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貴方は逝っても愛は逝かなかった 「#虎吉の交流部屋プチ企画」

実話です


〇月22日 「療養型病院」のICUに貴方は居た。
一般病棟からこの病室に移ったのは三回目だった。
此処は男子も女子の区別もない4人部屋だ。誰ひとりとして意識はなくただ「その時」が訪れるのを口を開けて待っている。糞尿と消毒が混じり合った強烈な臭いにだけは未だに慣れる事が出来なかった。

医師は「今度こそ、今度こそ、もう助からない」と言った。でも私はまた「奇跡」が起こるのを信じていた。

呼吸は少し荒いけど顔色もいい。昨日、一昨日…と何ら変わらない。
長い間主人を看てきた私でも、どこが今までと違うのか見た目では分からなかった。ただ数値だけは最悪だと知らされていた。
胃ろうの栄養はもう入らない。入れても内蔵が吸収しないから胃や腸に詰まるか吐いてしまう。高濃度の栄養点滴だけが主人の生命を2ヶ月間繋いでいた。それももう時間の問題だと言う。
この日は主人の姉もお見舞いに来てくれた。私の実母も下の妹夫婦も……虫の知らせだったのか?
面会時間の終わりを告げる放送が鳴った。いつものように

「じゃあ、また明日ね」
鎖骨が曲がってしまった主人の細い肩に触れた。

次の日の早朝、私の携帯が鳴った。
「ご主人が危篤です!直ぐに来て下さい!」
信じられなかった。急いで病院に駆け付けると看護師さんが
「急いで!急いで!」
私の手を引っぱって一緒に階段を駆け上ってくれた。
ICUの主人のベッドの周りだけがカーテンで囲ってあった。ベッドの中に昨日とは明らかに違う蒼白の顔をした主人が寝ていた。
看護師さんが最期の痰の吸引を行った。7年半、主人を苦しめ続けてきた吸引。この時だけは意識が少し蘇るのかいつも苦しそうに顔を歪めていた。でも今日は何の反応もしない。
「後はお二人で。僕達は隣のナースステーションで待機していますから」

「ダーちゃん!来たよ!私だよ!」
駆け寄って手を握り、冷たくなっていく顔を擦って温めた。
「ウソでしょ?ねぇ、ウソでしょ?」
私は思わすダーちゃんを抱きしめた。
心電図のモニターの波がだんだんと弱くなり
ツー、ツー
平坦になる時間が増える。それでも再び、また再び、ダーちゃんの心臓は動き出す。
ガラス窓の向こう、ナースステーションに担当の医師の姿が見えた。
「先生!助けて!お願い、もう一度!!」
医師は首を横に振って『二人でゆっくり居なさい』と言うように両手で合図をした。

「ウソだよね、ウソだよね…」
私は主人を抱いたまま頬にキスをした。誰が見ていても構わなかった。冷たいキスだった。

それから出逢った頃からの長い長い話しを始めた。
耳だけは最期の最期まで機能すると聞かされていた。
「ねぇ、ダーちゃん覚えてる?初めて逢った日のこと…」
「ねぇ、結婚式のあの出来後、面白かったね~」
「一緒に行った思い出の海にもう一度行きたいね。ねぇ、目を開けて…」
「サーフボードだけは、まだ取ってあるからね」
「ずっとずっと大好きだよ、私を見つけてくれてありがとう、幸せだった……」
1時間弱くらいだろうか。私は冷たくなっていく主人に狂ったように語り続けた。此方の世界に呼び戻したかったのか、別れの言葉を探していたのか、今も分からない。

「ありがとう、ありがとう、ダーちゃん」

ツー、ツー……
心電図は遂に直線になり、再び波を打つことはなかった。眠るように静かにダーちゃんは私の腕の中で息を引取った。
医師と看護師さんがカーテンを開けて静かに入って来た。
医師が腕時計を見た。
「9時26分」
それだけ私に告げると深く会釈をした。

長い闘病生活の終わりだった。

私の願いは届かなかった。日々、医学は進歩している。
生きていれば、生きてさえいれば、今に癌や他の病気のように新しい薬や治療法が開発されるかも!私の夢は夢で終わった。

