見出し画像

「トリフィド時代」の重すぎる課題

「トリフィド時代」ジョン・ウィンダム著 中村融訳 創元SF文庫
原題は THR DAY OF THE TRIFFIDS 「トリフィドの日」で
自分としては、こちらの題名が好きだ。
昔々映画で見たきりだったのを、ようやく本で読んでいる。
久々に紙の本を手に取ってしみじみ楽しむつもりでいたら
これはこれは大変な本だった。
1951年に発表された小説だがこの怖さは時代を選ばない。
トリフィドが人間を襲わなくても十分に恐ろしい内容なのだ。
ある夜緑色の大流星雨が地球に降り注ぎ
人々はその光景に驚き「史上最大の無料花火大会」を大いに楽しんだのだが
その光を目にした人々はみな目が見えなくなってしまう。
で「トリフィド」というのは、身近に栽培されていた架空の植物で
これが流星雨の光を浴びてモンスターと化し
人を襲うようになるのですな。                    と、ここまではSFあるある、で
映画では主にそのトリフィドと人間との攻防を描いていたのだが
この本では実は遥かに深く底知れない地獄が描かれているのだ。
それは
地球上の人間の大半が突如として目が見えなくなると何が起こるか
そしてごくごく少数の
流星雨を見なかった・目が見える人々に何ができるというのか
ということなのだ。
ライフラインは止まり、車を運転することもできず
今手の届くところにある食べ物を手探りで食べてしのいでいる人々を   絶望して窓から飛び降りる人や                   「あんた、見えるのか!?」と、追いすがる人たちを          目の見えるわずかな人々が助けることは
いや、助け続けることは可能なのか。
見捨てたくはないが・自分が助けたとて
数週間、その人たちの命を延ばすだけのことではないのか。
その挙句に共倒れになるのではないか。
それよりも見える人たちでチームを作り
新たな社会を作って・人類を生かし続けるべきではないか。
登場人物たちはそれぞれの人生の価値観をもとにそれぞれの行動をする。
何が正しいかではなく
何がその人にとって正解になるか、なのだな。
この本は人生の中で
何度か手に取って読むべき本だと思う。
SF小説は“荒唐無稽”だからとこの本を読まなかったら大損をする!
SFはあり得ない設定の手段でもあるのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?