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「連載小説」姉さんの遺書11



     (ブルーベリーの章)
         花言葉「知性」「思いやり」


薄暗い店内に流れるジャズの音色と数人のお客達の静かな会話の中に柴田は、ゆったりと身を委ねていた。この空気感とマスターの作るカクテルの味が好きで何年もこの店に通っている。
世間のしがらみの中に生きている男が、一時だけ現実を逃避している気分を味わえた。
程よい酔いが彼を包んだ頃、
「ハーイ、ボス」 
扉を開けて麗奈が入って来た。
今夜の彼女は栗色の髪を緩くカールさせて、白いシャツにクラッシュデニムを履いていた。シンプルな服装が麗奈の肢体の美しさをいっそう際立たせている。
店内に居た会社帰りのような服装をした男達の視線がそっと彼女に注がれた。麗奈も充分にそれを意識しながら「ボス」と呼んだ男の隣に腰を降ろした。

「いらっしゃいませ、麗奈さん」
穏やかに迎え入れたマスターに
「ブラッディ・マリー」
微笑みながら注文をすると小さなバッグからケントを取り出して火を付けた。

ふーっ

麗奈の唇の隙間からブルーベリーの香りがする紫の煙が吐き出されて一筋の飛行機雲のようにカウンターの空気を染めた。その煙が空気の中にゆっくりと溶け込むのを眺めてから、麗奈は柴田の方を向いた。くるっとした大きな瞳が彼の横顔を見つめている。

「今夜で終わったわよボス、中国人のバイヤーのオヤジ」
麗奈には似合わない強い柑橘系のコロンの香りが、ツンと柴田の鼻を突いた。
「ご苦労さま」
「ねぇ、私臭くない?中国人って何故あんなにホワイトムスクの香りが好きなのかしらね」
ああ、だから似合わないコロンをつけて来たのか…
「さぁ、それは分からないな。その件は後で必要経費を精算してくれ」
終わった一件に柴田は興味を示さなかった。
「分かったわ。で、次の依頼は?」
「まぁ、そう急かすな」
柴田は自分のロックグラスを口に運びながら言った。
「お待たせ致しました」
マスターの手からブラッディマリーのグラスが麗奈の前に滑るように置かれた。
「ありがとう」
彼女が口を付ける前に
「マスター、奥のテーブル借りるよ」
柴田は自分のグラスだけを持つとさっさと歩き出していた。
「んも~、ボスはレディファーストって言葉を知らないのかしら」
吸い始めたばかりの煙草を揉み消して、麗奈はマスターにウィンクをするとカウンターの席から降りた。手に持った『血塗られたマリー』と言う名を持つカクテルが間接照明の灯りを通して、彼女の胸に鮮血のような影を作った。

この店はカウンター席が六席と中央にテーブル席がが二つ、奥まくった所にもう一つ恋人同士や特別な接待で使うテーブルがある細長い造りになっていた。そのどれもがミディアムオークで統一され、落ち着いたムードをかもし出していた。

麗奈がテーブルに着くとすぐに柴田が口を開いた。 
「今度の一件は…お前じゃなきゃダメなんだ」
いつもしかめっ面をしているような痩せた顔を更に強張らせて分厚い封筒を開けるように麗奈に手渡した。彼女は一枚の写真を掴むと
「ふーん、いい男じゃない…」
関心を寄せ始めた。
「それで、この男と若いムチムチ娘を別れさせて奥様の元へお返しすればいいのね?いつもと逆だけ…」
「いや、彼の妻は既に亡くなっている」
柴田の鋭い眼光に翳りが差したのを麗奈は気付かないふりをした。もう一枚の写真を手に取ると
「えっ?この人が……じゃあ、依頼人不在じゃない?」
当たり前の疑問を柴田にぶつけた。
「依頼を引き継いだ弟を此処へ呼んである。もうすぐ着くはずだ。それまで資料を読んでいろ」
最初はペラペラと柴田が集めた資料をめくっていたが、あるページで麗奈の手が止まった。

「酷い……」
大きな瞳がみるみるうちに潤んで、長い睫毛から今にも雫となってこぼれ落ちそうだ。
柴田がページを覗き込むとそこには珠姫の遺書のコピーがあった。

「酷いと思うか」

柴田が二本目の煙草に火を点けながら尋ねた。
「ボスには分からないわよ、女性の気持ちは。特に愛する男の子供が産めなかった女の気持ちはね…」
「やってくれるか」
「ええ、私じゃなきゃダメよ」
「それはさっき俺が…」
言いかけて、柴田の視線は入り口の方に向けられた。
BARの扉を開けて白井 康司が店内に入って来たところだった。

「いらっしゃいませ、お連れ様は奥のテーブルです」
マスターの言葉に康司の視線が手を上げた柴田とぶつかった。

「遅れましたか?道がよく分からなくて」
「いや、こいつもさっき着いたところだ」
柴田が麗奈を指差した。
「初めまして、麗奈で…」
立ち上がって挨拶をしかけた彼女の姿を見て康司の口から
「えっ」
驚きの声が漏れた。
「どうしました?白井さん」
柴田がにやりと笑った。
「あ、あの…どことなく姉に似ていて…いや、顔とかじゃなくて、なんていうんだろ、雰囲気かな」
麗奈が、その先を続けた。
「ふふっ、良かった。私は誰にでもなれるの、貴方のお姉様の遺書を読みながら、こんな人だったんじゃないかしらって思っていたところだから」
「凄いんですね、麗奈さん」
テーブルの椅子に腰掛けながら、康司は亡くした姉の面影を麗奈の中に探していた。
「あぁ、こいつはプロなんだよ」
柴田に依頼したのはいいが、もっと薄汚い世界に生きる女を想像していた康司は自分を恥じた。目の前に座る麗奈には爽やかで儚げだった姉の雰囲気しか感じられなかった。
マスターが、康司が頼んだビールを運んで来た。
「貴方が弟の康司さん、お姉様を愛した男が二人、此処に揃ったわけね」
「えっ?」
「おいっ」
驚く康司と動揺を隠せない柴田を無視して、麗奈は自分のグラスを二人の男のグラスにカチンと当てた。
「お話をお聞きしましょうか」
小首を傾げて優雅に彼女が微笑んだ。


つづく






(あとがき)

今回は本当に自分の力不足を感じた(泣)
でも書ききりたいので、とりあえずアップ(泣)
後でそっとあちこち修正しよう(笑)


















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