数学的帰納法により、明日も。
素晴らしいnoteを読むと、自分も何か書き記して残しておきたくなる。文章を読むのは好きだけれど、書くのは下手だ。ただ、書いておくと、それを忘れてしまったとしても後で読み返して思い出すことができる。私は心底飽き性で、沸騰するのも異常に早いが冷めるのも極端に早く、長続きしない。どんなジャンルでも滞在期間が半年も続けばいい方で、半年続いた例も過去に地方競馬くらいしかない。一年続いたそれも、今は下火だ。忙しいとどんどん消えていく。だから、これは今のこの感情を忘れないように書き残した、ただの個人の備忘録。
突然だが、私の人生において麻雀との接点は二つある。一つは将棋棋士、特に鈴木大介九段や阿久津主税八段である。そもそも私は将棋が好きでそこそこ長くABEMAに課金している民だ。麻雀最強戦で将棋棋士が出ていたら、ルールを知らなくてもお隣のチャンネルを覗く程度には将棋と将棋棋士が好きだった。もう一つは、また別ジャンルの推しがABEMAの麻雀番組に出ていたことだ。滝口幸広。俳優である。もう四年も前に、若くして亡くなってしまった。ミュージカルテニスの王子様の大石役が一番有名だろうか。大石バリーその人である。
実のところ私は彼が亡くなったあと、彼がこの世にいないことを信じるのに長い時間をかけた。人が存在がないことを証明することなんて実質不可能だ。そして受け入れると同時に、滝口氏の出ている番組を見返せなくなり、他人が滝口幸広を語っているものを読めなくなった。読んだら、泣いてしまうから。控えめに言ってどうかしている。
しかし、2022年。命日も三回巡って、ついにそろそろ、封印していた彼の作品を見ようと思い始めた。三年も避けていたから、彼のことを語る同業者の動画は沢山上がっていた。家にため込んだDVDを観、見損ねていた映画を観、同業者のツイートを見、そこでふと「滝口幸広 麻雀」「滝口幸広 多井隆晴」という予測変換を見つけた。
滝口幸広は麻雀が上手いらしい。それは知っていたし、たしか彼が藤田社長らと出た番組はリアタイしていた。しかし、別に麻雀に詳しくはないのでかつてリアタイした番組の記憶は残ってない。多井隆晴さんのことも、滝口がどの程度麻雀番組で活躍していたのかも、サッパリ知らなかった(ちなみに私は二階堂姉妹だけは知っている。園田競馬の漫画で見たからだ)。そういえば麻雀番組でてたなとおもいだしてその検索ワードに飛ぶ。そこではじめて、どうやら多井隆晴さんは麻雀界の最強を冠する人で、推しのヒーローで、そして推しは麻雀プロから名前を出してもらえるくらい愛されていたらしいことを知った。多井さんの追悼のコメントを読み、滝口がなくなったときの麻雀界隈のTwitterをあさり、もう一回泣いた。たくさんのひとが推しの麻雀を見ていた。推しが愛されていて喜ばないオタクがいるか?いやいない。
だから、私の原点はMリーグではなく、Mリーグ駅伝のほうである。推しを媒介にして、長年ただお隣りにあっただけのチャンネルに足を踏み入れた。秋。ABEMA将棋トーナメントを全力で楽しんでいた人間が、チーム戦のMリーグが嫌いなわけがなく、当然のように秒速でハマった。過去のMリーグを見終わったらYouTubeに移って過去配信を浚っていく。Mリーガーを覚えて、団体を覚えて、団体の王を覚えて、各団体のA1リーガーを覚えて。踏み出したら早い、それが私の唯一の取り柄である。
