誰そ彼
古典の授業。緑の綺麗な黒板の真ん中の下の方に書かれた「誰そ彼」。隣には「彼は誰」。
「誰そ彼」暗くなってきて顔の区別が出来ないから「あなたはだれか」と尋ねる意。
「彼は誰」まだ薄暗くて「君はだれか」と尋ねる意。
風景じゃなくて人の交流の様子を、そのまま時を表す時間の言葉として使うなんて素敵な言葉だろう。
誰そ彼時は「片割れ時」とも言う。
この言葉は、私たちの世代の高校生にとっては『君の名は。』で登場したから知っているし、映画の記憶と一緒に思い入れのある言葉だと思う。
そんな映画のワンシーンだった様子が私の前に突如として訪れた。
物語の中の非現実が今私の前で現れた!
小学校、中学校で憧れきた題材が授業として実際に経験できる高校生。最高かよ。
逆に言えば日々淡々と進む高校の授業にこんなにも特別感を与えてくれる数々の作品たちこそ凄いと思う。
その時の感動だけじゃなくて、多くの人が経験するようなことに特別な意味や価値を与えることが出来る物語はこんなにも人々を魅了し続けるのかって思ったり。
あと二年もしないうちに終わる高校生活の特別感を再認識した体験でした。
黒板に書かれた「誰そ彼」撮りたかったなー。出来なかったけど、心のフォルダには保存しておこう。
2024.5.17
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