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「連載小説」姉さんの遺書5

     (ひまわりの章) 
        ※花ことば「偽りの愛」「偽りの金持ち」


「親父のせいだ!!」
バタンッ
乱暴にドアを閉めて息子の亮一は出て行った。

亮一が担当している介護施設の利用者の減少を注意しただけだった。嫁の珠姫が亡くなってから亮一が仕事に身が入らなくなったのは分かっている。的外れな八つ当たりをする姿に父親として憐れみを感じずにはいられなかった。

しかし、俺のせいか……

高柳健三は自社ビルの五階の社長室で、亮一が残した言葉を噛みしめていた。
亮一の嫁が亡くなってから健三自身も、後味が悪い思いを引き摺っている。
健三は重厚な濃茶の社長机を分厚い拳で、一つドンと叩くと立ち上がって窓の外を眺めた。
夕暮れが近づく空に濃い灰色の雲が垂れ込めている。
「今夜は雨になるかもしれないな」
視線を下に移すと自分が買収してきた多くの土地や建物が見える。
がむしゃらに走り続けてきた歳月が健三の顔に深い皺やシミを刻み付けていた。

健三はまだ土建屋と呼ばれていた時代の小さな建設屋の三男坊として生まれた。末の子供だったからか世間に余裕が出きた時代だったからなのか、両親は三男の健三にだけ教育を受けさせた。上の二人が中学校を卒業すると同時に父親の会社で働き始めたのに対し、健三は勉強に明け暮れる青春を送った。
『鳶が鷹を生んだ』
有名私大に合格した時、両親はそう言って喜んでくれた。自分に残すものは「教育」しかなかった、それに気付いたのはずっと後になってからだった。両親は無けなしの貯金をはたいて健三に学をつけさせた。兄二人は未だに父親が遺した建設会社を細々と営んでいる。

大学を卒業すると順風満帆な安定した人生を歩ませようとした両親の思惑通りに地方銀行に就職した。健三が事業を起こそうと決意したきっかけは、母の死に依るところが大きい。若い頃から男達に混じって肉体労働を続けて来た母親は長年の苦労が祟ったのか、還暦を迎えた歳に乳がんを悪化させて、あっけなく逝ってしまった。あの時もっと早く発見していれば、もっと家に金があれば母が仕事に出る事もなかったのに…
病室のベッドに腰掛けた母の痩せた後ろ姿が、今も忘れられない。

健三は父の猛反対を押しきって銀行を退職した。
それからは持っていた資格を活かして「不動産業界」に身を転じた。丁度日本はバブル経済の真っ只中だった。土地ころがしのような事をしたり、市議会議員と癒着して情報を得て金は面白いように転がり込んできた。
そんな頃、接待で連れて行かれた銀座のクラブでホステスをしていた加奈子に出会った。始めてみる都会の女は田舎者の健三には眩しかった。銀座に行く度に加奈子を指名し、口説き落とすのに時間は掛からなかった。



それが間違いだったのかもしれない…
加奈子は俺の金に尻尾を振って付いてきた女だ。沢山の子供に囲まれて温かい家庭を築きたかった俺とは違った。長男の亮一が生まれるとそれ以上の子供を作ろうとは決してしなかった。やれ、スタイルが崩れる、子育ては鬱になる、旅行に行けない、エステにジム…
全ての事の始まりは俺が人生の伴侶に加奈子を選んだからだ。
銀座から自分で手折ってきた花は、地方都市では直ぐに色褪せ萎びてしまった。今では俗に言うただのイタイおばさんになった加奈子は、俺の金に群がるハイエナの一人に過ぎなくなった。
俺が作った俺の資産を俺の血が通う者に遺したい。
そう思う何処が悪い。
この先、この寿命が尽きるまで働いたとしても、所詮、親族会社の域を出ない中小企業止まりで終わる会社だ。
子供に囲まれて暮らしたい…果たせなかった夢を孫をこの手に抱く事で少しでも晴らしたかった。

息子の亮一夫婦は結婚してから何年経っても、子供に恵まれなかった。
亡くなった珠姫さんには、何の落ち度も恨みもないが俺はそれだけが不満だった。
だからと言って何も死ななくてもいいじゃないか。
まるで俺へのあてつけのように……


