エッセイ:引き裂かれた自己
終電間近の時間帯、終着駅に着いても眠っている人がある。軽く肩を叩いてから降りる。目覚めたかどうかは知らない。赤の他人同士とはいえちょっとした心がけで、少しはましになるかも知れない。
ドブネズミみたいに美しくなりたいと歌った人がありましたが、醜いよりは美しくありたいもの、悪しき者であるよりは善き者でありたい。誰もが善を求めている。彼岸には、かくありたい私がいて、此岸にこうして今ある私。
自己とは、善を求めて引き裂かれた自己である。
彼岸は畢竟彼岸である。つねに引き裂かれているがゆえに、ひとは此岸にある他者の承認をもとめる。他者のまなざしのうちに己を認め、己の善悪を判じ、己が何者かを知る。
他者なくして自己はあり得ぬ。善悪もあり得ぬ。何者かを知ることもあたわぬ。
だから、他者とはかけがえの無いものである。そしてこの私もまた誰かにとってのかけがえの無い他者である。
何気無いひとことに傷つく人がある。罪悪感を覚え、怒りを抱き、また誰かを傷つける。
誰もがかけがえの無い他者である。
と、心がけるだけでいい。
そうすればこの味気なき世も、少しはましになるかも知れませんね。
お読みくださり、ありがとうございました。