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「連載小説」姉さんの遺書6

    (四つ葉のクローバーの章)
          花言葉は『復讐』


遅い夏の蒸し暑さが、吹き溜まりのように残る狭い階段を僕は上った。「柴田興信所」と書かれた小さな看板の文字はところどころが消えかかっていた。

「電話をした白井です」

受け付けの娘は、にっこりと作り笑いを浮かべると
「お待ちしていました、此方へどうぞ」
衝立ての向こうへ僕を案内した。

「失礼します」

十二畳程の淀んだ空気の部屋に型落ちの古いコピー機や灰色のスチール製の書棚、業務用のシュレッダーなどが並んでいる。粉々にされるのを待つ茶色の封筒の束がだらしなく積み上げられていた。
人の裏側を探り人生を左右する場所にしては粗末だと思った。

ブラインドカーテンの隙間から洩れる西陽を背に、頬骨が目立つ痩せた眼光の鋭い男が立っていた。
「どうぞ」
来客用のソファを指した。
ギュッ
スプリングの弱ったソファが僕を支える音をあげた。
「高柳 珠姫さんのご用件でしたね」
酒と煙草で掠れたような声だった。
「あ、申し遅れました。私、所長の柴田と申します」
形ばかりに一枚の名刺をテーブルの上に置く。僕も慌てて自分の名刺を差し出した。
「ご存知のように私共の仕事は個人情報に深く関わります。どうして高柳さんご自身が、いらっしゃらないのでしょう?」
柴田の視線が僕を詰るように突き刺す。
「姉は亡くなりました」
「えっ」
柴田の眼光が一瞬、翳ったように見えた。事務的な顔は消え、鬢に白髪の混じるごく普通の中年男が其処に居た。
「失礼ですが…ご病気だったんですか?事故?いつ?」
「姉は先月、自死しました」
さっきから僕は柴田に一番言いたくない言葉を吐かされている。でも何故か、このきな臭い男にだんだんと好感に似た感情を抱き始めている自分に気付いた。
「そうでしたか…何のお力にもなれず…」
柴田は立ち上がると自分の机の後ろにある古い金庫に手を掛けた。振り向き様に
「キャンセルと言う事でいらっしゃったんですよね?」
一抹の寂しさを取り繕うような笑みだった。
「お姉さんからは手付金を頂いています。書類を作りますから返金の手続きを…」
最初の印象よりも誠実な男らしい。

「ちょっと待って下さい、柴田さん。」
「え?」
「僕は姉の依頼を引き継ぐために来たんです。話を聞いてもらえませんか」
柴田は再びソファに腰を下ろすと
「煙草いいですか?」
僕の承諾を得てから、紫の煙をフーッと吐いた。
「亡くなっても尚…別れさせたい?」
「僕も姉の何処にそんな熱い感情があったのか分からないんです」
「そうですね、嫉妬される事はあっても、およそ嫉妬するのとは無縁に見える方でした」
「柴田さん、とりあえず先ずこちらを読んで下さい」
僕は持参した鞄の中から、姉から預かった『Cut Ties Service』宛の封書を取り出した。
「失礼して中を確認させて頂きます」
柴田はシルバーのペーパーナイフで、その封を切った。この男は信頼出来るかもしれない。
暫くの時間、僕は柴田が姉さんの書類を眼で追う姿を眺めながら待っていた。
柴田のギョロリとした瞳は時に落ち込んだり、ワナワナと怒りに震えたり、最後はこの男におよそ似つかわしくない穏やかな納得の光に変わった。

「お受けしましょう。私も乗り掛かった船です」
「ご納得頂けたんですね、良かった」
「この封書の中に必要な書類は殆ど揃っていました。貴方を代理人に指名する記載もあります。ただ…」
「ただ?」
「貴方は手を汚す必要はありません。それはお姉様の希望でもあります」
「そう、僕が貰った姉の遺書にも書いてありました」
「でも、貴方も本当はお姉様の意思がどのように成就したか見届けたいのではありませんか」 
人の裏側や弱みにつけ込んで生活を営んで来た男は、人の心の裏側を読む力にも長けていた。

「私に全てを任す、信用するという言葉に替えてもいい。全て任せて頂けるのなら、貴方にも事の成り行きも顛末も全てお見せしたい」
「はい?」
「私一人が復讐を背負うのは荷が重いと思って下さっても結構です」

柴田は照れ臭そうに笑った。不揃いな歯並びの笑みにいつの間にか親しみを感じている自分が居た。少しの沈黙の後に

「そうして頂けるなら…」

僕はまるで悪事の共犯者にでもなるかのように決断を口にしていた。

「白井さん、こういう商売をしていると…色々な人に出会います…」
「そうでしょうね」
「人の悲しみは尺度では計れないと私は思う」
目の前に座る柴田には似付かわしくない感傷的な言葉だった。
「ええ」
それだけ答えて僕は次の言葉を待った。
「いや、今の心理学の分野では悲しみを何段階かに分けて尺度で計る研究がされているらしいが、そんなのナンセンスだ。人間の感情を数字で表す事に何の意味があるのだろう。そう思いませんか?」
「いえ、僕はその分野には詳しくないので…」
「その研究が成果を上げているなら自殺する人口は年々減少傾向になる筈でしょう。ところが今の日本はどうだ!」
そこまで話すと柴田は、はっと我にかえった。熱い思いが話の主旨から外れてしまった事に苦笑いをした。
「私が言いたいのはお姉様の苦しみや辛さや悲しみは誰にも分からないと言う事です」
柴田という男は、いつもこんなに雄弁なのだろうか。
「そうですね」
僕はありきたりな相槌を繰り返すしか出来ない。
「特に子供を産めない我々男にはね」
「ええ」
「私はね、今まで自分の仕事に誇りを持った事も、やりがいを見出した事もない」
「はい」
「想像してみて下さい。大の男がラブホ街に身を潜めてシャッターチャンスだけを待っている姿を…」
「……」
「虚しくて自分を嘲笑いましたよ。でも今回だけは違う。貴方がたの力になりたいと本気で思った」
柴田の眼にさっきとは違う力強い光が宿っていた。
「ありがとうございます、柴田さん」
柴田は右手を僕に差し出した。その薄い掌を僕は自然に握り返していた。

「出来れば、お姉様が生きているうちに力になりたかった…」
姉さんは死を決意したから此処を訪れたに違いないと思ったが、僕はその言葉を飲み込んだ。
差し込む陽射しがゆっくりと夕闇が近づくのを告げていた。


つづく






※画像はmucco様のお写真をお借りしました。
ありがとうございました。


(あとがき)
男二人の場面は華がない。



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