「キャンパスハート」というキャバクラに行ったのは、ほんの偶然だった。接待の帰りにタクシーを待っていた健三は『本物の女子大学生だけの店』という看板の文字に目が止まった。一緒にいた専務の橘を伴ってドアを開けた。
むせかえるような電子タバコの匂いの中を安っぽいソファが並んだ一角に通された。まもなくして
「失礼しま〜す」
大輪のひまわりの柄のワンピースを着た娘が現れた。それがユカリだった。
若者の喧騒の中で安い酒を飲まされ、湿気ったようなピーナッツを口に運びながら、健三はひまわりの柄の下に隠されたユカリの身体を舐めまわすように観察した。

「おじさま、私の顔に何かついてるの?」
「いや」
「ねぇ、ユカリにも何か飲ませて〜」
「あぁ、何でも飲んでいいぞ」

健三の男の勘が働いた。ユカリは最近、妊娠したという土屋なんとかと言う若手女優に似ていた。バーンと張った尻にむちむちした健康そうな太股、何よりも広い骨盤が文句なしだった。この娘なら…

「おじさま、そんな目で見ないでエッチ!」
「君は何処の大学なの?」
「〇〇大学の3年よ、仕送りが少なくて働いてるの」
3年生という事は21か…
「両親は?」
「母親が一人九州に居るわ。父とは母が離婚してから会ってないの」
「それは大変だな~。大きな病気はしたことあるかい?」
「見ての通り全然健康よ。飲んでも食べても太っちゃうのが悩みかな」

悪くないと思った。
健康体で金に困っている女子大学生。
「私がいいバイトを紹介したいんだけど…」
「私、これ以上の風俗はやらないわよ」
「まさか処女って訳じゃないよな」
「そりゃ、そうよ!この歳になれば…」
「彼氏は?」
「この前まで居たけど、ここに勤め始めてから会えなくて…自然消滅ってヤツ?」

合格だ。
「分かった!おい橘、もう帰るぞ」
「えっ?ユカリ、怒らせるようなコト言ったぁ~?」
「反対だ。また来る。週末はいるのかな?」
「金曜日と土曜日は必ず出てるわ」
勘定の前にユカリの手に名刺と三万円を握らせた。
「チップだ、取っておけ」
「わぁ~!バブルきちゃった!」

ユカリは健三が「キャンパスハート」に再び顔を出す前に、店の方針なのか渡した名刺に載せた携帯に何度か電話を掛けてきた。二回目の電話で食事に誘ってみた。

「おじさまだけだよ、ナ・イ・ショだよ」
すんなりとOKしてきた。運転手つきの社用車で迎えに行くと
「スゴーイ!スゴーイ!」
車の中で、まるでゴムマリのようにはしゃいで見せた。車内に充満するユカリの甘ったるいコロンの香りだけが健三は苦手だった。

何度めかの来店時に健三はユカリの耳元で囁いた。
「なぁ、一年間だけ私にくれないか」
「どういこと?おじさま?」
(このオヤジは大切な金ヅルだけど、そろそろ終わりかな~。こんなジジィのオンナになるつもりないしぃ~)
「学費は私が出す。生活費も小遣いも出そう。その他に成功報酬はこれだ」
健三は太い人差し指と中指をユカリの目の前に突き出した。
(二百万円か〜、悪い話しじゃないけど…加齢臭にまみれての一年間はキツいな~)
「えーー!二百万円?」
それでも大袈裟に喜んでみせた。
健三は、ふふっと鼻先で笑った。
「ユカリは可愛い奴だな。二千万だよ」
「ブッ」
飲んでいたカシスソーダを吹き出した。慌てておしぼりでガラステーブルに飛び散った赤いシミを拭いた。
「どんなコトすればいいの?」
まつエクに囲まれたユカリの眼がギラリと輝いた。
「詳しいお話し、聞かせて」
健三はユカリの方に身を屈め声を潜めて話し出した。
「私には一人息子が居る……」




つづく





(参考人献)
不動産屋のTさん
実業家のY氏
建設業でキャバクラ通いのS社長

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