ところで、頑張る人を応援するのは楽しい。とかくまめに宣伝をするとか、文章を書くのがうまいとかそういうきっかけで少しでもいいなと思った人はなるべく、できれば応援したいけれども私の出来ることには限りがあるので、せめてもの気持ちで積極的にSNSで拡散するようにしている。ながらく、浅井堂岐pもそのうちの――ポストを見かけたらいいねとRPをし配信があれば見にいって高評価を押しに行く――一人だった。私がXのアカウントを作った当初からフォローしているし、早々に興味をもって手癖ポスト漁りを敢行していたしXアカウントを作る前の誕生日配信も見ていたが、それでも全体の中の応援しているうちの一人でしかなかった。なぜかといえば、単純に対局があまりなかったのだ。Mリーグのように毎日何かしら供給があるわけではない。Mリーグ解説に決まった時には大はしゃぎしたし、超楽しく見たし、べた褒めした気がするけれど、別にあの頃はまだ浅井堂岐推しでもなんでもなかった。動いている瞬間を見る機会がなさすぎたので。
それでも、なんとなく気になったのは協会の雀魂イベント華風戦やリーグ戦の解説が面白かったからだ。これは今でも変わらず思っているが、浅井堂岐pはふらっと何も考えていないときに溢れ落ちる言葉の言い回しが面白い。自信満々なときと、弱気なとき、余裕たっぷりなとき、やられたらやり返さなきゃ気が済まないとき、ポロポロと溢れるわかるようでわからないトークにくすっとなる。配信でも、たとえば渋川難波pのように麻雀を打っているときの思考の開示がものすごく丁寧で勉強になる、というわけではない。聞かれたら答えてくれるが、何気なく出てくるのは感情と願望ばかり。それも、言葉のチョイスがどこかおかしい。もちろん考え抜かれた発信の質の高さも大好きだが、生の言葉の愉快さは唯一無二だ。解説の時と笑いながら楽しそうに麻雀を見て言葉を紡いでいるから、見ているこっちも楽しくなっていく。
それが五月。リーグ戦が始まり、IKUSAの準決勝が始まり、Mリーグが終わり、BEASTオーディションが発表された。
推しの人生が変わるかもしれないビッグ・イベントに立ち会うのは、慣れない。立ち会うって言ったって、画面越しに見ているとか、とにかく私はただの鑑賞者であって、それ以上になることは全くないのだが、それにしたって慣れない。思えば、プリキュアの戦いですら見届けられなかった幼児だった。何も成長がない。しかし、ビッグ・ネガティブ・イベントは唐突だ、解散・訃報・逮捕。だが、それは大概本当にどうしようもないものばかりなので(解散すると決められた時点でもう私ができることは何もないのだから)、ダメージは案外一瞬である。問題はビッグ・ポジティブ・イベントの方で、こちらだって必ず成功するかわからない。しかし、ビッグ・ネガティブ・イベントの回避を目指すには、普段から並走していくことが推し活としては大事で――勿論推し方は自由で、あくまで私の信念である――並走していくのであれば、ビッグ・ポジティブ・イベントは回避不可能。むしろそういうときこそ、ファンの出番であるはずだ。
しかし、私だって誰かを応援しているからといって、他の人に負けろと願っているつもりはない。どちらかといえば私は昔から箱推しのオタクを自認していた。Mリーガー箱推し、B級一組箱推し、NSC22期箱推し。そうやってジャンルを推して生きてきた。推しの勝ち上がりは誰かの負けであって、その誰かにもファンがいる。なんなら私もファンだったりする。それがあって、なんで負けを願う日が来るのか。いや、ない。勝ちを喜ぶことはあっても。誰かが負けてくれたことに視線がいくなんて。
2023年6月3日、BEASTjapanextオーディションのA卓。忘れもしないこの日、私は京都でライブを見に行く予定があった。それなのに朝起きたら前日の大雨で東海道新幹線が止まっていた。ワオ。でももうキャンセルはきかないしお金は払っている。新幹線代だけは返ってくるけど……というわけで、仕方がなく北陸新幹線で金沢にいき、金沢から京都へ特急に乗るという超強行ルートを決行することにしたのだ。これがクソほどに大変だった。まず慌てて新幹線のチケットとって東京駅につっこんだのはいいが、新幹線のチケットの発券にも時間かかったし食べ物は買えないし金沢駅の駅弁は目の前で売り切れた。悲しい。
