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エッセイ:裸の王様


裸の王様 何が見えますか
裸の王様 何を学んだの

『裸の王様』ザ・ブルーハーツ


またどこぞの首長がセクハラだかなんだかで叩かれておりますが、会見で自身を裸の王様といったとか。裸の王様は、どんな組織にも集団にもおわしますね。
職場にも学校にも家庭にも、役所にも病院にも自分を世界の中心だと盲信している尊大で無謬のイタい奴はいるものですが、王様を支えているのは空気を読む側近ほか臣下であるとすると、空気を読むのは相変わらずでも、その空気が変わりつつあるのが昨今。キャンセルカルチャー、ポリコレ(政治的正しさ)について。



BBCの報道に端を発したジャニーズ問題は記憶に新しいですが、キャンセルカルチャーとは政治的に正しくない言動をした個人や組織を罪人として糾弾し、社会的制裁という罰をあたえる外来思想です。
虐待、ハラスメント、被害にあった側が声を上げられる世は「正しい」と肯定的に捉えるべき、、でしょうが、政治的に正しくない言動は排除さるべきであるというべき論は、「べき論」とカッコに入れるべき、、ではないでしょうか。

強い者が弱者を虐げることがあってはならないのは、政治的に正しくないからではない。あなたがあってはならないと思うからあってはならないのであって、そうは思わない人もいる可能性を排除するのがべき論である。行き着く先は全体主義であるとしたら、自分の首を絞めているのと同じであります。虐待があっていい、差別があっていいといいたいのではありません。それがどんなものであれ、内心の自由は奪ってはならないと申し上げたい。

政治的正しさを決めるのは畢竟、政治的強者であります。正しさを担保しているのは力であり、これを無謬とするのは盲信であり、裸の王様と同根といえるでしょう。
あの物語では他所からやって来た仕立て屋に、王様含めまわりの人間もまんまと騙されるわけですが、キャンセルカルチャーという外来思想に私たちもまた、騙されうる。アメリカという政治的強者に、この国の政治的正しさを決められるという視点があってもいいはずです。外来思想に在来思想が席巻されていくのだと。

思想とは、風土や歴史と無関係ではありません。
愚者には見えない布地ではなく、見えない存在を感じることは、先人を俟つまでもなく、今もなお私たちの思想であります。実生活において、常日頃から空気を読んでいることを想起すれば充分でしょう。
空気を読むとは、同調圧力という否定的な文脈で使われがちですが、根底にあるのは、キャンセルカルチャーにはない他者への眼差しです。空気を読むことで、おおらかさが生まれることもある。虐げられることはあってはならないが、シロかクロか曖昧にすることで救われる人もあるでしょう。
中庸がいい。
正しさとは、不変ではありません。
考えてわかることでも、ましてや外部から押しつけられるものでもない。
内なる心に湧くもの、
感じ取るものである。


何事の おはしますをば 知らねども
かたじけなさに 涙こぼるる

西行