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いのちにやさしいのは、滋養

時に、受ける側になってみて思う。自分にとってしっくりくりくるボディートメント(マッサージ)は、やはり滋養的要素のあるやさしいそれなのだ。


そして施術を受けるタイミングとしては、季節の変り目や人生の変り目を目安に、といったところだろうか。

基本はコツコツ日々の暮らしの中で、こまめに自分をケアする。たった一つのからだを大切に使うように心がける。
その中でもパイプの中に煤が残っていたり、届きにくいところに溜まることがあるように。どうにも自分で届かない所や無意識に澱がたまるので、時々他者にお掃除をお願いする。


例えるなら、一気に強力な洗剤を使って一層する必要がないので、ナチュラルクリーニングでピンポイント的な調整でOK。
じわじわと満ちていく。相手の手のひらから循環する栄養みたいな感じで共鳴して、しみ込んでいく。そしてその感覚は意外と長持ちする。


まるで満月が湖面を照らして、光が満ち満ちてその美しさに癒されていくような滋養なひととき。人のからだにとって、こういう感じの方が自然で無理がないのかもしれないとも思う。


巷では、疲れをためてため込んで~駆け込み寺として「禊やデトックス」を求めてマッサージを受け(そういう状況程強い刺激を好む)、スッキリ・リフレッシュする。
または、ファスティングやサウナなどで出して出して~強制変化。また日常に戻るという形がスタンダードな気がする。

誰かや何かきっかけにパワーをもらって一瞬で変わる、変えるというように。


何を隠そう自分もかつてはそうだった。出して出して出し続ける、自分でない誰かやきっかけにパワーをもらって、ドラマティックに変わることを求め、ときに補充しようとする。


長年繰り返して痛感したのはそれって、疲弊するばかり。そして迷子になっていく。強い刺激、さらなる何かがないと、同自分を保つのか分からなくなるのだ。
無意識に「外に力がある、自身にはない」という乾きと暗示を作り、そのループに陥ってしまってもいた。


いやいや、自分を癒せるのは自分自身。からだを大切にしてあげられるのも、自分次第だけ。他人から受け取れるのは、サポートやきっかけの一つ。

自身の経験から声を大にして伝えつつ、手のひらからはホッとふかくひとやすみする、滋養のようなひとときをお届けしていきたい。

ちなみにもしも禊デトックスする際は、滋養とセットにするとバランスがとれるな~とも思う。




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