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エッセイ:引き裂かれた自己


終電間近の時間帯、終着駅に着いても眠っている人がある。軽く肩を叩いてから降りる。目覚めたかどうかは知らない。赤の他人同士とはいえちょっとした心がけで、少しはましになるかも知れない。



肉体なし[no body]
に存在することによって、
かれは何者[nobody]でもなくなる

『引き裂かれた自己』R・D・レイン



ドブネズミみたいに美しくなりたいと歌った人がありましたが、醜いよりは美しくありたいもの、悪しき者であるよりは善き者でありたい。誰もが善を求めている。彼岸には、かくありたい私がいて、此岸にこうして今ある私。

自己とは、、、、善を求めて引き裂かれた自己である、、、、、、、、、、、、、、、、

彼岸は畢竟彼岸である。つねに引き裂かれているがゆえに、ひとは此岸にある他者の承認をもとめる。他者のまなざしのうちに己を認め、己の善悪を判じ、己が何者かを知る。
他者なくして自己はあり得ぬ。善悪もあり得ぬ。何者かを知ることもあたわぬ。

だから、他者とはかけがえの無いものである。そしてこの私もまた誰かにとってのかけがえの無い他者である。

何気無いひとことに傷つく人がある。罪悪感を覚え、怒りを抱き、また誰かを傷つける。
誰もがかけがえの無い他者である。
と、心がけるだけでいい。
そうすればこの味気なき世も、少しはましになるかも知れませんね。
お読みくださり、ありがとうございました。





この後かれは中学生を襲撃する