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自力救済と法治国家

読書

以前紹介した
「喧嘩両成敗の誕生」清水克行 講談社選書メチエ

もうちょと書いてみると
「喧嘩両成敗」だとか「痛み分け」だとか「過失相殺」だとかは
日本人ならおなじみの判断だが、この「喧嘩両成敗の誕生」によると
この日本人的判断・価値観が誕生したのが室町時代なのだという。
室町時代の人たちは今の人たちには信じられないほど“キレやすく”
ささいな口論が刃傷沙汰どころか合戦にまで発展してしまうこともあって
そんなどうにもならないくらいの紛争の解決策が
この「喧嘩両成敗」だったのだ。
だがしかし
これはあくまでも“どうにもならない”くらいにこじれた紛争の解決方であって
「両成敗」に至る前に
人々は様々な人智を尽くすことを心掛けていたのだと。
現代人がここから学ぶべきは
安易に双方の体面や損害の均衡を優先して
正邪の判断・つまり紛争の原因や責任を明らかにすることを避けてはいけない
ということだろう。
結局のところ
やられた分だけやりかえしたいのが人間で
室町時代の人たちの心性が現代人と大きく異なるといっても
根っこのところでは同じなのではないかと思えるのだ。
さてそこで
“自力救済”と言うと、ナンかとってもイイコトのように聞こえる。
他人に頼らずに自力で問題解決するのでしょ?
だがしかし
ヨーロッパ法制史研究では
自力救済を否定する治安立法を成立させていることが
近代国家の成立の大きな指標の一つだ、というのだ。
…治安立法は自力救済を否定してる?
あっ!そういえばそうか。
自力救済とは・いわば野生動物の状態で・勝手に仕返しし合う状態。
「オレが法律だっ!!」
「力こそパワー!!」
その一方で、一旦社会の中で助け合う生活をした人間が
もしも、自分がいた・守られていた世界からはじき出されてしまったら
四面楚歌状態、いきなり生存が困難になってしまうのだ。
自分(たち)だけで紛争を解決するということは
紛争の当事者同士での武力闘争になりうるワケだし
事実、力のある第三者の仲裁が無ければ争いが大きくなる傾向もあって。
ヘタをすれば仲裁者が巻き込まれて命を落とすこともあったのだと。
確かに
「自力救済から法廷へ」
というのが近代への流れなのだ。

室町時代から戦国時代に突入して、安定した統治者のいない中で人々は親族や同じ生業、村などの仲間同士で結束して自分たちの身を守ったが
やがて織田、豊臣が統一政権を作り上げるとともに法的な枠組みも作りあげられ徳川時代にかけてゆっくりと近世社会の秩序が形作られてはきたものの
法的な正しさよりも依然として人々の中には過失相殺や痛み分けを期待する心情が強く政権側はこの矛盾に苦しんだのだと。
なにかこう
法と現実と心情との三角関係のような。


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