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北斎に乾杯!

浮世絵: 『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』

嘉永2年4月18日(1849年)、90歳の葛飾北斎は死に臨み、「天がもう十年の寿命を与えてくれれば」と言い、また、暫くして、「あと五年生きることが出来たなら、本物の画工になれたのに」と言って亡くなったそうです。

葛飾北斎は江戸時代後期の浮世絵師で、代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があります。北斎は長寿で多作な画家でした。北斎の100歳まで生きて描き続け、神妙の域に達したいという思いは、同じように長寿で多作だったピカソと似ているように思います。

ピカソは91歳で亡くなるまで描き続け、生涯に約14万7,800点もの作品(内訳は、油絵と素描が1万3,500点、版画やエッチングが10万点、挿絵が3万4,000点、彫刻と陶器が300点)を制作しました。

北斎も90歳で亡くなるまで描き続け、3万4千点を超える作品を発表し、人物、風景、動植物、妖怪など様々な題材を描きました。

浮世絵: 葛飾北斎

ピカソも北斎も常に新しい表現方法を模索し、自分の作風を変化させていきました。ピカソはキュビスムを確立したことで20世紀の芸術界に革命を起こし、北斎は日本画の伝統にとらわれずに西洋の遠近法や色彩を取り入れ、西洋の印象派やポスト印象派の画家たちにも影響を与え、ジャポニスムの流行を引き起こしました 。

絵: Pablo Ruiz Picasso

ピカソと北斎が生涯、描き続けることができた理由は、一概には言えませんが、彼らの作品は、彼らの生き方の証でもあり、自分の芸術に対する情熱と探究心、自信と誇り、影響力を持ち続けたことで、生涯、描き続けることができたのだと思います。


葛飾北斎『富嶽百景』初編後書き

「私は6歳より物の形状を写し取る癖があり、50歳の頃から数々の図画を表した。とは言え、70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。(そのような私であるが、)73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいくらかは知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。(そして、)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。長寿の神には、このような私の言葉が世迷い言などではないことをご覧いただきたく願いたいものだ。」


P.S. 歌川広重

歌川広重も江戸時代の有名な浮世絵師で、北斎同様に風景画の分野で革新的な作品を残しました。広重は北斎より37歳年下で、北斎の影響を受けて成長しました。
二人は同じ富士山や東海道などの画題で競い合いましたが、北斎は奇抜で大な構図や色彩を駆使し、広重は叙情的で感傷的な画風を追求しました。二人の作品はヨーロッパでも高く評価され、印象派の画家たちに影響を与えました。

左: 北斎、右: 広重

北斎と広重の作品を見比べると、二人の画力や物の見方の違いがよくわかります。例えば、北斎は富士山を強烈な青や赤で描き、画面の中心に配置しました。広重は富士山を淡い青や白で描き、画面の端に配置しました。北斎は富士山を主役として強調し、広重は富士山を背景として控えめにしました。このように、二人の作品は対照的な魅力を持っています。

北斎と広重の作品は、多くの展覧会や書籍で紹介されています。二人の風景画の違いや、彼らが影響を与えた印象派の画家たちの絵を思い浮かべながら、それぞれの作品を見ると、今までにない浮世絵の世界が広がってゆくのではないかと思います。

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