた。時代の波に飲み込まれたり乗りこなしていく芸人たちの生活や人生ドラマと共にまちの変遷がありありと描かれている。

このまちは大阪の難波、新世界、天王寺の間にあり芝居小屋や大舞台が近くにあることから、いつしか芸人たちが移り住むようになってきた。そこに芸能社ができあがり、全国から仕事が舞い込み、多い時には30人ほどの一座をくんで全国津々浦々を旅をしながら慰問するようになっていった。

自分の技一本で勝負する芸人の多くは決して儲かっているとは言えない状況で、トイレもお風呂もない部屋に住み、共同のトイレや浴場を利用したり、ものを共有したり、食事を共有したり、そこには助け合い人情があった。

一方で、芸事以外の仕事はしないと決めた人も多かったり、人の世話になりっぱなしになることを嫌い自立していきようとする誇りを大切にされていた。

人情と誇り。

自立と共有。

それが両立しているとき、街はにぎわい活況を魅せていた。逆に、活況があったから、それが保てていたのかもしれない。

いまでは空き家や空き地、崩れた家も多くみられ、ものさみしい印象も感じる。

一方で、今でもまちの人の助け合いやご近所づきあいは一部に息づいているし、誇りをもって生きている人や活動も見受けられる。

人情と誇り。これは山王だけが失ったものではなく、日本全体が失ってきたものではないか。

この山王だからこそ、それを取り戻せるのではないか。現代の若きエネルギーが集まり、創作活動を行いつつも助け合い、世界に羽ばたいていく。このまちに誇りをもつ人がたくさんいるようなまちに生まれ変わることができるのではないか。

小説「てんのじ村」の一節に、私が取得した24軒長屋と思われる記述がある。戦時中はかつての闇市だったこの長屋は芸人さんやこの周辺の生活者を支えてきた。それを受け継ぐことになったのも何かの縁であろう。

長屋を一つにハブにしながら、この地に埋もれた宝を掘り返していきたい。

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