私は月にわずか3GBしか使えないスマホしかもっていないしWi-Fiはくそこみ新幹線で死んでいる。だから、ABEMAを開く余裕はほとんどなかった。見届けられないのはいいのか悪いのか。それでもTwitter経由で一戦目のトップを知り、駅のホームで踊るほど喜んだ。そして二戦目、三戦目。ちらちらとは見ていたけれど14時からライブだったから(なんと上賀茂神社がライブ会場という野外ライブ)、当然席にいる間にはスマホを開くことはしなかった。超重大対極をリアタイできないことにじれながら、音楽を取り込んでいた。できれば浅井堂岐pにいい結果になっていてほしい。ライブのラストの方、徳永英明さんは本当に上手だった。これが噂の小林剛pの十八番か……と思いながらこっそりお手洗いに立ち(自由なライブだった。なんせ上賀茂神社だ)、四戦目の途中結果を見た。ここまで沈んでいた内田みこpが大きなトップ目で、浅井pは沈んでいた。細かい状況は計算できないし音声聞けないしでわからなかったが、内田pが大きくプラスをしているのは、まずいことだけはわかる。敗退の可能性が見えてくる。流石に新井啓文pは三戦の結果でおそらく安泰だ。もう南場。そしたら。外ではライブの音が鳴っているし、音声を聞けていないからこの状況がはたして、耐えているのか、いないのか。全くわかっていなかった。壊れかけのRADIOを横目で見ながら、席に、戻る。もう、多分見られない。見られないから、次見たときにいい結果で終えていることを願った。たとえば、自分が多少不幸にあっても、通過してほしかった。せっかくのチャンスなのだから。自分の人生には一切関係ないのだけれど、緊張で吐きそうだった。すべてが報われてほしい。そのライブは葉加瀬太郎さんの主催で、ラストは勿論情熱大陸の演奏だった。情熱大陸はすごい。気分だけは追い詰められたガキにも、強制的に立ち上がらせる力がある。情熱大陸はすごい。生情熱大陸に感動しながら、手を振って、その一瞬だけはすべてを忘れて、ライブが終わった瞬間にABEMAを開いた、良い結果で終わっていてくれと思いながら。
電波も画質も悪いスマホに八つ当たりしながら、音量を爆音にしてイヤホンをはめる。ようやく見えるぐらいには画質があがった画面で、竹内元太pの切った3sに内田みこpが牌を倒した。どっち。見てもわからなかったけれど、音声が浅井pの勝ちを伝えてくれた。
それを理解したとき嬉しいとかおめでとうとかそんな前向きな気持ちはなく、ただただ敗退の一人にならなかったことにとてつもなくホッとして、解放された心地で、全く縁もゆかりもない京都の神社で泣いていた。多分情熱大陸に感動して泣いてる人だと思われたことだろう。知らんけど。
ずっと、誰が勝っても平気だと思っていた。私は最高位戦のリーグ戦だって見るから、竹内元太pも新井啓文pもめちゃくちゃRPするし、なんだったら最高位戦のなかではかなり応援している度が高い方々だった。内田pだけは存じ上げなかったが、ぶっちゃけびじゅが心底タイプである。そんな四人なので、誰が勝ち上がっても、誰が敗退しても、私は次のチャンスを掴んだ方々のために純粋に喜べると思っていた。「浅井堂岐pを応援してるけど誰が勝ってもめっちゃ楽しみ~~~!!!」とでも呟けると思っていた。無理だった。
