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自分とは何者か【幼少期~高校】

自分を知ることが、
やりたいことを見つけるための第一歩である。

自分を知るというのは、
簡単なようで実は難しい・・・。

"今" の私になるまでを振り返ってみます。


1.幼稚園~小学校時代

私は、北海道の田舎で、
2人姉妹の長女として育ちました。

厳しい家庭で、挨拶や振る舞いは、
いつも注意をされていました。
特に、母は厳しく、怒ると怖い存在、
逆に、父は優しく、見守ってくれる存在
だと感じていました。

幼少期に一番学んだことは、努力が大事
だということです。

努力すれば、必ず結果が付いてくる
ということを経験しました。

勉強では学年1番になりました。
地頭が良いわけではないので、
自分でコツコツ勉強をして1番になりました。
クラスの優秀な男子(地頭よい系)に
勝てたことに、喜びを感じていました。

マラソン大会では、学年ベスト5に入りました。
走るのは好きではないけれど、
毎朝、近所をランニングして鍛えました。
練習すれば結果は出るのだと、
実感
しました。

また、目立つことが好きで、
学芸会で主役を演じてみたり、
卒業式でナレーションの代表をしてみたり、
とにかく目立つこと
(誰でもできることではないと思うこと)に
チャレンジしていました。

いずれも、
やればできる!という
自信を持つ原体験となっています。


こんな私のことを、
両親はとても褒めてくれました。
そして、親戚や近所のおばさん、
会う人皆に、
「すごいね~!さすがだね~!」と
言われて、私は優秀なんだ
ちょっと調子にのっていました。

この頃から、
・褒められることをしなければいけない
褒められないこと
 (周囲の期待に反すること)は
   してはいけない

と思うようになったのかもしれません。

ちなみに、
土日は、父の趣味である
アウトドア(キャンプや登山)に
家族で出かけることがほとんどで、
家でのんびり過ごすことはあまりありませんでした。

今思うと、自然と触れ合うことが
好きなのは、この経験からきているのかな
と感じます。

でも、幼かった私は、
土日は家族の時間だから、
友達とは遊べない、
可愛い洋服や雑貨を見にいくことはできない、
家族に毎週どこかへ連れていかれるのが
嫌だなぁなんて思っていました。笑

2.中学校時代

中学生になってからは、
田舎によくある不良?もいる学校で、
目をつけられたら大変!
という考えから、目立つことは一切しなくなりました。
目立つよりも、染まること、
皆と同じでいることを好むようになりました


今では笑える話ですが、
当時ルーズソックスが大流行していて、
周りは皆ルーズソックスを履いていたので、
私も履きたい!と思ったのですが、
両親に絶対にダメ!と言われ、猛反発。
(両親はだらしない恰好はダメと主張)
こっそり学校で履き替えていました。

なぜ、皆と同じでいたかったのか?
同じでないと、友達がいなくなるように
感じていました

実際、中学時代にクラスで少し孤独を
感じたことがあり、そうなりたくない、
そのためには皆と同じ格好、同じ話題、
同じようにしなきゃって思ったのだと思います。

この頃から、
周囲の目をすごく気にするようになり、
自分が集団の中で、どのような
存在になっているかを客観的に見て、
その場に合わせるようになりました


一方、勉強面では相変わらず
学年1番を目指して、コツコツ勉強を
していました。
中学でも努力の結果、学年1番。
優秀な私が存在していました

ただ、とてもずる賢いやり方をしていて、
両親に、学年1番になったら、ご褒美頂戴!
とお願いをして、目標達成するための
インセンティブを付けてもらっていました。
(これ、本当によくないですね・・・)

周囲は塾や通信教育をしている人が
ほとんどだったのですが、私の場合、
塾はダメというのが両親の方針だったので、
(自分でもできることにはお金をかけない主義)
自力で勉強をしていました。
その分、ご褒美・・・ということで
頑張っていました。

皆と同じでいたい、
嫌われたくない、
という想いは両親には言えず、
両親の前では優秀な良い子
過ごしていました。

そして、成績優秀な私は、
地域トップの進学校へと進みました。

3.高校時代

文武両道を掲げる高校でしたが、
私は、多くの時間を勉強に費やしました。
高校時代を一言で表現すると、
「THE 勉強」
です。

地域トップの進学校ということで、
優秀な生徒がたくさん。

試験の結果がランキングになって
貼り出される仕組みだったのですが、
最初の試験、中学まではトップだった
私の名前はそこにありませんでした。

悔しさと負けず嫌いな性格もあって、
そこから勉強一筋で毎日帰宅後
机に向かうようになりました。

努力の甲斐あって、
次からの試験ではトップランキングに
入るようになり、ここでもまた、
努力は結果になる、
ということを体感しました。


何のために勉強をしていたのか?

・優秀になりたかった
・よい大学に入りたかった
 =褒められたかった、認められたかった

そうすれば、
よい未来が待っていると思っていました


両親から勉強を強制されていた訳ではありません。
期待はしていたと思います。
私は、その期待に応えたかったのかも
しれません。

大学は、
道内No1の北海道大学が
自然と目指すべき大学になり、
無事に合格することができました。

大学編へつづく・・・



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