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自分らしく生きることは、素敵で、そしてタフな生き方

子供達に望んでいる「自分らしく生きる」って、なんとなく伸び伸びなイメージだったけど、とてもタフな生き方なんだなって最近思うようになりました。

転職をして、どんな発信・発言も受け入れられるので、とてもホッとした。一方で、居心地の良さには感謝しながらも、これは案外タフな事かも?と思うようになった。

◾️正解があったこれまでの人生

私は少し変わってるみたいで、学生の頃から、悪気なくしたことでも「それはダメだろ」「それは違う」「お前ズレてる」と言われ、びっくりすることがまあまああった。(だから絵や音楽に没頭することで、個性を発散してたのかもしれない笑)

ダメって言われるその時はショックだったし、自分らしさを大切にしたいなぁと思っていたけど、全く否定されない今、逆に「これでいいのか?本当に私のこの感覚やこの発信はあってるのか?」と正解を探している自分に気付いた。

正解がある場所は、その正解と自分の価値観が合わない時は苦しいけど、正解を掴めてしまえば後は合わせるルールとしてはシンプルなゲーム。ゲームのルールを守っていれば意外と心地よく生きていける。

一方で、一人一人が正解を持っている環境だと、私自身の考えややり方を、まず、私自身が信頼する事が大切になってくる。これが「自信」なんだろう。
その為にも、常に自分がどうありたいか、どうなりたいか考え、それに向かって自分でコミットしていく。そうして「自信」を付ける、常に自分との闘い。

様々な価値観の中でルールなく生きるという事は、正解・不正解で分けるのではなく、他者と自分との違いとして、受け止め、分かち合い生きていく事なんだろう。
これが上手くいけば違いを比較も否定もしない、平和な世界になるはず。一方で、「自信」が揺らいで、自分と誰かと比較したり違いを否定したりし始めると、正解がない分、ゴールの見えない苦しいゲームになる。

自分らしく生きるという事は、一見、素敵なんだけど、貫こうと思うと「自信」を磨き続けながら成り立つタフな生き方だなと、改めて思う。

◾️子供達が自分らしく生きるために、母親の私が出来ること

改めて、その生き方を子供たちに求めるのか?と言うと、やっぱり、自分らしく生きて欲しいなぁと思う。我が子は2人とも個性的でキャラも独特、私はすごく好き。だから、やっぱり誰かと比較したりして、その良さを抑え込まず、自分らしく生きて欲しい。(親バカですみません)

我が子だけでなく保育園の子供達みんなキャラが立ってる。好きなことも興味も洋服も登園時間もペースもみんなバラバラ。彼らを見てると、神様がひとりひとりに使命を与えてこの世に命を下さったんだなって、一つ一つの命の輝きを感じる。

ただ個性を尊重するだけだと、違いがぶつかり合ってしまって、多分自分らしくは生き続けられない。やはり助け合い共生する力は必要だと思う。

その為にも、自分らしく生きることがタフな事だと理解して、その根っこにある「自信」や「他者を尊重する心」を育む事が、親の私に出来る事かなって考えてる。

まずは家庭という小さな世界の中で、お母さんと僕は違うけど僕は僕でいい、お母さんのもいいねと思える環境を作ってあげたい。
その為に、私の中の当たり前や正解を壊して、あくまでも私の意見、として子供に押し付けないようにしたい。

子供は経験値や語彙が少ないだけで、大人と同じ立派な人間。ご飯を食べたい時間も寝たい時間も、意志があるだろうし、身体は小さいけれどこちらの意見を理解して折れる事だって出来る。共生する力を持ってる。

息子達と小さなうちからたくさん話し合おう。話し合って決めよう。
話して、個性を認め合い共生する中で、自分の価値観いいなぁ、相手の価値観もいいなぁ、自分の気持ちを上手く伝えて一緒に生きていきたいなぁ、そんな信じる心と伝える勇気を育みたい。

子供達が、自分らしく、幸せに生きるために。



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