まちがいなくそのとき私は、浅井堂岐pが勝ちあがるために、誰かが敗退してくれることを望んでいた。だって、誰かが負ければ推しは負けないんだから。箱推しだからなんて誰が勝ち上がっても応援するなんて昨日まで笑えていた、そんなわけあるか。自分が揺らぐ音がした気がした。誰かが敗退することが決まってホッとしたなんて、何が箱推しだ、推せてないだろうが。思い返せば、松尾先生がB1残留を決めたあの日も同じだったんじゃないか。もうとっくに思い出せない色褪せた感情だけど、あの日誰かが負けてほっとした気持ちを見て見ぬふりをしてはいけないはずだった。私は箱推しなんかじゃない。そんな言葉は綺麗なだけでしかない。浅井堂岐pが勝ってくれるならそれでいい。
大量の人に流されて駅まで帰り、夕飯にはいった居酒屋は美味しかった。クソ安いホテルの一室で、一人に戻ってもう一回メソメソと泣いた。自分が誰かの負けに安堵するような人間だと信じたくはなかった。そんなのはクソだ、そう私は思っている。応援ってのは勝ちを望むのが健全なのだ。バグった情緒で泣くだけ泣いて、結局、翌朝残ったのは「私は、私が思っていたよりずっと、浅井堂岐pのことが好きだ」ということだけで。
いつのまにか私はすっかり浅井堂岐pファンになっていた。それを、私が気づいていなかったのがすべて悪いのだ。最初から「浅井堂岐プロを応援してます!Mリーガーになってほしいです!」と無邪気に発信していれば、良かったんだ。自覚をしてからは、ますます転げ落ちるようにハマっていった。たまたま、BEASTオーディション・最強戦そしてMリーグドラフトとでけえイベントが重なっていたのも大きかっただろう。もう走り出してしまえば私に、足を止める暇はなかった。長距離走には自信がないが、短距離走のそれもスタートダッシュなら自信がある。さながらモズスーパーフレア。
私が見ている期間だけでも随分と人が増えたYoutube配信に、にちゃにちゃしながらコメントとスパチャを送る。BEASTオーディションは、準決勝を逆襲のヘラクレスらしく勝ち上がり、そして決勝で負けた。きっと私はあの6mのすごさを10%も理解していないけれど、きっと私の好きな麻雀牌は当分6mだろう。できれば、もっと理解できるようになりたいすごさを体感できるようになりたい、50%でも。推しのおかげで麻雀への意欲はあがった、あとは私がいべんとにいくかどうかだった。
正直私は、リアイベにいくことにあまり乗り気ではなかった。多くの他界隈から流れてきたファンは思うんじゃないかと思うが、麻雀界隈のイベントは馬鹿みたいに距離が近い。正直、一歩目を踏み出すのがきつすぎる。ただでさえ私は見た目が良くないしガキだし立ち居振る舞いが心底雑だし、就活に打ちのめされていたしあまり第一印象がよくない自覚がある。第一印象がよくなくて、改めていただける機会があるならともかく、一回あってやべーやつだなと思われたらもう終わりである。そもそも本当になんで麻雀プロはこんなにイベントの距離が近いんだよ。同じ地面を踏ませてくれるな本当に。たとえなまはげのお面をかぶっていても、所作がきもいので推しに会えない。大体Twitterの挙動がきもすぎるのに会いに行くな。「一回生で見たい」と「推しの前に立ちたくねえ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」の葛藤は概ね後者が勝つ。
だが、画面越しの推しが配信で言ったのだ。「次のバーゲストに人が来るか心配だ」と。
OK!!!!!!!!わかった!!!!!!!行きましょう!!!!!!!!!心配なんてさせてたまるか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!俺の顔面が終わっていようがコミュ障だろうがきもかろうが人間としての常識はぎりぎりもっているはずだ、だめといわれたことはやらないそれぐらいはある。わかった、行こう。オタクがきもさを推しに見られたくないなんて、そんなことより推しの客が増える方が大事だし、よく考えたらTwitterがキモさ全開なのに今更取り繕ったって何等意味がないんだから!
