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坂道シリーズの歌詞考察

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乃木坂46、欅坂46、けやき坂46、日向坂46、櫻坂46の歌詞考察です。
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チャンスは平等の歌詞にみる「やり過ごしの美学」【乃木坂46】

チャンスは平等の歌詞にみる「やり過ごしの美学」【乃木坂46】

振り向かず踏み出せ!生き方の提案の歌詞である。
君も僕もチャンスは平等に来るんだ。
ただじっと待てばいい。
でもいつ来るかは検討もつかない。
これまでの経験則で感じる本質ソングだ。
秋元康はよく、人は自分から夢を諦めてしまうということを、手を伸ばした1ミリ先の夢と表現する。
一見、受動的で待ちの姿勢で何もしなくてもいいかのようにみえる。
でもそれは違う。
ここで大事なのは手を伸ばし続けることで、結

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君はハニーデューの歌詞にみるアイドルの本質【日向坂46】

君はハニーデューの歌詞にみるアイドルの本質【日向坂46】

僕だけのフェイバリット人は遠目でずっとかわいい子を見ていたいという本能があると思う。
街中でかわいい人に会ったとしても、クラスにかわいい子がいてもじっとは見てはいられない。
それをアイドルは可能にする。
その心理を利用して継ぎ目なくかわいいをコンテンツとして提供してくれる。
そしてそんな観測者でも十分満足だったのに、時々その雲の上の存在にリアルで会える機会まで用意されている。

アイドルとはキラキ

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乃木坂46、櫻坂46、日向坂46のそれぞれの歌詞の特徴を考察してみる。

乃木坂46、櫻坂46、日向坂46のそれぞれの歌詞の特徴を考察してみる。

乃木坂46の歌詞は1を広げる。
櫻坂46の歌詞は1を掘る。
日向坂46の歌詞は1を伝える。

よりイメージを掴んでもらいやすいように90年代バンドがより幅広い世代に伝わる共通言語だと信じてそれぞれ乃木坂46を「スピッツ」、櫻坂46を「Mr.Children」、日向坂46を「ウルフルズ」で例えてみた。

乃木坂46の歌詞は叙情的である。スピッツ的な歌詞であると思う。
叙情的とは「感情や気持ちなどが、

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そんな幻想抱いてるのは僕だけか【櫻坂46 油を注せ! 歌詞考察】

そんな幻想抱いてるのは僕だけか【櫻坂46 油を注せ! 歌詞考察】

僕の思い込みと不器用さの物語君と僕の恋の上手くいかない様を錆び付いた自転車をモチーフに表現する。
油を注せば錆び付いた自転車が動くように、いつも近くで大切にしていれば良かったと回想する。
そして出てくる考えが「出会った時から変わらないそんな幻想抱いてるのは僕だけか」であることを見るにこの主人公の僕は思い込みが強いきらいがある。
ここに垣間見える「不器用さ」がこの楽曲の本質なのかもしれない。

すで

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思い出の日々は普通だ【櫻坂46 何歳の頃に戻りたいのか? 歌詞考察】

思い出の日々は普通だ【櫻坂46 何歳の頃に戻りたいのか? 歌詞考察】

大人になったその分だけ青春を美化し続ける2023年1月24日(水)22:00に櫻坂46 8thシングル「何歳の頃に戻りたいのか?」のMVが公開された。

4thシングル「五月雨よ」以来の通算2度目の表題曲センターを務める山﨑天さん。
また欅坂46の、改名までに出したシングル(デジタルシングル除く)の数に並び、選抜には1期生は選出されなかった。

まさに「新・櫻前線」、新章スタートという感じだ。

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秋元康哲学の集大成だと思う。【日向坂46 君は0から1になれ 歌詞考察】

秋元康哲学の集大成だと思う。【日向坂46 君は0から1になれ 歌詞考察】

秋元康の歌詞は再現性が高い。
何故ならしっかりと理論として「言語化」が成されているからだ。
確固たる「生き方の正解」を教えてくれる。

一言で言えば「今を生きろ」だ。
つまりは「反応的」から「主体的」になればいい。

不幸に対する向き合い方で説明ができる。
自分に降りかかる不幸に対して、誰かのせいにするのが反応的な子どもっぽい対処法で、自分事として受け入れるのが主体的な大人な対処法だ。

いつまで

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「魔物」とは何なのか。【日向坂46 見たことない魔物 歌詞考察】

「魔物」とは何なのか。【日向坂46 見たことない魔物 歌詞考察】

「僕」は「君」と真夜中過ぎに家から抜け出して街を見下ろす丘で会う約束をする。
そこには愛があると感じてる。
ここでの愛とは「救い」である。

見たことない「魔物」とは何か。
それは「現実」である。
「僕」は「君」にその見たことない魔物が出てきたって絶対そこから逃げないでよと言う。
つまりは自問自答だ。
恐ろしいもの=現実は幻覚なんだ、と。

