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ガクチカないです

推薦入試とか、なにか自己プロデュースをしたときたぶん私がアピールできることはほぼない。
中学時代は中高一貫だからと呑気に部活くらいしかしていないし、かといって上手かった訳でもない。一応マネージャーも兼任してやってたくらい。
それ以外に趣味だって登下校の読書と結局時間を浪費してただけのゲーム。
もちろん中学での読書経験はかけがいのないもので決して無駄じゃなかった。
やってよかったことといえば、中2から図書委員に入ってちょくちょく記事の作成と原稿の校正をしてたくらいかな。(この影響でなにも考えずに書く文章が常体になってしまったけど。)
あと小学校から続けてたそろばんを継続して中三までやったくらい?

自分の人生の幸福について考えれば何事だって経験になるし、自己を形成するのに無駄なものなんて一つもない。
でも新しい縁に巡り合って今までじゃできなかったような体験をしようとすると、こちらもそれに参加し得る価値を示さなきゃいけない。
推薦入試だとか何かイベントに参加する選考だとかでこれが必要になる。
さらには就職とか、個人事業主なら仕事を取り付けるための自己プロデュースで形になった功績が必要になる。
それが昔よりもずっと見られるのが今の社会のようだ

内申点のある高校受験をした人は私よりずっと早くに何かアピールポイントを作ることの重要性を理解している。
高校受験だけじゃなくて、内申すらなかった甘い環境で呑気に生きてきた自分を今はただ悔やむだけ。

確かに大学受験で国立なんかは一般が大半だし、とー大だとか、きょー大だとかに入れれば大手企業からインターンに来ませんかって自分から行かなくても声がかかるようなエリート街道もあるみたい。
大手企業に就くことが全く簡単でないのを前提とするけど、とー大生、きょー大生の人たちには大手に就くんじゃなくて起業する人がたくさんいる。
たぶんこの人たちはただ勉強ができるだけじゃなくて、投資してもらえるだけのアピール力も備え持っているのだろう。私のいる学校でそこに受かってく先輩たちを見てもそう思う。

大学に受かる努力をしたこと自体がとてつもなく大きいガクチカだし、別にガクチカを作るためにそれ以外のことに熱意を費やしたわけでもないだろう。きっと楽しくて、頑張りたいから取り組んで達成したことなのだろう。

部活で熱中するものを見つけたのならそれが結果として功績になるし、趣味でもやり続けて便利なインターネット上で公開して評価されたり、コンクールで賞を取れば立派すぎるガクチカになる。

ここで大切なのはなにか熱中するものが見つかっているということ。
私がなにもしてこなかった問題点は、熱中をして、さらには継続するものが見つからなかったことみたいだ。
ずっとなにもなく生きてきた私だけど、最近はこうしてnoteを楽しんでいて、毎日書くくらいには熱中している。そうして、自分が文章を書くことが好きということにも気が付けた。
しかもnoteを書いてる近い年代の人たちはみんな私よりずっと凄い人たちしかいない。
今まで知らなかったようなことをしている人もいて、日々新しい世界が見えてくる。
視野が広くなれば、自分もしてみたいことが見つかる。
もう高2だから高校生のうちにできることが限られてき始めたけど、新しい世界を教えてくれた縁に感謝して、達成しようと強く思えるような目標を見つけにいこうと思います。
たぶんそれはガクチカのためとかじゃなくて、自分に本当に心に残って、人に言えるものになる予感♪




あとがき

なんか世の中でよく言われてること書いて、宣言して終わっちゃった気がします。けどよく言われることは一度は向き合ってみなきゃいけないものなのかなって思ってみた次第です。


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