処置が終わり遺体安置所に運ばれる頃、連絡してあったダーちゃんの両親と姉がやっと到着した。
遺体安置所に寝かされた主人の骸に介護仲間の人達や沢山の医療関係者の方々が次々とお線香をあげに訪れてくれた。知らせてあった霊柩車を待たせるほどの数だった。
寂しがり屋のダーちゃん、良かったね。


通夜の最後に喪主挨拶で私はマイクの前に立った。
以下は、私が読み上げた挨拶状の文面そのままを添付する。


喪主 挨拶

本日はお忙しい中、主人〇〇〇〇の為にお集まり頂きまして誠にありがとうございます。

20〇〇年12月20日 早朝、大木のようだった主人が突然倒れました。脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血でした。

「ウォー!!」
鬼のような形相をして仁王立ちをした〇〇は、それでも携帯を握り締め、仕事場に電話を掛けていました。
「ちょっと脳の血管が切れたみたいなんで、病院に行ってから現場行きますよ、ガッハハ。なぁ~に大丈夫っすよ」
私はその隣で救急車に電話をしていました。
当時、主人は第二東名開通に向けて突貫工事をしていました。

あれから七年半…
第二東名は新東名と名前を変え開通し、大木のようだった主人は枯れ枝のようになって今、此処に横たわっています。
壮絶な本当に壮絶な病との闘いでした。身体中の肉という肉をエネルギーに変えて、主人は呼吸をし心臓を動かして「生きて」きてくれました。
〇月23日 9時26分 〇〇は私の腕の中で長い闘いに幕を降ろしました。

「△△、△△、△△」 ※私の本名
救急隊員さんに玄関から運ばれて行く時、薄れていく意識の中で最期に〇〇が言った言葉です。
その言葉が、今日まで私を突き動かしてくれたと思います。

人の悪口を言うな!
人を羨むな!
人を恨むな!
人を蔑むな!
主人のポリシーでした。そして、その通りに生きてきた男です。

「人は宝だ」

七年半、目醒める奇跡は起こりませんでしたが、今日、明日、此処にお集まり下さる全ての皆様が、〇〇が生きてきた「宝」です。
この人数が〇〇が起こした奇跡です。

皆様、お忙しいでしょうが、明日は〇〇〇〇の最期の宴会です。どうか最後の「供養の膳」までお付き合い下さいますようお願い申し上げます。
〇〇と一緒に此の世での最期の酒を思う存分、無礼講で飲んでやって下さい。

本当にありがとうございました。



翌告別式の日、平日にもかかわらず火葬場へも最後の「供養の膳」にも200人以上の方々が仕事を休んで参列して下さった。(葬儀へは500人を超える方々が来て下さった)私達の結婚式の出席者よりも多い人数だった。

葬式の打ち合わせの際、斎場の担当者の女性は
「奥さん、私の経験上7年半も意識のなかった方のご葬儀にそんなに人は来ませんよ」
私を嘲笑った。
「いいえ、皆さんきっと来て下さいます」
珍しく私は引かなかった。

結局、斎場の会食場は二部屋を使い、用意した膳も足りなくなったのであらたに寿司桶を取った。
賑やかな宴会になった。皆が酒を酌み交わし泣き、笑い、主人の話しをしてくれた。でもいつもその中心で笑っていた主人だけが居なかった。

宴たけなわに差し掛かった頃、主人の姉が仏の席に相応しくない大きなバースデーケーキを会場に運んで来た。
花で飾られたダーちゃんの大きな遺影の前にケーキが置かれると皆が立ち上がり「ハッピーバースデー」の歌を歌い始めた。

「さぁ、△△ちゃん、ロウソクを吹き消して」

奇しくも、その日は私の誕生日だった。
優しく微笑むダーちゃんの遺影の前で、私はロウソクを吹き消した。
温かな盛大な拍手の中に私は包まれた。

七年半の私の思いは実らなかったが、主人が遺してくれた「人は宝だ」の思いが見事に実った瞬間だった。

ダーちゃんからの最期のプレゼントのケーキは、涙で塩っぱかった。







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