大江山優希

怖いものたくさんな16歳。妄想家による感情の備忘録。 メールyukioeyama810…

大江山優希

怖いものたくさんな16歳。妄想家による感情の備忘録。 メールyukioeyama8108@gmail.com

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自己紹介「私について」

はじめまして、大江山優希と申します。都内の高校に通学中の高校生2年です。 部活は複数所属しておりますが、中でも図書委員会を一番のやりがいとして活動しております。 さて、私がnoteを始めようと思うに至った理由ですが、それは一重に『高校生という人生の大きな分岐路に立たされたが故の迷いのひとつ』でしょう。何を悟った口で語っているのかと言いたくなるような言い様ですね。しかし、この方人生16年自ら大きな目標設定をしたことがないのです。小学校の頃から悟った様な素振りをするマセガキだった

    • アイデアを残したい

      私は最近、思いついたものはできる限りその場で書いておくようにしている。毎日noteを書くのに必死な時に気付いたことだけど、人間思ったよりも一瞬で浮かんだアイデアが消えてく。 思いついた瞬間は自分でも良いと思って覚えておこうとしても、その場でメモしないと私はよく忘れてしまう。 浮かんでくるアイデアなんて、あとから見れば何か既存の作品や思想と一緒なんてことは大半。時にはほぼ何かの二番煎じなんてこともしょっちゅうある。でも私はそれも受け入れたい。 自分の考えだけれど、誰しも日々た

      • 来週はテストなので数日は短文投稿になりそうです

        • 太文字が無い文章が好き

          私は太文字が無い文章が好き。 noteとか本でも、太字で大切なポイントを落とさないようにってしてくれている人たちは沢山いる。決してその人たちを否定している訳ではわなくて、私はただ何も見た目の強弱のない文章から自分だけに強弱されて見える文を探すのが好きなだけ。 太字の文は強調されている分、みんなそこを本の内容として覚えやすい。だからビジネス書みたいに著者の主張がそのまま通じるためには丁度良い。 これらの文章は著者と読者の覚えた内容が一致するので、対話をして互いにより考えを深めら

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        • わた詩
          5本

        記事

          誰そ彼

          古典の授業。緑の綺麗な黒板の真ん中の下の方に書かれた「誰そ彼」。隣には「彼は誰」。 「誰そ彼」暗くなってきて顔の区別が出来ないから「あなたはだれか」と尋ねる意。 「彼は誰」まだ薄暗くて「君はだれか」と尋ねる意。 風景じゃなくて人の交流の様子を、そのまま時を表す時間の言葉として使うなんて素敵な言葉だろう。 誰そ彼時は「片割れ時」とも言う。 この言葉は、私たちの世代の高校生にとっては『君の名は。』で登場したから知っているし、映画の記憶と一緒に思い入れのある言葉だと思う。

          卒業と離縁

          卒業、絶交、死別、、、 なにがその人にとって幸せな別れ方かどうかは人それぞれだと思う。 一般的なイメージだと一人でもいいから死別するまで縁を持ち続ける人がいることが重要みたいな感じなのかな。 人との縁は何か組織に属しているときが一番増える。 そして、だれしも中学卒業までには必ず今一緒にいる同級生との別れを経験すると思う。 別れたあとにはその縁がない生活が始まるし、良かったものでも悪かったものでもその縁は記憶の一部になる。 全部をそのまま記憶することはできないから、どこか局地

          卒業と離縁

          読んでくれる人が嬉しくなる記事を書くのをモットーにやっていましたが、たまには甘えて愚痴ってみようと思います。 弱さだって人の大事な一部だもんね 私の文章読んでくれる人みんな大好きだー!

          読んでくれる人が嬉しくなる記事を書くのをモットーにやっていましたが、たまには甘えて愚痴ってみようと思います。 弱さだって人の大事な一部だもんね 私の文章読んでくれる人みんな大好きだー!

