3分講談「阿倍仲麻呂と吉備真備」(テーマ:自由)
月というものは、昔から、遠く離れた場所や人を思い出すよすがとなることが多いようですね。「天の原 振りさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」。百人一首にも収められている、有名な月の歌ですが、この歌の作者は阿倍仲麻呂。奈良時代、留学生として遣唐使船に乗り込み、中国・唐に渡りましたが、ついには日本に帰ることが叶わぬまま、異国の地で亡くなったという人物でございます。遠く離れた唐の地で月を見あげ、ふるさと奈良を思い出す仲麻呂の姿は、後の世にも、様々な伝説や絵画の題材となり、今日まで語り継がれてまいりました。①
さて、その仲麻呂より少しあとに遣唐使として唐に渡った一人に、吉備真備という学者がございました。知識も語学力も兼ね備えた真備でしたが、それゆえに唐の役人たちから妬まれまして、唐に着いてすぐ、鬼が出るという高い楼閣の上に閉じ込められてしまいました。さてその晩のこと。部屋の隅がぼうっと明るくなったかと思うと、恐ろしい形相の鬼が姿を現しました。真備が思わず刀の柄に手をかけますと、鬼は真備の前に両手をつきまして、
「私はあなた様と同じ、遣唐使として唐にやって来た者でございます。少しお話がしとうございます。」
不思議に思った真備がその望みを受け入れますと、鬼は次第に人間へと姿を変える、その顔を見て驚いた。なんと数年前に唐に渡ったきり行方しれずになっていた、あの阿倍仲麻呂その人だったのでございます。真備が、日本の都の様子などを語って聞かせますと、仲麻呂の鬼は涙を流し、真備の幽閉が解けるよう協力すると約束をいたしました。(①)
翌日。様子を見に来た唐の役人たちは、真備が鬼に食われずぴんぴんしておりますから、面白くありません。今度はこんな難題を出しました。「明日、漢詩の試験を行う。それに合格できなければ日本に帰れ」。勉強しようにも、この部屋には本もなにもありませんから、さすがの真備もお手上げです。困り果てておりますと、その夜、また仲麻呂の鬼が現れて言いました。
「今から試験問題を盗み見しに行きましょう」。
「何を言うのだ、この部屋は鍵をかけられておる、一歩も外になど出られぬのだ」
「そこは私にお任せ下さい」。
言うなり仲麻呂が何やら呪文を唱えますと①、二人の身体はふわっと宙に浮き、楼の扉をすり抜け、そのまま夜空へと飛び出した。①二人の真下には、煌びやかな唐の都の夜景が広がっております。「おおー、これはよい心持ちだ。鳥になった気分じゃのう」「真備どの、あの屋敷の奥の部屋に、試験問題が置いてあるはずです。さあ、参りましょう」。(①)
こうして、試験問題の盗み見に成功した真備は、見事に漢詩の試験に合格。時の玄宗皇帝にも目通りが叶いまして、最先端の唐の学問や文化を日本に持ち帰ったのでございます。その後、八一歳で亡くなるまで、政治の世界で活躍し続けるわけですが、その成功というのも、唐における仲麻呂の手助けがあったればこそ…というのが本当かどうかは分かりませんが、平安時代末期に作られました『吉備大臣入唐絵巻』に伝えられるお話でございます。(了)
※なお、執筆・上演後、宝井駿之介(現・田辺鶴遊)先生に「吉備大臣入唐記」という作品があることを知りました。題材が同じため、内容に重複するところがありますが、同じ「吉備大臣入唐絵巻」という古典文学作品を題材とした創作であり、盗用ではございませんでご容赦ください。
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