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「連載小説」姉さんの遺書4

     (曼珠沙華の章)

柴田 大悟はもやもやしていた。そわそわと言い換えてもいい。
浮かれた熱のような感情に俺もヤキがまわったものだと思う。まさか自分の中にニキビ面した高校生のようなウブな心が残っていたなんて信じられなかった。
いい歳をして充分過ぎるほどの分別を持った男が、たった一度会った女に想いを馳せている。

柴田は小さな興信所を経営していた。
興信所というと聞こえはいいが、企業調査の依頼は殆どなく個人の浮気調査ばかりを扱っている。薄汚れた人の裏側ばかりを喰って生きてきた。そんな柴田がほんの小遣い稼ぎのつもりで始めたのが「Cut Ties Service」読んで字の如く「縁切り屋」だった。
表稼業の興信所で調査をしても不倫の痕跡が出て来ない客に「何とかして別れたい」と言われたのが始めるきっかけだった。
これは金になるかもしれない。
柴田の金儲けのアンテナは鋭かった。陰の口コミで広まったのか今では裏稼業の方が収入が多いほどだ。
しかし高収入を得る為にはリスクが伴う。ハイリスク、ハイリターンは何処の業界でも一緒だろう。売春斡旋法などに引っ掛からないように限りなく法律ギリギリのブラックに近いグレーな商売をしていた。興信所を経営している以上、警察とは仲良くやっていかなければならい。
柴田は男として仕事に誇りを持っていなかった。いや、若い頃は自分だって夢を描いて外資系企業に就職をした。
それがどうだ。バブル崩壊と共に二流大学出の柴田は肩を叩かれた。いわゆる戦力外通告を受けたわけだ。それからの柴田は金の為なら犯罪以外は、何でもやって生きてきた。

それが…
一ヶ月程前の夕方だった。
「所長、お客様です」
形ばかりで置いているバイトの井上 百合が一人の女性を所長室に通した。所長室と言っても受け付けと衝立て一枚で区切っただけのスチール製のキャビネットが乱雑に並ぶ部屋だ。
グレーのスチール製の衝立てから、
「失礼します」
顔を覗かせた女を見て柴田は驚きを隠せなかった。仕立てのいい濃紺のワンピースに身を包んだ女は、ぞっとするほど美しかった。
この美しい女が、あのホコリで薄汚れた狭い階段を一人で上って来たのか。俺はからかわれてるんじゃないか?こんな場末の興信所に何の用だ?
今まで柴田が相手にしてきた客とは、明らかに違う。
「あの…」
見惚れていた柴田に女が躊躇して声を出した。
「あ、どうぞ掛けて下さい」
慌てて、使い込んで相当ヘタバッている来客用のソファを指した。
「失礼します」
伏目がちに女はワンピースの裾を気にしながら、腰を降ろした。ワンピースから伸びた形のいい脚に上質そうなエナメルの白いパンプスを履いている。腰掛けるとパンプスは女の身体の一部のようにキチンと揃えられた。その一連の流れるような動作まで男の目を魅了せずにはおかない。

「私が所長の柴田です。今回はどういったご用件でしょうか」
女の左手の薬指にはプラチナの指輪が光っている。男という動物は、どんないいオンナが女房でも必ず浮気の一つや二つはする、どうしようもない動物だ。
「不倫調査でしたら、こちらの価格表をご覧になって…」
「いえ、そちらの依頼ではないんです」
「と、申しますと?」
あぁ、こんないい女なら他にいい男を見つけて、今の旦那とさっさと別れたいんだな、裏稼業の依頼か?
柴田の妄想は膨らんでいく。
女の美しい顔が一瞬、苦痛に耐えるように少し眉間にシワがよった。白い指先がこめかみの辺りをそっと押さえる。
歳の頃は三十代後半から四十代前半といったところか。女が若ければいいと言うのは、モテない年増女の僻みだな。このくらいの年齢の内面から溢れる色気は、十代の女のコには到底出せない。
柴田は女の次の言葉を待った。
「別れさせて欲しいんですの。私の主人と今交際中の彼女を」
「はい?」
おかしな事を言う。不倫相手が分かっているなら、妻の特権で別れてもらうか、さもなくば慰謝料をふんだくって離婚すればいいだけだ。持ち物から見ても金に困っている様には見えない。旦那からも慰謝料をガッポリ取れば済む話しだ。柴田の気持ちを見透かしたように女は言った。

「私、夫とは別れたくないんです」

訴えかける瞳の切なさに柴田は酔いしれた。まるで自分がこの女の夫でそう言われているような気持ちにさせた。
「どうぞ」
バイトの百合が安いインスタントの珈琲を運んで来た。
何か事情がありそうだ。
「分かりました。詳しいお話しを伺いましょう」
こんないい女の依頼を断る理由は、何処にもなかった。柴田は初めてこの商売をやっていて良かったと思えた。この女性の力になれる。
女は切々と語り始めた。
時には大きな茶色がかった瞳に涙を浮かべ、最後に
「私の願いを聞き入れて頂けますでしょうか」
と言った。

その話は時代錯誤も甚だしいバカげた話だった。
子供が出来なかったから女房公認の上で不倫をする。この美しい目の前の女もそれを了承した。しかし、本当は嫌だから別れさせたい…
「でも私共が出なくても奥さんの一言で、別れてもらえばいいだけの話じゃないですか?」
「ごめんなさい、柴田さん。それだけじゃ嫌なんです。私、私が味わった悔しさをあの若い娘にも味あわせたいんです」
「……」
「醜いとお思いですよね、軽蔑されても構いません」
嫉妬などとは縁遠そうな女も、それなりの憎しみや苦しみは持ち合わせて生きているのか。女の決心は固そうだった。
「その女性の素性もセットで調査しますか?」
「受けて頂けるんですね。ありがとうございます。それには及びません。近々、資料をお持ちします。」
そう言って手付金だと言って五十万を置いて帰って行った。女が立ち去った後の事務所は、尚一層、殺伐と柴田の目に映った。

それが、あれから一ヶ月が経とうとするのに女は訪ねて来るどころか、電話の一本も掛けて来なかった。
金持ちの奥様の気まぐれか?
しかし柴田は仕事よりも「高柳 珠姫」と名乗ったあの女にもう一度会いたかった。
キャンセルでもいい、金庫には手つかずの五十万が入ったままだ。ただもう一度だけでいいから、会いたかった。


僕は姉さんが眠る墓前に手を合わせている。
成金の歴史のない家が新しく建てた墓は、今どきのデザインだが重みに欠けた。白い花で飾られた真新しい墓標に向かい、僕は姉さんに語りかける。

「これから実行するよ。僕は後悔はしない。それが姉さんの願いなら…」

アスファルトの隙間を突き破って初秋を告げるように曼珠沙華の花が風に揺れていた。
『想うのはあなた一人』
花ことばを思い出しながら僕はポケットからスマホを取り出した。


つづく





(あとがき)
点と点を結んで線にする作業がこんなに難しいと思わなかった。
ふと勝手に松本清張は、やっぱり偉大だと思った章。

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