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「日記」千羽鶴#三羽さんの企画

昨日から脳出血で倒れた友人のために「千羽鶴」を折り始めた。
私の誕生日祝いに行った「焼き肉店」で、いつもなら其処に居て、酒を飲んで笑っている彼が居ないのが寂しくて、友達が

「古いかもしれないけど…あいつの為に千羽鶴を折らないか?」

と発案した。

「千羽鶴」はダーちゃん(主人)が病気で倒れた時に彼の友達が折って贈ってくれた。
今度は私が「折る」側に回ったんだな…
と感慨深いものがある。

「鶴」を折るのは何十年ぶりだろう?
私、折れるのかな?
と言う不安があった。
でも不思議な事に自転車乗りや水泳と同じように身体が、いや手が指先が「鶴を折る」のを勝手に覚えていた。

鶴を折っていると無心になれる。
ここをこうして折って、畳んで、開いて、次は…
微妙なズレが、その「鶴」を美人にも不美人にも変える。

参加者十人で分担して折るので、私が折るのは百羽くらいになるだろうか。
目の前に広がる色とりどりの小さな折り紙。
その中から、「黒」と「白」が、はねられていく。
黒と白は、鯨幕の色で縁起が悪いから「千羽鶴」には使われない。
この小さな折り紙だって、好きで「黒」と「白」に生まれてきたわけじゃないのに
そんな事をブツブツと思いながら、黒と白をはねていく。

コロナ禍が終わりコロナが五類に入っても、その友人が入院している病院は見舞客の制限が厳しい。
一週間に一人、それも登録した人が15分しかお見舞いが出来ない。
そんな中で、その友人の彼女から
「リハビリのやる気を無くしちゃって」
と言われた。

私達に何か出来る事はないか?
会えなくても
「頑張って」
「待っているからね」
そんな応援する「思い」を伝える事は出来ないか?
と思っていた時に
「千羽鶴を折らないか?」
と言われたのだ。
その場に居た友達は、一も二もなく賛成した。
日本の古い風習?だって、こういう時に役に立つものなんだなと思う。
いや、便利な通信手段を持たなかった昔の方法だからこそ、役に立つんだろう。

「千羽鶴」は、鶴なのに「首を折らない」
首のない折り鶴が私の前に並んでいく。
自己満足で構わない。この折り鶴に込める思いは、本物だ。
二十八色の小さな折り紙から二色は失格になったけど(苦笑)
眼の前に広がる色とりどりの折り紙に、これから私の「祈り」をこめる。



三羽さんの企画に参加させて頂きます。
と言う訳で「鶴」を折っていると両手が塞がって、なかなか思うように記事が書けない(苦笑)
って言い訳でもある今日の記事(笑)

ダーちゃんがもらった色褪せた「千羽鶴」の写真を撮りたかったけど、クローゼットの奥の奥で眠っていて、諦めた次第(笑)




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