          格差と家庭差の境界

          私は都内の世間的には進学校と言われる高校に通う者である。 中学受験をして入る中高一貫校なので生徒の家庭の経済水準が高く、箱入りで育ってきたような子が多く集まる場所。 親がググればヒットするような同級生の隣で毎日片田舎から登校する学校内の経済水準下位層の人間が私。 同級生の親は両親大卒は当たり前、さらには親のどちらかはGMARCH以上が大半みたいだ。 言い方が妬みになってしまうが、私の両親は大学受験を経験していない。 子供目線になるが、自身も大学受験を経験したという前提で進む

          格差と家庭差の境界

          ガクチカないです

          推薦入試とか、なにか自己プロデュースをしたときたぶん私がアピールできることはほぼない。 中学時代は中高一貫だからと呑気に部活くらいしかしていないし、かといって上手かった訳でもない。一応マネージャーも兼任してやってたくらい。 それ以外に趣味だって登下校の読書と結局時間を浪費してただけのゲーム。 もちろん中学での読書経験はかけがいのないもので決して無駄じゃなかった。 やってよかったことといえば、中2から図書委員に入ってちょくちょく記事の作成と原稿の校正をしてたくらいかな。(この影

          ガクチカないです

          これだって手紙だね

          誰かと文通がしてみたい。これは私の「インターネットから抜け出して人のぬくもりを感じたい欲」のひとつ。 手紙を書くとき手元に白紙の便箋とペンだけで余計な通知も入らない状況でただ相手一人を考える。 すべての手紙はスタンプ一個以上の思いが乗せられて相手に届くところが良い。文字だってその人特有の癖が出る。 でも手紙でもメールでも好きな人に贈る言葉を悩む時間の価値は一緒。 そう思うと手紙もネットも変わらない。匿名だから相手を叩くんじゃなくて、やっぱり通信手段は思いを伝えることに使い

          これだって手紙だね

          鳥に声、蝶の声

          私が自転車を漕いでると、道にいた雀が私に気付いて飛んでく。川のほうへ降りていったり橋の欄干や柵の上向かって飛んでく。 飛び立ってすぐは、羽を広げて風を読むようにして流されていく。 少し流されるとまた降りる場所を見つけて羽を動かしてく。 風が強い日なんかは羽を伸ばしているとすぐに音さえも奪うような突風がちょうど来て、それにさらわれていく。 その時は、私も風に煽られる。だからか分からないけど、鳥が一生懸命飛ぼうとしてる姿に感動するし、私が一方的に風が強くて苦しいっていう声を鳥に与

          鳥に声、蝶の声

          なんにも書けない生き方

          最近noteを書くのが前よりも文字数は減って、時間がかかるようになった。 noteを初めてから数日後に書くものが無くなったりもしたけど、今は書こうかなって思うタイトルが出てきただけで、本文は全く書く内容がイメージ出来ないようなアイデアばっかり。 それでも無理やり考えて毎日書いてみる。 けど、もしも私の文を読んでくれてる人が居たら、つまらないと思ったりしてしまわないかなんて思うし。自分でnoteを出す時、前ほどの自信も無くなっているのに、まだ興味を持ってくれるといいななんて思

          なんにも書けない生き方

          五月病というよりは、4月に立てたハードルが高すぎたようです。

          五月病というよりは、4月に立てたハードルが高すぎたようです。

          空白で考えてること

          普通に生きてると無意識に考えてる時間が大半で、明確なものに対して思考をめぐらす時間は少ないと思う。もしかしたらふだん私がぼーっとしてるだけかもしれないけど常に何かしらは頭の中で動いてる。 たぶんここで言う無意識に考えるはほぼその状況から感じ取った感覚に近いものだと自分で思う。 無意識で何か考えてたものなんて数秒後には忘れるし、あとから思い出すことなんてもう一回同じ状況に立たないと思い出せない。同じ場所でほぼ無意識に感じて考え出るものは自分に変化がない限りいつも同じことが出てく

          空白で考えてること

          少し用事で補導ギリギリの時間に自転車漕ぐことになったけど、思ったより人とすれ違って面白い。まだ知らない時間の世界だね

          少し用事で補導ギリギリの時間に自転車漕ぐことになったけど、思ったより人とすれ違って面白い。まだ知らない時間の世界だね

          青信号で止まりたい

          青信号で止まりたい。 渡れなかった友達を待ったりとかじゃなくて、赤信号から変わった瞬間からまた赤に変わるまで全部を点字ブロックの上で立って過ごしたい。 信号が変わった瞬間、周りの人は信号が変わったらいつも通りに渡ってく。 でも私は変わった信号の青を見た瞬間にふと頭に沸いた選択肢にしたがってみる。 信号が変わったら渡るなんてもう小さいころから脳に焼き付いた無意識の領域。けどそれを自分の意志でやめてみたい。 きっと赤信号を渡るよりもずっと深くて、大きいけれど自分では何かわからな

          青信号で止まりたい