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国際女性デー ~弱男に近い立場の私の言い分~

私は国際女性デーが制定された1975年生まれ。当時の日本はまだまだ「母親が外で働くなんて必要ない」どころか中間層でさえ「みっともない」みたいな風潮だったと聞いています。私が大学を卒業した頃も法律上では雇用機会均等なはずなのに、男性が優先的に技術職に就き、どうせ結婚する女性は事務に行けみたいな風潮が残っていました。社会は黙認。氷河期は過労死寸前自慢大会が当たり前。黙認。

米国に脱出した現在アラフィフの私ですが、ネットで見ている限り、今の日本はだいぶマシにはなったものの意識自体はそんなに変わっていないように見えます。

若い人は上の世代のせいだと思うかも知れません。
でも上の世代である私からすると若い方も大して変わっていないです。

相変わらずいい歳しても「カワイイ」から卒業できない。痩せ願望は顕著。しかも「女性らしさ」を何か勘違いされており、それを権利のように振りかざす。

優遇したところで効果なし。なぜなら真っ当にやっている女性までそういう見方をされてしまうから。
いまだに「なでしこ」「サムライ」とか言っている。
昔となんら変わりないですよ。

建設業界というところにいる女性の私は、いわゆる「弱男」に近い立場なんです。というか女性のスペックとしては「強女」というか「狂女」くらいなんですが(笑)、それでも受け身では弱い立場に追い込まれます。米国ででさえ。

だからこういう立場で生きている女性は男性の何倍もの努力してやっと並べてもらえるみたいな事をみんなよく言うわけですよ。

弱肉強食だから。

根性論を否定するのは勝手ですが、現実はそんな事言っていられないわけです。私に言わせると悠長なフェミニズム語っていられるのはいいとこの子だけ。

みんな当たり前のように受け入れていますが皆さん想像してください。こんな人を。

ヒラヒラした薄い服や露出が多い服でヘアだのネイルだのに時間を費やし、健康体でも汚れたり、筋肉を使う事を人生の最初から避け、口を開けば人間関係の話、ゴシップばっか。もしくは痩せ願望やテレビドラマ。すぐスピとか星占いとか信心の話をする。社会的な話題や趣味の話はほとんどしない。

これが男性だったら社会的にあまり良く見られませんよね。女性だったら「よくいる」みたいなタイプでも。

こんな感じの男性がかなりの割合でいる社会を想像したらいいです。エンタメも男性誌だの男性向けコミックだのも、ほとんどその層ターゲット。服もホストというか、ジョジョっぽいのが主流で流行がコロコロ変わる。好みならいいけれど、仕事に適切ならいいけれど、そうじゃない人は困る。

それなのに、なぜかそっちに合わせないと同性から批判される。そして異性からは勝手に仲間外れにされる。

これが私が日本で経験してきたことです。

これでわかりますでしょう。これ性差じゃないんですよ。
体力差、能力差でもない。

女性がセックスアピール丸出しで社会的な責任を取らなくても許されているどころか、そっちが推奨されている社会なだけです。

素晴らしい事に今はジェンダー論が盛んになったので、他のジェンダーでも許されるようになってきました。

どうなるんでしょうね?

少子化は加速、熟練系は人手不足、インフラボロボロなところに気候変動。

でもやりたくない。カワイイがいい。痩せたい。努力や根性なんて老害。子供なんか産みたくない。

いいと思います。
女性の立場向上の糸口が見えてきました。

今年の国際女性デー、私は国際的な建設会社の世界向けの広報に載りました。

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