でも、本当に麻雀BARなんて作法がわからないしそもそもBARにもいったことがない。ならばと、麻雀BARのお作法のお勉強をするべくまず近場の麻雀BARに行ってみることにした。本来の新小岩は流石に遠すぎるので、渋谷citrus様を使わせていただく。こんなきっかけで生き始めたのにいまや常連…とはさすがにいいがたいがそれでもふらっと行けるぐらいには身近なお店となった。麻雀BAR練習が新しい出会いになる。ありがたい。それから、まともな服を買う。日程を調整する。基本的に友達がいないので、外出は事前に伏線を張り嘘の理由をつくっている。準備は万端。あとは7月を待つだけ。
6月30日、2023年度Mリーグドラフトが終わった。
私は本当にスマホが月3GBしか使えないクソ雑魚契約なので、もうとっくに通信制限真っ只中の月末。動かない端末を抱えたまま地下鉄を越え、最寄り駅のタリーズでWi-Fiをゲットしドラフト会議本編、ではなく浅井堂岐pの同時視聴を聞いていた。
正直に言うと、私は浅井堂岐pが2023年のドラフトで選ばれることはないと思っていた。理由は簡単で、本人が、ドラフトで選ばれる可能性をさっぱり見出していないように見えていたからである。本人でさえ選ばれる可能性を感じ取れていないのに、奇跡的に選ばれるのはそれはもう伝達ミスに近い。配信でのMリーグ応援コメントの捌き方は本当に爽やかで見事だったが、最終的な回答は「来年ね」である。来年。今年も終わってないのに来年。それを毎回聞いていたから、最後まで私は「きっと選ばれると思います!」「絶対今年選ばれるはず!」と言う言葉を吐けなかった。私は推しの言葉を素直に信じているから、浅井堂岐pはきっとドラフトで選ばれない。だから、Mリーグのドラフト結果に言うことは本当に何もない。流石に特に願望もないというのは強がりで、浅井堂岐pがMリーガーに選ばれてほしいし、そうでなくても日本プロ麻雀協会が大好きなので協会のプロが増えてほしいと願っていた。でも、ずっと配信で、正直今年は無理だと思うから来年に向けてって聞いていたから、本当に言うことは何もなかったのだ。そもそも何を目指そうと、たとえ何も目指してなくたとしても、私はただ対局は等しく全て応援しているし勝ちを願っている。Mリーグという地は私の応援の強度には全く関係がないのだ。ただ過熱するTLを、コメ欄を、他人事のように見ていた。それが怖かった、私はそんなもんなのか。過熱するTLに乗りきれないくらい、私の愛は低いのか。打ちのめされた気持ちだった。TLに何も残せる気はしない。配信はいつのまにか竹内元太pとの通話に変わり、ふと「citrus行くわ」という声が聞こえた。citrus、そうcitrus。竹内元太最高位がゲストの麻雀bar citrusである。咄嗟に行かなきゃと思った。今日は珍しく早めにサークルをあがったので、すでに最寄りについていたが、citrusは通り過ぎた先。20分。すぐ戻れる。多分ゲストの最高位を見ても何も言えないけど、雀王がマジで来ても話しかけられないけど、TLの波にも何にものれずに一人でTLを眺める時間よりは余程有意義な選択だとおもった。衝動的に反対の電車に飛び乗る。一目見て、今日という日を焼き付けて、そうしていなければ私は明日に向かえないかもしれない。妥協してはいけない、綺麗な言葉も何もきっと吐けない。本当はゲスト本人以外を目当てに行くなんて最悪の客だが、何も話す気はない、ただ空気を吸えば明日の自分は明るくて馬鹿でキモいオタクに戻れると思った。逆走する電車の中で嘘の理由をでっちあげる。化粧はサークルで落ち切っていたしなんのアクセサリーも持っていない。渋谷のダイソーでキティちゃんのイヤリングを手にして、ちょっとだけ力を得た気がした。何のカバーにもなりゃしないが。
結論を言えば、私は写真も撮ってもらうことなく、サインを貰うこともなく、ただ空気を吸って帰った。隣の男性と楽しく話して、美味しいカレーを食べて、にこにこきっと笑えていたと思う。思えばむしろせめてゲストの最高位に、応援していますとだけでも伝えられればよかった。いかんせんコミュ障なものだから、なんの気の利いた言葉も言えなかった。