「君」とはタナトス(死への衝動)の擬人化だ。
僕らの約束

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「10月のプールに飛び込んだ」、「風の音」、「隙間風よ」は三部作の物語だ。【櫻坂46 歌詞考察】

「10月のプールに飛び込んだ」、「風の音」、「隙間風よ」は三部作の物語だ。【櫻坂46 歌詞考察】

「僕」は誰にも邪魔をされない本当の自由を確かめたかった。
その証明方法が最強で、誰にも真似ができない。

青春とは主観と客観が共存する。
その相反するものを、同じ「10月のプール」に「飛び込む」という普通は結びつかない言葉で表現する。

青春という「10月のプール」に飛び込んだ。
それは僕なりの抵抗だ。
できるものならなってみろよ。

教室の窓からみんながこっちを見て騒いでいる。
その中の一人に「

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それならずっと僕のことは数に入れないでよ【櫻坂46 隙間風よ 歌詞考察】

それならずっと僕のことは数に入れないでよ【櫻坂46 隙間風よ 歌詞考察】

「優等生」の憂鬱「完璧」の象徴として「雲ひとつない青空」を使い「僕」と対比させる。
それを「僕」は残酷だと言う。
何も無い空っぽな「僕」が浮き彫りとなるだけだ。
言い訳という逃げ場が無くなる。

そう思う理由は何故なのか。
普通に幸せな日々を送っているはずだ。
「過去」の象徴として「親とか教師」を使い、それらからの期待にもそれなりに応えてきたと言う。
何がそんなに不満なんだ。
そんなに差し迫った不

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そう今度は私たちの番だ【櫻坂46 マモリビト 歌詞考察】

そう今度は私たちの番だ【櫻坂46 マモリビト 歌詞考察】

何故この楽曲に感動するのだろうか。
それは櫻坂46の物語に感動しているからだ。
当て書きだと思われる歌詞がそう感じさせる。
今このタイミングで3期生がうたう意味(必然性)がある。

欅坂46時代からの長い歴史を感じることができる。
それを遠くから見ている主人公。
まだ傍観的な存在だ。

1期生、2期生という先人が優しく迎えてくれた。
名もなき者(3期生)の物語のスタートだ。

私たちは既に当事者だ

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森田ひかるは救世主である。【櫻坂46 承認欲求 MV考察】

森田ひかるは救世主である。【櫻坂46 承認欲求 MV考察】

明らかにオーギュスト・ロダン作のエヴァのオマージュのようなシーンがある。
エヴァとは言葉としては福音(喜ばしいおとずれ)の意味であり、作品としてはロダンの代表作「地獄の門」の両脇に、アダムとともに立てるべく構想された作品で神が禁じた智恵の実を食す罪を犯したことで、苦悩に身もだえする姿を示す。

最初のシーンで神に祈りを捧げる森田ひかる。
しかし、次のシーンでは掛けていた眼鏡を外し踏み潰す。
つまり

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私ではない私が暴走する【櫻坂46 承認欲求 歌詞考察】

私ではない私が暴走する【櫻坂46 承認欲求 歌詞考察】

2023年9月25日(月)22時より櫻坂46の7thシングル「承認欲求」のMVがプレミア公開された。

冒頭で眼鏡を踏む森田ひかる。
過去(今までの自分)からの脱却か。
Startover!からの地続き感があり今作は前作では1登場人物だった少女の物語とも読み取れるし、俯瞰的に見れば櫻坂46が新しいフェーズに入ることへの暗喩なのかもしれない。

冒頭の歌詞での、「聖徳太子か!」って本当に好き。
固有

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寂しさよ語りかけるな 心が折れそうになる【乃木坂46 ここにはないもの 歌詞考察】

寂しさよ語りかけるな 心が折れそうになる【乃木坂46 ここにはないもの 歌詞考察】

齋藤飛鳥は「強がり」だ。
そう捉えているかのような歌詞である。
完全に当て書きに思える。
我々は何故この歌に感動するのか。
それは齋藤飛鳥への解像度が高いからだと思う。
引いては乃木坂46という物語に感動している。
歌詞が詰め込まれてるのが齋藤飛鳥のブログのタイトルように感じるし、読書好きからの文学的な歌詞、また「裸足」というワードを出すことで、齋藤飛鳥の物語を追想することができる。

この楽曲が

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ずっと 何も届いてない【日向坂46 ガラス窓が汚れてる 歌詞考察】

ずっと 何も届いてない【日向坂46 ガラス窓が汚れてる 歌詞考察】

教室の窓は何故だかいつも汚れていて
僕はそれが気になるから授業に集中できない。

授業=現実の言い換えであるとすれば、
ガラス窓が汚れてる=言い訳だ。

大人たちは、それならおまえが拭けばいい(言い訳ばかりしてないで現実を見ろよ)と綺麗事ばかりを言ってくるが、拭いて綺麗になった陽射しの向こうに見える景色(現実)にそもそも期待はできるのか?

やる気のない3年生たち(キラキラしてない未来)が
報われ

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