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格差と家庭差の境界

格差社会(かくさしゃかい、: Social polarization)とは、収入財産などの要因により人間社会の構成員に階層化が生じ、その階層間の遷移が困難な状態になっている社会を意味する語

格差社会 - Wikipedia

私は都内の世間的には進学校と言われる高校に通う者である。
中学受験をして入る中高一貫校なので生徒の家庭の経済水準が高く、箱入りで育ってきたような子が多く集まる場所。
親がググればヒットするような同級生の隣で毎日片田舎から登校する学校内の経済水準下位層の人間が私。

同級生の親は両親大卒は当たり前、さらには親のどちらかはGMARCH以上が大半みたいだ。
言い方が妬みになってしまうが、私の両親は大学受験を経験していない。
子供目線になるが、自身も大学受験を経験したという前提で進む先生からの言葉や、保護者間での会話での理解に齟齬が生まれるのはゼロではないと思う。愚痴になっちゃうけど、親がどんなに愛していて、それを理解していても、受験勉強をする私に共感してくれないように感じてしまうのが最近の悩み。自身も辛い経験をしたからこそ応援してくれる様子をみて恵まれてるねぇと感じてしまうのは隣の芝でしょうか?
読んでいる人が誰か分からないネットなので、これを読んでるあなたが私に「お前だって恵まれてるじゃないか」って思う人もいるかもしれません。自己中になってしまいますが、その次元の対話はピンキリの世界なので少し飲み込んでいただけると幸いです。

私なりに考えて思ったのは、どこまでが家庭の差の範疇で収まり、どこからが格差の話を適応できるかです。
冒頭の引用を考えてみて、「格差は様々な例を俯瞰していくつかの階層にグルーピングして、異なるグループから一個体をそれぞれ取り出して比較して初めて議論できる」と解釈しました。
グルーピングせずに2個体を比べて格差があるというのは間違いで、それこそ隣の芝生は青いで流されることでしょう。
つまりここで見極めたいのは「社会に対する一定間の偏差帯において親の差は子供の格差に相関があって、それを分別できるか」になると思います。


ここから私の分析なので、客観性が失われかねない場合が発生すると思いますが、ある程度割愛してください。

ここで考えたい私の議題は、「親の受験勉強への理解度は子供の受験勉強の快適度に格差が生じるのか」である。
ここでは受験勉強の快適度にやる気も含まれるとし(理解がないなかのストレスがやる気の増減に関係する、また時間的制約も増える)、勉強が快適であればあるほど成績が上がりやすいので、快適であれば成績も良くなるとさせてもらう。
そうすると結論的には「相関はあまり見られず、区別することはできない。」になると思う。
なぜなら、親の理解度は教育方針とは違うため。
ただ、難関大学に合格させようという子供への目標があった場合、教育方針による成績の影響は誤差の範囲にとどまると思う。

ここで条件が増えてしまったので、追加された情報を加えて、

・教育方針は受験合格を見据えてるという条件下なので成績の差には影響しない。
・親の受験への理解度が低いと子の成績への精神的なマイナス効果がある
・ストレス値は子供の勉強量に関係する

で考えてみようと思います。

多分この条件下では親の理解度と子供の受験勉強の快適度に相関が認められて、各層に区別できるのではないでしょうか。
しかし、この条件まで絞ると一つの学校の中では区別するほどのサンプルが無いのが現実ですね。
つまり、「階層分けできないから格差といえない。」が結論のようです。
くそぅ、、、

ここで、母集合を受験者全員に置き換えるとそれこそ議題が一から崩れてしまいます。もし母集合を大学受験者全員に変えて議論したらしっかりと格差と言えそうですが、、、


自分で愚痴ってなんとか正当な言い訳にできないものかと試しておきながら、関係ないって結論付ける始末。墓穴を掘った上、逃げ道を無くしてしまったようです。


すこし科学っぽく考えてみましたが、自分の残念な結果に終わったのでもうこっからは個人の事情付け足しまくる主観だらけの愚痴大会にしようと思います。
こっからは題名詐欺になるかもだけど許してね♪

こう見ると思春期で家庭から自立していく高校生の集大成に受験があるというのは自立のきっかけが与えられるという点では良く、自立の地点を今の家庭環境が形成されるレベルよりも上でスタートするのが1,2段ならまだしも数段も上の階では極めて難しいことだなって感じて、スタートが家庭に依存する点は残酷だなぁって感じる。

自立の始まりの手段であって、階層を昇る手段ではないのかーーーー!
社会に出たら学歴関係ないはこのことなのか???たぶん違う
じゃあ就職も自立ってこと???
でもこっちのほうが学歴フィルターとかあってもステップアップしやすいように見えてしまうのが高校生という子供の視点よ。
一般入試でテストの点しか見られない受験のほうが圧倒的に楽なのにねー!

なんども反論出し続けてわけわからなくなってるけど、やっぱり普通の高校生は家の管理下にあるし、子供が親の道具になることがあるってのは家を成立させるのに必要なことなのよ。
家事とかの時間も金で解決する富裕層つよーい
受験っていう考えが薄くないと子供を平気で23時過ぎとかまで居酒屋に拘束しないし、そんな家の子供からしたら途中で一人帰るとか考えられなかったり(これこそ人によるけど)。
でもこの話を同級生にしたらね、「自分なら普通に帰るし、それが普通」だって。この普通を作らない私が悪いかもしれないけど、勉強するから帰るなんて私の地元じゃ無い考えだぞーーー
これこそ隣の芝そのものだけどね

もう色々比べてもキリないし、どんな環境だって難関大受かってくひとはその分の強さがあるし、こんなとこで愚痴っても無駄ですよ。
受験に於いては。

人生に無駄はないし、悩むことこそ価値のあること!
このスタンスで生きてかなきゃやってけないね
これで競争社会を勝てるかと言われたら別問題だけど、、、

もう完全に悪口みたいになってるけど、結局受験で親と認識の相違が大きくても夢見ちゃったんだから我慢して走り続けなきゃいけないし。
でもね、やっぱり人間キャパがあるんですよ。
自分がこの先どうなるか知らない。どこかで耐えられなくて壊れるかもしれないし、もう壊れてるかもしれない。
でも、周りに同じ境遇の子だって見えないけどいるし、ネットには共感出来て励みになるような懸命に生きてる人たちが沢山いる!
そんな私が勝手に応援してる人たちが全員自由で幸せになることを祈ってるよーーーーーーー!!!!







たまには愚痴らせて
2024.5.15


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