電車で、何かなにかツイートを書かなきゃなと思っていた。誰に見られているTwitterでもないけれど、自分の中のけじめだ。応援メッセージでもいい、願望でもいい、なにか書かなきゃその人格に筋を通せなかった。「選ばれないのはおかしい」とは書けなかった、それは私の目指しているファン像ではないので。「選ばれてほしかった」ともかけなかった、誰よりも勝ちまくってとにかく結果を出した人に向かって選ばれてほしかったなどいってもなんにもならない、「来年こそ」とも。来年。来年とずっと言ってくれるけれど、来年のドラフトが本当にくるのかはわからない。たとえ来年のドラフトが来たとしても来年までまたMリーガーになるというごく狭い目標に向けて努力しなければならないのだ。今年様々な対局で勝ちまくって結果を出して、それだけじゃなくYouTubeも前々からやってビジュアルも発信も抜群の人が。本人も、やれることは全部やったと自負していたのを知っている。新参者のファン僕ですら、もうめちゃめちゃにめちゃめちゃやっていたことを知っている。また、来年に向けて努力するつもりが既にあるのか。すでにどころか、ずっと。あったのか。別に私は、Mリーガーを目指していようが、なかろうが推しはおしだし、眼の前の対局すべてを等しく勝ってほしいとおもっている。Mリーグを目指しているから応援しているわけじゃない、応援の強度は全く、一切何があろうと変わらない。だけど、Mリーグをめざすというなら絶対にMリーガーになってほしい、Mリーガーになるという目標を達成してほしいと思っていた。全世界の人間が努力しているのは知っているけれど、それでも全世界の人間の中で特におしの努力が報われてほしかった。今回はちょっと、めぐり合わせが噛み合わなかったけれど。私がジャスティン・ビーバーであったらピコ太郎の次に浅井堂岐を世界中でバズらせるのに。私はジャスティン・ビーバーではないし、ジャスティン・ビーバーはまだ浅井堂岐に気づいてくれない。私には何の力もないから、ただただ旗を振って世間!!!!!!!こっちみてくれや!!!!!!!!とSNSで騒ぎ倒すことぐらいしかできない。どこまでも無力。
あれから半年経った。この半年で両手には届かないぐらいの数、ゲストにいった。無茶はするものだ。思い切って飛び込んだ麻雀大会では、沢山ご迷惑をおかけしただろうけれど、私が麻雀にのめり込むきっかけになった。客が一人増えた程度じゃ、推しの人気は変わらないし、推しの仕事も変わらない。でも、もしかしたら99が100になるようにこの1が何か桁が変わる要素になるかもしれない。当たり前に全てにはいけないし、シャンパンを入れるような財力もないけれど、行けるときは開店時刻に向かった。SNSで「ノーゲスです」なんてそんなこと言わせてたまるかと思った。私がいるんだから、ノーゲスですなんて1秒たりとも推しの口から言わせてたまるか。全部、身軽すぎる大学生ができる自己満足。
間違いなく人から入った推し活ではあるけれど、そして普段も顔の話ばかりで恐縮だけれど、気が付いたら麻雀も好きになっていた。取れるトップは全部狙う、高打点を作ってぶつけ返す!そんな麻雀にしびれる憧れる。日本プロ麻雀協会パイセンが何切る超会議とかいう超神企画をやってくださっているおかげで、初心者僕にも"なんとなく"わかるきがするぐらいになるまで大量に判断を浴びることができる。ありがたい。もう本当に生き生きとトップ狙いにリーチしてツモってを選択する回が最高に最高。
「鳴かない鳴かない!2pなんて1秒でツモ切るに決まってんだから!」
「いやリーチして引きにいくね。雀魂でも。引けたときは裏乗りますよ」
「僕はもう知らねーよ!ってリーチしてツモりにいって「はい、倍満」って見せたいんで。その姿をこの人たちに見せて二度と僕と打てない気持ちにさせるので」
「僕が無難に打つかは別問題ですけどね。全員とどめ刺す」
アハ!最高!
好きなだけでさっぱりわかっていないけれど、見てて楽しいのは本当だ。そもそもインターネット麻雀日本選手権も、Mトーナメントも、日本シリーズも、雀王決定戦も最強戦もすべて追いかけていたのは、そこに浅井堂岐pがいたからに他ならない。これだけ、いろいろな対局を見届けられたけど全ては浅井堂岐pが雀王を獲ってくださったからこそだ。
そう考えると、ある意味でその一つの集大成が雀王決定戦を見届けることだった。推しの配牌を良くすることはできないからせめて大騒ぎして宣伝して、自分の運を犠牲にしてしまっていいから推しが勝てることを願って。もし推しが自模れるんなら、私は今後一生麻雀で自模れなくなって焼き鳥になって食べられるのを待つだけになったって別にいい。一生9種9牌配牌でもいい。そんなことで推しが勝てるならお安い御用だ。まあ、結局どう頑張ってもド天才配牌とド天才ツモがくることを祈ることしかできないのだけれど。結果負けてしまったが、それが浅井堂岐pの輝きを削ぐわけではない。私を浅井堂岐pに出会わせ、様々なタイトル戦を追いかけるきっかけになった雀王というタイトルにはもう一生感謝しかない。ありがとう雀王。願わくば雀王といえば浅井堂岐だよねと言われるくらいこれからも勝ち取りまくってほしい。
11月13日、仲林圭pが雀王になった翌日。私は、新橋にいた。差し入れをなにかできないかと新橋とかいうちょっと身の丈に合わない街の身の丈に合わないテーラーを散策して、いつも通りバーの開店時刻に突撃した。初めてのバーのお店の方とちょっと喋って、浅井堂岐pともお喋りして。笑いの耐えない一日だった、去年と違って。
そう、11月13日は私が初めて麻雀番組を見た日、つまり推しの命日だった。
私が2年連続泣きながら過ごしたその日が、2023年は推しに会えた素敵な日になった。浅井堂岐pのおかげで私はその日を乗り越えて過ごせた。たった1年で、大きく変わるものだ。そしてありがとう滝口幸広さん、私を浅井堂岐pに出会わせてくれた、その原点。私は推しを失った時大いに絶望したけれど、推しのお陰で新たな推しを得た。きっと私はこれからも、浅井堂岐pとともに貴方のことも思い出す。
「もし負けても応援してくださいこの先も」
そう最近の配信で、締めくくっていたから。いつもそれにコメントしようとして、お疲れ様ですに流されてしまうから。あえて明言する、当然ですと。負けてもいいなんてさらさら思っていない、勝ってほしいこの世の誰よりも勝ってその名をぶちあげていってほしい。そうして文句なしにMリーガーに選ばれて、沢山のファンがついてイベントも僕が行けないくらい盛況になって後方古参面オタク(古参ではない)をして居場所がなくなったら最早本望かもしれない嘘です絶対やりません。そう思ってはいるけれど、だからといって負けたら応援しないなんて、そんなことはない。私は雀王が好きなんじゃない、浅井堂岐pが好きなのだ。雀王じゃなくなったら、応援しなくなるなんてそんなに私のそれは柔くない。勝とうが負けようが、私は一人で一喜一憂して、勝手にその後を旗をふってついていく。次の勝利を追うために。n=昨日もn=今日も浅井堂岐pがすきなのだから、n=明日も当然。好きに決まっている。
ある日突然戯れで送られてきた「僕も世界に知られたいです」というリプライをまだ忘れることができない。世界に知られたい。私も世界に知ってほしい。その時の私はまだ馬鹿になりきれていなくて、無邪気に答えることができなかったのを未だに悔しく思っている。私がジャスティン・ビーバーにでもなんでもなるから、世界に知ってもらってくれ。本人はとっくに忘れているだろうそんな些細なリプライを、きっと笹崎氷織は墓に刻んで、ともに死ぬ。この先も変わらず浅井堂岐プロを応援しています。
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